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上野の東京都美術館で開催中(10月3日まで)の第70回「新制作展」。
今年も小野かおる先生のお招きを受け、行ってまいりました。
何ごとにも囚われない、自由さ120パーセントで制作する造形。
意味を問われても答えようのない闊達な表現の世界です。
そんな空間にこの身をたゆとわせるひとときの心地よさ!
スペースデザイン部門と彫刻部門をゆっくり鑑賞させてもらいました。
わたしだけいい気分にさせてもらっては申し訳なく、
せっかくですので、みなさんには小野先生のご労作をご紹介いたしましょう。
(お許しを得ましたので)
たいへんな力作ですよ。すごいですね、絶えざる挑戦! 飽くなき探求!
今風の、マニュアル的思考の無感覚さ、厭味な未成熟さとは
何という遠い距離にある表現か!
色の狂騒もここには、ない。メタリックな平面に浮き出たシンプルなフォルム。
その単純さのなかに、詩的情緒と寓話的雰囲気を注ぎこんだ作品です。
そこには、欲もなくムダもなく、清廉でつつましく、見るものをホッとさせてくれるものがあります。
昨年もここでちょっと見ていただきましたね〔このページ末尾に写真〕。
小石の表面に黒のふしぎなフォルムをのせた造形。これもシンプルでした。
「はるかぜとぷう」や「幸福な王子」や「ありときりぎりす」でもない、
「かぶ」でも「一寸法師」でもない、ずっとずっと遠い世界。
小野かおるさんの指向する新しい世界がその線上にあるのでしょうか。
『ライネケ狐Reineke Fuths』、ドイツほかヨーロッパに広く、
古くから伝わる動物寓話。根性の悪いキツネのはなしですね。
フランスでは「ルナール」の名で親しまれています。
悪知恵をはたらかせ、さんざん悪いことをやって立身出世をする
ずるがしこいキツネ。今の世にもいるじゃないですか、
自分さえよければいいと、他をかえりみない、こんなのが。
ゲーテがこの話を韻文の叙事詩にしているのをご存知でしたか。
芥川龍之介がどこかでベタ誉めしていましたよね、
「ゲーテは、これを書いただけでも十分に偉大だ」と。
①オンドリのヘニングは云った、「ごらんください、この娘の亡き骸を!」
②熊のブラウン/前あしを引こうとして、もがけばもがくほど、
痛みはいっそう耐えがたく…。
③猫のヒンツェ/あわてふためいてもがいたので、
縄がぎゅっと縮まった。
④ライネケは、とうとう梯子を登らされ、処刑寸前となったとき、
高いところから口が開いた…。
今回の出展はこの4枚だけ。12枚で完成の予定だそうですが、
つづきは来年のこの「新制作展」で発表するおつもりとか。
ご覧いただきましたように、あまり見ない技法に挑戦なさっています。
説明を受けたのですが、この道に暗いわたしには、よくわかりませんで、
金属(ブロンズ)の粉に樹脂を混ぜたものを筆で描いたのちかためるという手法を基本にするものとか。
1枚の一辺が1メートル弱、けっこう重いものだそうです。
ぎっくり腰の先生、搬入のお手伝いをしてさしあげればよかったのに。
(なお、上のキャプションは上田真而子さんによる)
1月20日の日記「空白がつくりだす美しさ…」より
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きょう、9月21日がどういう日がご存知でしたか。
宮澤賢治の命日であり、賢治祭。何回目になるんでしょうか、これ。おそらく今年もたくさんの人たちが集まって、花巻のあの詩碑ひろばで松風を感じながら彼と彼の作品を偲んだことでしょう。鹿踊りも見られたでしょうか。丘の上の記念館で、幾重にも書き込まれたあのナマ原稿にふれ、童話作家のこころの、哀しいほどに繊細な動きに胸を熱くしたことでしょう。詩人の永眠する身照寺の、あの球形の墓石の前は、とりどりの献花でうずまっていることでしょうか。黄金色の波をなす花巻郊外の田園の風景、北上川のイギリス海岸の岸辺で風におよぐコスモス、「なめとこ山の熊」の舞台、鉛温泉の首まであるあの深い湯…。久しぶりに行ってみたいなあ、花巻。
(BBSで「トム・ソーヤ」についてちょっと書きましたところ、そのテーマ活動に取り組もうとしているところだ、もっとちゃんと書いてくれ、という声があがりましたので、力不足で“ちゃんと”は書けませんが、再録しながら、こちらオモテのほうで、かいつまんで…)
