台詞?科白? |
08月19日 (月) |
|
本を読んでいて「台詞」という字と「科白」という字がでてくることが
あったがその意や使い方の違いがずっと疑問だった。
それが「わかったぁ、なるほどな」となった記事があった。
劇作家の別役実氏の書かれた文章:
舞台で俳優がしゃべることばに二通りの「科白」と「台詞」があり、
台詞=言葉だけのもの
科白=言葉に仕草が加わったもの。
「台詞」の場合の聞き手は発信された情報を受信するだけ、「科白」の
場合は聴き手は情報の受信と同時に共鳴も誘われるとある。
う~~ん難しいなぁ~~~でも次の文には:
最近身の回りで飛び交う言葉が、「科白」から「台詞」になりつつあると感じているそうだ。意味の記号化された「台詞」としてのみ流通し
「科白」としての質感をうしないつつある。
そして人々のしゃべる速度が速くなっているともあった、そうだなぁ~
全体的に早くなっているかもしれない。
自分もかなり早いと自覚している。
意見や想いを伝えることに夢中になっている、聞く力が大事と言われているのだが・・・・・
別役氏は日常の言葉が「台詞」にしか過ぎないと会話から体験感が失われ(早口になる)思いが成熟することなく素通りしてしまうという。
質感のあることばが人と人とをつなぐ、
ラボでの物語のテーマ活動においても「台詞」でなく「科白」に
なることが子どもたちの言葉の成長になる、質感をともなった言葉にするには「台詞」と「台詞」のやり取りでなく、「台詞」から「体をくぐらせて」の科白にすることだ。
秋から始まるテーマ活動は言葉を身体をくぐらせてみよう。
|
|
|
|