賢治にもこころを寄せるその日、わたし自身は、地域の文化講座で、マーク・トウェインについて2時間ほど口演してきました。その処女作となった「キャラヴェラス郡の跳び蛙」から、代表作「トム・ソーヤの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」。そして悪魔に魅入られたように次つぎと不幸(※注)にみまわれた後半生に、とつぜん、ペシミズムの色が極度に濃くなって、やたら人間の醜悪さ、卑劣さを書くようになりますが、その象徴的な作品「ハドリバーグを堕落させた男」「不思議な少年」といった作品へとたどりながら、その文学的軌跡と、米文学史における意味、といったあたりをしゃべりました。
時間がなく、深くは触れることができませんでしたが、わたしがほんとうにしゃべりたかったのは、「トム・ソーヤの冒険」と「ハックルベリー・フィンの冒険」のあいだの比較。わたしが比較するまでもなく、文学としての社会的な評価は圧倒的に「ハックルベリー・フィン」なのですが、日本における人気という点では、これまた圧倒的に「トム・ソーヤ」のほうなんですね。ラボのものも含めて、子どもらしい自然さ、無邪気ないたずら、悪知恵、大人が押しつける規範への抵抗、冒険…、といったところで日本の読者に受けていますが、この作家が生涯を通じて本当に書こうとしたのは、そういうことではなく、「トム・ソーヤ」のほうではこの作家に特有の諧謔の精神はぐっと薄められているように思います。
「トム・ソーヤ」を書いたのが41歳のとき、「ハックルベリー・フィン」を書いたのが49歳のとき。作家としての成長、人間としても成熟、ということもあるでしょうが、「トム・ソーヤ」には、初期の傾向、フロンティアのトール・テール(ほらばなし)の雰囲気が多分に入っています。処女作「…跳び蛙」に近い、軽いユーモラスな筆致の、自由奔放さがあり、それが魅力でもあります。中西部にあってさんざん失敗を繰り返し、一攫千金を夢みてゴールドラッシュに沸く西部へ兄とともに行きます。鉱山のまわりをうろうろ徘徊する日々のあと、やっと新聞社に職を得て文章を書くようになりますが、新聞といっても、教養のない鉱山労働者たちが読む新聞ですから、内容は、社会的なニュース、政治状況、社会思想なんぞとはぜんぜん違います。場末の酒場で語られるような、おもしろおかしいバカばなしであり、うわさばなし、悪口陰口、それに他愛もない娯楽、そんなものばかりです(「ミシシッピーの人びと」参照)。もう、虚栄も知らない、ナマの人間そのままを生き生きと描くことをやって、とつじょ「太平洋岸の野性的ユーモア作家」として東部のほうでも評判になります。その流れの勢いのなかで書いたのが「トム・ソーヤ」と云えるように思います。俗語や方言をめちゃくちゃ使いこなした、簡潔で率直な文章と云えるでしょうね。もちろんこの作家には文学修行の経験なんてありません。
わたし個人の好みとしては、どうも、そういう文章は苦手でした。ひと世代前の作家、たとえばメルヴィルやホーソンの格調高い文体に馴染んでいたこともあるでしょうが、いくら斬新だといわれても、臭くって、軽くって、どうも好きになれませんでした。
しかし、ヘミングウェイが「アメリカ現代文学は『ハックルベリー・フィンの冒険』の一冊にはじまる」と云ったように、読んで一発、たしかにこちらは傑作だと思いました。日本では「トム・ソーヤ」の姉妹編と呼ばれることが多いですが、やめてくれ~、といいたいほど、こちらにはピーンと来るものを感じました。方言を駆使した闊達な表現で子どもの世界をそのまま描き出し、素朴というか粗野というか、空想力に満ちあふれた子どもならではの自然さ、その自由さをテコにして、虚偽と虚栄に満ちた大人社会を皮肉る、その諧謔精神、ユーモラスな味は、「トム・ソーヤ」とも共通するのでしょうが、それでも、どこかで決定的に違うんですね。
何気ない表現ですが、ハックが逃亡中の黒人奴隷のジムと筏でミシシッピー川をくだる旅のなかで、こんなことを云います、
「なんたって筏のうえほど気のきいたところはありはしないぜ。他の場所へ行ってみろ、狭苦しくって息がつまるようだ。ここはそうじゃなくって、とっても自由で呑気で、いい気持ちなんだ」
アメリカの背骨のようにしてまん中を南北に貫く大河、アメリカの人びとが誇りとして尊ぶミシシッピーの大自然をバックに描かれた一大叙事詩というだけでなく、アメリカのノドに古くから突き刺さっているトゲ、人種差別の問題を、ふたりの少年のごく自然なふれあいでヒューマンに越えていっていますね。この作家の本領はここではないでしょうか、マーク・トウェインが「アメリカ文学の父」と呼ばれ、アメリカの国民的作家とされるのは、ここ。そして、この作家の作品を読み解くポイントもこのへんにあるのではないでしょうか。
それにしても、ハック。仕事もしない呑んだくれで、何かといえばすぐぶんなぐる、どうしようもない粗野な父親と決別して、自らつくりだす筏のうえの自由さ!(トム・ソーヤの家庭環境とはまったく違います)。そこでははっきり云わないでも、アメリカ社会の腐敗、愚劣さ、物質万能主義、センチメンタリズム、偽善といったものが、雄渾な大河の流れのうえにハダカにされ、ふわふわアブクのように浮き上がって見えてきます。
“気のきいた筏のうえの自由な日々”…。いまの日本の子どもたちの閉塞感と孤独を想うと、なんという晴ればれとした風光ではないか! 自由といいながらちっとも自由でないこのごろの子どもの実像とは、なんと好対照的なことか! 「トム・ソーヤ」のテーマ活動に取り組むに際しては、皆さんよくご承知のこととは思いますが、ぜひ「ハックルベリー・フィンの冒険」まで広げてテーマを探ってほしい、と、わたしは思うわけです。
※注…絶頂期を経て、50歳代の半ば、相次ぐ不幸にみまわれます。まず、母の死、自分のつくった出版社の破産と巨額の負債、長女の急死(脳膜炎)、妻の喘息発作の発病と死、すぐつづいて次女の交通事故死、三女は風呂場で不慮の死…、といった不幸。晩年のマーク・トウェインは、ペシミスティックな作風を示すようになり、悪夢や予言に深い関心を寄せ、白い衣服しか身につけないというような奇行が目立ったといいます。
★…「トム・ソーヤ」と「ハックルベリー・フィン」転記スミ⇒「物語寸景(5)」
★…関連:ストウ夫人「アンクル・トムの小屋」と「ハックルベリー・フィン」⇒「物語寸景(2-4)
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小夜――『はらっぱのおはなし』(松居スーザン、あかね書房)のことを千葉のばーばーじゅこんさんがご紹介していました。コオロギ、クモ、アゲハチョウ、テントウムシ、アリ、カミキリなど、夏の野の生きものたちと、北海道の自然がきれいに語られていて、すてきでしたね。
がの――こちらが夏のおはなしなら、スーザンさんは『冬のおはなし』(ポプラ社)も書いていて、キツネやウサギ、タヌキ、オコジョなど、冬の森に生きるものたちが、北海道の雪と氷と風のなかでそれぞれのゆかいなおはなしを語ってくれています。ほんとうにゆたかな生きものたちの世界です。
小夜――オオハクチョウのおはなし、すてきでした。『チピヤクカムイ』で描かれる北海道の世界も、スケールがおお~きく、その自然はきれい。いい香りをのせた透き通った風が大地いっぱいを撫でていくよう。オオジシギがカムイのいいつけをつい忘れてしまったのも、わかるような気がするわ。
がの――小夜ちゃんも、お使いに行ったのになかなか帰ってこなかったじゃないですか。本屋さんに入って、立ち読みをはじめたらもうやめられず、おかあさんにいわれたことなんて、すっかり忘れちゃって。
小夜――このところ、いくつか、北海道開拓のおはなしを読んでいたら、すっかりこころをうばわれてしまいました。その自然の美しさだけでなく、入植してきた人びとのまっすぐな意思とご苦労、とりわけ、きびしい自然との戦いには、読んでいてからだ全体が熱くなるような…。
がの――きれいだ、かわいい、といわれて愛されるスズランの花。北海道の象徴のようにして語られる花ですが、あの植物を駆除するのが、森林を切り拓くこととともにだいじな開拓の仕事の第一歩で、スズラン駆除こそが開拓の歴史だった、なんてはじめて知りましたよ。
小夜――スズランには毒があり、牛や馬や山羊や羊がこれを食べると中毒をおこし、とても困ることになったようでしたね。
がの――北海道の開拓は、まず川に沿っておこなわれました。ですから、洪水との戦いでもありました。いまも川に縁の深い地名がたくさん残っています。
小夜――○○ナイの「ナイ」は川のことですってね。
がの――稚内、静内、岩内、神恵内、歌志内…。函館の近く、松前半島には木古内、知内。みんなアイヌのことばのなごりをとどめる地名です。ばーばーじゅこんさんの生まれ故郷の小樽も、ずっと昔は「小樽内」といったそうですよ。「ナイ」に近い「ナエ」となると、小さな川、谷川のこと。
小夜――「ペンケ」「パンケ」もひびきのおもしろいことば。ペンケは川上のこと、パンケは川下のこと。
がの――ほかには、○○別という地名を北海道でよく聞きませんか。よくわかりませんが、これも川と関係があるような気がしますね。
小夜――登別、江別、芦別、紋別、士別…。うーん、なるほど。
がの――日本地図を見てみようか。ここが知床半島でしょ。オホーツク海に面する海岸に沿ってずうっと北、宗谷岬までたどってみると、薫別、女満別、津別、湧別、紋別、浜頓別、鬼志別。さらにそこから日本海側に沿って南下してくると、すぐに遠別、初山別、と。細かに見ていけば、道内各所にもっともっとありそう。そのほかには、小夜ちゃん、どんなアイヌのことばをおぼえましたか。
小夜――「カムイ」はカミ(神)に似ているわ。道のことは「ル」ですけど、これも「ロ(路)」に似ている。留辺蘂(るべしべ)とは、もとは「ル・ペシュペ」で、超えていく道、つまり「峠」のことだったそうですね。メノコといえば娘さんのこと。内地の人のことはシャモと云ったのね。夏はサク、冬はマタ。夏には花たちがいっせいにサク、冬にはマタきびしい吹雪が来る、ということかしら。
がの――はっはっは…。それはどうかな。
小夜――それに、ちょっと気にいったひびきをもつことばは「チャランケ」。「キツネのチャランケ」というおはなしがありましたね。
がの――そういう名前のキツネのことかと思いましたよ。そうじゃなくって、談判すること、交渉して許しを乞うことですってね。そうそう、ラボのおはなしの『チピヤクカムイ』にもチャランケの場面がありましたね。
小夜――カムイのいいつけで、オオジシギは六つの空を通り抜けて下界に行きます。人間がいまどうしているか見て来て報告しなさい、とのいいつけでした。ですけど、小夜と同じおばかさんのオオジシギは、下界があまりにも美しく、木の実はあまりにもおいしいので、もう、夢中になってしまい、カムイのいいつけなんてすっかり忘れてしまいます。
がの――アイヌの神はきびしいね。小夜ちゃんを叱ったおかあさんほどには甘くないよ。やっと気づいて帰ってきたオオジシギを棒でたたいて下界へ突き落とします。いくら言い訳をし、チャランケをしようと、カムイは一度の失敗さえ許してくれません。それを安易に許すほどには北の国の暮らしは甘くない、ということでしょうね。オオジシギは、吹雪のつづくきびしい北海道の冬を死にそうになりながら耐えなければなりませんでした。
小夜――かなしいですね。福寿草の咲く春になり、翼に力がよみがえってきても、ついに許されることはありません。故郷恋しさにオオジシギはヒューッと天近くまでのぼりますが、ついに天に入れられることなく、またスーーッと急降下。これをいつまでもいつまでもくり返して、それで生涯を終えるんですから。
がの――ひとからものをたのまれたり約束したら、どんなことがあってもそれを守らなければならない、自分の欲望におぼれてはいけない、ということを語るおはなしでした。
小夜――どうしてなのか、アイヌのおはなしには、このチャランケがときどき出てくるように思いませんか。
がの――おとうさんは白老(しらおい)とか二風谷(にぶたに)・平取(びらとり)とか、いまも残るいくつかのアイヌ部落をずうっと以前に訪ねたことがあります。平取の長老から聞いたおはなしが『チピヤクカムイ』によく似ているんですね。
小夜――わあ、アイヌの古老から直接おはなしを聞いたのですか。ね、そのおはなし、して。
がの――細かな部分は忘れてしまいましたが、こんなおはなしでした。オオジシギではなく、ヒバリが主人公。ヒバリは青空の広がるよい日には一日じゅう高い空で鳴きつづけていますね。あれは、空のカムイに「帰してください」「わたしが悪うございました」「これからはぜったい約束は守りますから」とチャランケし、謝っているんですって。ヒバリって、もともとは、空のカムイに仕える召使いだったの。ある日、空のカムイはヒバリに「神のなわしろのイチゴがどれほど熟れて色づいたか、行って見て来い」と命じられます。ヒバリは得意になってピューッと地上に舞い降りました。まあ、なんという気持ちのいい風。それに、たわわに実ったイチゴはつやつやとし、まっ赤に熟れています。一つついばんでみました。なんという甘さ! なんという香り! もう一つ、もう一つ、と食べ、もうやめられなくなってしまいました。ハッと気づいて、あわてて空のうえへ帰ろうとしました。しかし、いいつけに逆らった召使いに怒った空のカムイは、空への道をピシャリと閉ざし、がんとして入れてくれません。いくら泣いてお詫びしチャランケしても、カムイは聞き入れてくれません。ですから、いまもヒバリはあんなふうにチャランケをして鳴きつづけているんですって。
小夜――『チピヤクカムイ』とよく似ているわ。どちらが原型なんでしょうか。オオジシギもヒバリも、北海道の大地に、人のすむ地上にすばらしい楽園を見たのですね。浦島太郎やリップ・ヴァン・ウィンクルは、はるかな異界に桃源郷を見ましたけれど。
転記スミ ⇒ 「小夜& GANOトーク=4」
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私事にわたってはなはだ恐縮ですが、わたしがラボのこのネット「ひろば@」に加わって早や2年8か月、計32か月になりました。ごく軽い気分で加えてもらったのですが、気づいてみれば、101件におよぶ「日記」を書いて皆さんに読んでいただきました。月平均3項といったところ。ずいぶん書いてきてものです。そろそろ…かなあ、と思うこのごろ。
ラボの活動をなさっている皆さんとのあいだには、いわば地球と冥王星ほどの距離のあるわたしのようなものが、勝手気ままなことを書いてきたわけで、この101項の「日記」、1553件におよぶ「掲示板」の書き込みが多いか少ないかは別にして、100項を過ぎたことを機に少しずつ整理しようかと考えました。
まずは容量を超えそうな画像を古いもののあたりから削除しようと試みました。そういたしますと、ふだんはほとんど見ることのない「新着日記」、こころならずも、そこにずうっと以前のものが“新着”日記としてバッチリ出てしまい、30件しか載らない新着日記一覧画面からほかの皆さんの「日記」を駆逐するかたちになってしまったことに気づきました。まずいですねぇ。
まことに、まことに申し訳ありませんでした。
「新着日記」に出ない修正・整理の方法はないものかと、いろいろ悩んだり試みたりしているところです。
そんななか、たまたま、リンドバーグ夫人の「海からの贈りもの」について書いた日記「空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に」が出てしまったのを機に、改めて自分のものを恥ずかしい思いで顔を赤くしながら読み直していたときでした。どんなふしぎな附合か、candyさんの、この作品をめぐるBBS書き込みを得て、びっくりさせられました (BBS参照)。
ありがとうございました。

ヤマオダマキ、尾瀬沼にて
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10年以上も前になるでしょうか、箱根の湿生花園でチラと見た記憶のある花。
そのとき以来、レンゲショウマの可憐さ、清楚さのイメージは
こころのスクリーンに焼きついて離れることはありませんでした。
身の置きどころもない熱暑の季節。涼やかなイメージをお届けしましょう。
8月21日、この日はどこへ行っても、前日の甲子園の高校野球決勝戦、
大接戦の試合の話題一色に日本じゅうが塗りつぶされた日の翌日。
決勝戦再試合を見るには心臓がどうにかなってしまう心配があり(?)、
わたしは朝一番で奥多摩へ向かう電車に乗りました。
台風10号は列島から逸れ、雷雨の心配もほぼなくなって、
お天気はようやく安定。各地で35℃という残暑が云われるときではありましたが。
(御岳山、標高929メートル。早朝の山のうえは22℃でした)。
かつて知人が感動をもって語ってくれた御岳山のレンゲショウマ。
ラジオで、たまたま、7月末日から9月3日まで「レンゲショウマまつり」が
おこなわれているという情報を得ました。8月下旬ごろがもっとも見ごろという。
この機にわたしも自分の目で見たい、押しかける人の群れを避けるには、
土曜・日曜のあとの月曜、この日しかない! というわけ。
(それでも、アマ・プロのカメラマンがワンサカ、わんさか)
さて、この花の奇跡のような美しさは、百万言を費やすよりは、見ていただくしかありません。
多くの画像を差し込みましたが、遺憾ながら、わたしの撮影技術には限界があります。
もっとダイナミックにこの花をご覧になりたいという方は、
「かんてんばばガーデン」のレンゲショウマのスライドショーはいかがでしょうか。
http://nick21.hp.infoseek.co.jp/renge_syo/renge_syo.htm
清楚さと高雅さを一点に集めてかためたような愛らしい花ですが、
どうでしょうか、自分の美しさを知らず、下うつむいて恥らうかのよう。
こころの思いをことばにできず、ただ控えめに、涙をいっぱいためた目を上げ、
悲しげに訴えかける可憐な少女のような魅力。
ケーブルカーを登りきり、売店をぐるりとまわるようにしてその背後に。
広い北側斜面は落葉樹林になっていて、湿気高いその林床に約5万株が自生、
夏の木漏れ日のそよぎに合わせて、細長い花茎の先で、たよりなげに
かわいい首を振って呼吸するすがたは、無垢な妖精のつつましい舞いを見るよう。
金緑色のま~るいツボミも、なんともかわいい。
ここでは9月上旬まで花が見られるそうです。
レンゲショウマ(蓮華升麻)、キンポウゲ科レンゲショウマ属。
学名:Anemonopsis macrophylla
なお、この山では、レンゲショウマのほか、この季節ですと、
ツリガネニンジンに似た紫色のソバナや、ヤマホトトギス(ヤマジノホトトギス)、
秋海棠、そのほか、とりどりの花が澄んだ色を競っていますし、
早春のころにはカタクリの群生、梅雨期のアジサイもたのしみ。
また、多摩川が岩を食んでまっ白なしぶきをたてる渓流を見下ろす
日本画家・川合玉堂さんの美術館ですごすひとときも、ゆかしくすばらしい。
☆…適当な時期がきましたら画像は削除いたします。オリジナル・サイズの画像をご希望の方は、私信メールのほうから、どれを、とご指定のうえ、お申し出ください。デスクトップの背景に、と評判をいただいております。
☆☆…転記スミ⇒今月の花神
☆☆☆…画像6点削除(09.08)
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ギンリョウソウ(銀竜草)
Monotropastrum イチヤクソウ科
尾瀬の至仏山からの下山路、尾瀬ヶ原の渺々たる緑の広がりと
青い空を映す池塘を眼下にするけわしい道のわき、
うす暗く、一年じゅう陽光の射すことのない木の下蔭で、
たまたま目にとまった花(?…花と云えるのだろうか)。
みずみずしい色を見せる高原の花々を撮影することをひとつの楽しみにしての登山。
だから、ちょっとヘンテコリンなキノコ、と思って、
あまり気もないままレンズを向けたのがこれ。
ギンリョウソウ(銀竜草)というのだそうだ。
事実、「ユウレイタケ」という別名があるほどで、
知識に乏しいわたしが「キノコ」と思い違いをしたとしても、
あながち責められねばならぬほどのことではないように思うのだが。
あとで友人に訊くと、これを見たとはたいへんラッキーで、
何度も尾瀬に来ている人でもめったに見ていないはず、とか。
いっしょに行った案内役の友人さえ、見ていなかった。
足に痛みをおぼえ、すっかりヘタばって青息吐息、もうダメと、
よろよろ下っているそのときにふと目にとめた、というもの。
で、これはキノコではなく、れっきとした被子植物なんですって。
落ち葉が腐食したところに生える菌類と共生し、
それを栄養素として摂取して育ち、最後、秋には茎が倒れてつぶれ、
その中にあったタネがホウセンカのようにはじけて飛んで子孫を残す
という仕組み。一昨年9月9日、ここの日記で紹介した
「ナンバンギセル」(写真・下)と同類の腐生植物の一種か。
(萬葉集で「思ひ草」として詠われている妙ちきりんな花)
なるほど、じめじめした暗いところ、あまり人の寄りつかないところで発見した。
ごらんのように、気高いほどに透き通った、きれいなホワイトシルバーで、
丈は15~20センチほど。暗やみに生きる妖精のようにキラッと光る。
葉緑素はまったく持たない。葉を見ると、ウロコのようになっている。
このことから、人はこれを銀色の竜に似ていると見て「銀竜草」と命名した。
しかし、どうだろうか、わたしにはどうしても「竜」には見えないのだが。
もっとも、この年になるまで「竜」そのものにお目にかかったことはないのだが。
禁じられるまでもなく、これを自宅まで持って帰る気持ちにはなれないけれど、
人によってはこれを栽培して薬として使い、おカネ儲けをしているらしい。
高価なもので、強壮・強精、鎮咳作用にテキメンの効果ありとか。
ラボのみなさんには毒にもクスリにもならない話題でしたね。
ちょっとめずらしいかな、と勝手にご紹介しました。あしからず。
ナンバンギセル(古称“思ひ草”)。ページ一覧「萬葉植物」参照。
転記スミ⇒「今月の花神」
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梅雨があければ、列島はドッと酷暑。フーッ、暑! 汗、汗、汗…、とはいえ
避暑には行けぬしがない身、さて、どこへ避難しましょうか。
冷房のきいた図書館は子どもたちと高齢者に早くから占拠されているし、
デパート。…うん、デパートがいいね。そんなに買うアテはないけど。
街の夏祭りをひかえて、ゆかたすがたの美しい女の人たちが、
ウチワ片手に、しゃなり、しゃなりと艶麗な装いを見せて。
いえいえ、わたしはちゃんと買い物があって行ったんですよ。
正面ホールのディスプレイに子どもたちの輪が幾重にも。なんだ、なんだ、おお、なんだ…?
ピーター・パンとウェンディたちが、いままさにロンドン塔を飛び越えようと。
おお、ティンクも、いる、いる。ネヴァーランドへまっしぐら。
ウラにまわれば、かわいいタイガー・リリーが、あわれ、後ろ手にしばられ、ボートでつれ去られようと。
ピーター、早く、早く助けてあげないとたいへんだ~。
そしてこれは、ウェンディ、マイケル、ジョンの最大のピンチ、からだをぎりぎりにしばられ、
まさに板わたりの刑に処せられようと。「きりきりしゃんとしろいっ!」
下にはワニさんが大きな口をアングリと。
だれが作ったか、なかなかよくできている。微妙な動きも見られ、刃物が不気味にキラリ、キラリ…。
(付記:カワイ・マサヒロさんという東京・町田市在住の人形作家の制作だそうです)
クイズになっていて、小さなおともだちが用紙に答えを書き込んでいる。
「答え、おしえてあげないもんねぇ」
「イーッだ、おしえくれなくてもいいもん」
教えられないでも、このおはなし、みんなよく知ってるみたい。
(付記:クイズです。海賊船上での決闘、このときピーターたちが相手にして
戦った海賊どもは何人ですか? …さあ、あなた、おわかりでしたか?)
※1週間が経ちましたので、画像は1点を残し、他は削除させてもらいました。
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あまんきみこ「ちいちゃんのかげおくり」
小夜――おとうさん、“かげおくり”しよう。
がの――むりですよ、それは。こんな梅雨空で、いまにも雨がおちてきそうじゃないの。それをするなら、雲ひとつない、まっ青な空がいっぱいに広がっているようなときでなくちゃ。
小夜――ちいちゃんは、ひとりぼっちになったあと、青い空からのおとうさん、おかあさんの声を感じて、かげおくりをしました。ひと~つ、ふた~つ…。
がの――ここのつ、と~お。……スーーッとかげが立っていき、青い空にくっきりと白いすがたがあらわれました。
小夜――ふしぎ。それはちいちゃんひとりだけのかげではなく、おとうさん、おかあさん、おにいちゃんもいっしょのかげでした。おとうさん、おかあさんのあいだに、ちいちゃんとおにいちゃん。みんなでしっかり手と手をつなぎあっていましたね。
がの——そして、そのまま、ちいちゃんのからだは風のようにすきとおって、すうーっと空のむこうへ吸い込まれていきました。
小夜――おとうさんは、小さいころ、 “かげおくり”で遊んだことがありますか。
がの――いいや、知りませんでした。でもね、いなかの川の堤防などで、お友だちみんなが夕焼け空に顔を染めながら、かげふみごっこをしてよく遊びましたよ。長い長いのっぽさんのかげができるのよね、日がかたむくころになると。
小夜――それにしても、ふしぎですね、青い空に自分のかげが白く映るなんて。
がの――映画やテレビとおなじ、残像の効果でしょうかね。まばたきをしないで足もとの自分のかげぼうしを見ている、ジーッと十かぞえるまで。それからそのままソーッと目を上に向けます。目のさきがさえぎる雲もない青空だったら、空中に白いかげが映っているというのね。
小夜――いつか小夜もやってみよう。それはたのしいお遊びですけど、おはなしのほうはそういうものではありませんでした。からだの弱いおとうさんまでが戦争にかりだされていく時代で、おとうさんからこのお遊びをおしえてもらうのが、出征してお別れする前の日のことでした。家族そろった、さいごのたのしいひとときだったのですね。
がの――あとに残されたおかあさん、おにいちゃん、ちいちゃんは、はげしい空襲に追われ追われて逃げまどう毎日になります。そんななか、ちいちゃんはおかあさんともはぐれて、ひとりぼっちになってしまいました。
小夜――おかあさん、おにいちゃんが帰ってきているはずの、もとのおうちへ行ってみると、そこはあとかたもなく焼けて何も残っていませんでした。おかあさん、おにいちゃんも、どこにいったのでしょう、待っても待っても帰ってきませんでした。ちいちゃんという、小夜とおなじくらいの小さな女の子は、そうして遠い空のむこうへ行ってしまったんですね。
がの――お花ばたけのむこうにうかんだ、おとうさん、おかあさん、おにいちゃんのかげ、…笑いながらこちらに近づいてくる三人の像にむかって、ちいちゃんは行ってしまう。
小夜――60年前にあった戦争のことをもう一度考えてみる、いい機会になりました。亡くなった人の霊魂が帰ってくるという日本の夏ですし。candyさんにおしえていただいたご本です。ありがとうございました。
※あまんきみこ=作、上野紀子=絵「ちいちゃんのかげおくり」あかね書房
☆…転記スミ⇒「SAYO & GANO トーク《4》」
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目白の椿山荘で、近くの里山で、それに…。
たまたま今年はホタルを目にする機会に恵まれています。
シュークリームさん(神奈川)は、子どもたちが安心して遊べる川をとりもどそうと、地域をあげて取り組んでいることを書いてくれていますが、わたしにも、同様な活動のなかでうれしいことがありました。ヴォランティアで関わっている福祉施設のうちのひとつ、ある老人保健施設。雑木林の奥に3年ほど前につくられた、静かな、たいへん自然環境に恵まれたところにある施設。介護施設のなかを流れる幅1メートルにも足りない小川があり、森から流れだすきれいな水を見ることができます。その小川に、2年ほど前からカワニナを放つなど、ホタルを呼ぶ運動をつづけてきました。わたしはすこしお手伝いしたにすぎないのですが。で、ハイ、ついにあのふしぎな発光体の、青い光の舞いをご老人たちに見てもらうことに成功しました。ええ、もちろん、お年寄りの人たちの喜ぶまいことか!!
はなしはクルリと変わりまして…。
「ホタル」という映画をご覧になりませんでしたか。平成13年、高倉健さんのキモ入りで東映がつくった作品。戦後を苦悩と悔恨のなかで生きてきた世代の日本人のこころのすがたを描きだした、東映創立50周年を記念する感動的な映画ですね。
3月4日のここの日記でヘップバーンの「ローマの休日」をめぐってご紹介したことのあるSDS(スクリーン・デリバリーサーヴィス)、いわゆる出前映画ヴォランティアのご協力を得て、地域の中高年世代の方にすぐれた映画、なつかしい映画を見てもらう地域活動の一環で、それより先、いつだったか「華岡青洲の妻」もここでご紹介したような記憶が…。きのう(7月12日)、ふたたびその映画会を催しました。
降旗(ふるはた)康男の監督、竹山洋・降旗康男の脚本。主演の高倉健さんは、う~ん、やはりシブイですねぇ。特攻隊の生き残りで、多くの戦友たちの死を目の前で見てきて、その愛惜と懺悔の思いのなかで生きている貧しい漁師。特攻隊の発進基地である鹿児島の知覧の近くから離れることができないでいます。その妻を演じる田中裕子さんは、特攻に殉じた一人の朝鮮民族の戦士(小澤征悦)の、もと許婚者。腎臓をわずらい、人工透析を受ける病弱の身。この夫婦愛のさわやかさ。重い苦悩を背負って八甲田の雪の中で自殺したもと戦友(井川比呂志)のとむらい。そのあと、その戦友をしのんで雪の原野に立ちます。そこで見た丹頂鶴のつがいの所作をまねて舞うがごとく動くすがた、すべてをふっ切る思いをこめて雪を借景にして舞うそのすがたに、おお、涙がこぼれて、こぼれて…。
1年半しかないと宣告される妻の命。自分の腎臓を提供し移植手術しようという夫に、その必要はない、与えられた命をそのままに…、という妻。だが、ぼそり、「ふたりでひとつの命じゃろうが、違うんか」口数少ない、もと特攻隊の生き残りの男が、そういう。
美しい日本を守るために散らした幾多の命。だが、「何のために」「誰のために」と、親からあずかったひとつしかない命を捨てることの意味を問い、最後の最後まで問いつめ、しかもなおその答えはつかめないまま、ただ戦友に笑顔だけを残して沖縄に先進していった少年航空兵たち。その霊がホタルの光となって帰ってくる日本の夏。
高倉健さん、田中裕子さんの好演はいうまでもありませんが、若い命を散らす前のお別れ会のようにして集まる小さな食堂があります。一人ひとりの特攻隊をここで見送ったその食堂のあるじ、すでに老いて不自由なからだになっている老婦人、それを演じた奈良岡朋子さんの演技が真に迫り、泣かせます。さすがブルーリボン賞助演女優賞ですね。(高倉健さんは日本アカデミー主演男優賞を辞退。テーマの重さもあって、辞退したことがまた話題になりましたね)
クライマックスは、韓国人の特攻隊員がわずかに残していった遺品と最後のことばをとどけに韓国・釜山に病妻とともに行く場面。敵艦を目ざし遥かな海へ発進するその前日、仲間二人だけに聞こえる小さな声で言った「朝鮮民族、ばんざい」のことば、許婚者に残した純粋な、思いやり深いことば。釜山の村人全員が敵意のこもった、とがった表情で、いかにも冷淡に、憎々しげにふたりを迎えます。長い長い息づきる緊迫感。「日本が引き起こした戦争で、なんで日本人のおまえが生き残って、兄さんが死ななきゃならないんだ!」という遺族の発するはげしい怒りのことば。主人公の、英霊に対する心底からの鎮魂の思いがようやく届き、その怒りとわだかまりが溶けるまでには長い時間がかかった。遺品をその母親に手渡し、ひとつの役割を果たして帰国しようと野に立つふたりの前に、ホタルが…、南の海の藻屑となって果てた戦友の霊として帰ってきたホタルが、ふ~わり、ふ~わり…。
日本の夏は、あの戦争に思いをいたす季節でもあります。映画の中とはいえ、韓国の人たちが見せたあのわだかまりと怒りは、いまに至って少しも溶けたわけではありません。そして、中国から、韓国から「歴史認識」を問われています。被害者であったが、隠しようもなく加害者でもあった日本の国民。わたしたちはこの歴史から何を学ばねばならないのか、きびしく問われています。寡黙な高倉健さんが何も語らないまま受賞の栄誉を拒んだ底には、胸に落ちないそこのところがあったのではないか、…そんな気がするのですが。
映画「ホタル」転記スミ⇒「つれづれ塾——その《3》」
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昨日(7月7日)、横浜・青葉区あざみ野で開催中(7月9日まで)の世界絵本展をのぞいてきました。
ゆっくりした時間はとれず、ちびちゃんたちとヤングママさんたちの悦びの声にみちあふれるなか、
絵本の世界をあわてて駈けて通ったにすぎないという感じですが、
許可を得て撮影させてもらいましたので、いくつかをご紹介いたします。
全国のテューターさんのなかには、たとえば、
スリランカの絵本普及にご尽力なさっている奈良のcandyさんのような方や、
バングラディシュ、シリア、インドの子どもたちのために
同様な活動をさなっておいでの方もいらっしゃいます。
すばらしい活動ですね。貴い志しですね。
絵本のメッセージでつながれる子どものこころに、
どんな明かりが数珠つながりに灯っていくのか、
測り知れない楽しみです。希望です。
一言付言させていただきます。
数百におよぶ絵本作品のうち、ひときわすばらしいものが外国絵本のなかに目立っていました。
それは、なんとまあ、ラボの " Alice In Wonderland" それに "THE MITTEN"でした!
(これ、わたしが撮影のためにわざわざ上に置いたのではありませんよ)
「へ~、アリスっぽくない~」なんていう若い方の声が聞こえたり、
「あっ、これ、見た~。うちの子、てぶくろのはなし、だ~いすき。ふ~ん、きれい。英語版もあるんだ~」
思わずわたしは言ってしまいましたよ、
「これとこれ、わたしが編集・発行にかかわったんです」
「へぇ~」ということになり、しばしのあいだ、ちょっとした人の輪ができました。
ラボのことも話しておきましたよ。
こころをこめて大事に大事につくった絵本。そういうものはどこにおいてもピカリ!と光りますね。
…と、ひとりいい気分にさせてもらいました。
☆…1週間を経過しましたので、絵本作品の各種画像を削除させてもらいました。
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