幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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風の吹く日に・・・
風の吹く日に・・・ [全1125件] 171件~180件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
三つの展覧会 2008/10/18の日記 10月18日 ()
今日は金曜日、夜8時まで展覧会を見る事ができる
午後から出かけて、三つの展覧会をゆっくりまわった

東京芸術大学美術館
「線の巨匠たちーアムステルダム歴史博物館所蔵 素描・版画展」

国立西洋美術館
「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展(1864-1916」2回目
ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)デンマークの画家

東京都美術館 
「フェルメール展」2回目
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ピカソ展に行って来ました2008/10/06の日記 10月06日 (月)
月曜日の午後
http://www.asahi.com/picasso/、六本木のピカソ展へ行ってきました
アマデウスさんも月曜の午後だったらしい

パリの国立ピカソ美術館が改装するため、実現できた世界巡回展の一環
二つの展覧会で230点の作品を見る事ができる

国立新美術館 2時から4時頃まで
展覧会名  巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡

サントリー美術館 4時頃から5時頃まで
展覧会名 巨匠ピカソ 魂のポートレート

ピカソの作品のなかで、私が理解できない作品は、実のところたくさんある
足早に通り過ぎる作品がある
しばらく見ていても何も感じない

ところが素晴らしい、面白いと心から感嘆する作品が少なからずある
長い時間見ていても、そのデッサン、構成、その色彩に
飽きない絵がたくさんある

青の時代といわれる初期の頃からこの画家はすでに卓越した技量を持っていて
いわば完成された画家であった

その彼が自己破壊と再構成を繰り返す、様々な試みを積み重ね、
91歳の死に至るまで、日記のように毎日絵を描き続けた

その歩みを追いかけきれず、彼の感じた手応えを、感じ取れない
だが時々天啓のように、私の微々たる波長でも答えてくれる作品があるのだ

230点を一気に見ることができるのは
理解できない作品をほとんど見ていないからだと思う
いつの日か面白いと思える日がくるのだろうか

でも昨日、少なくとも30点は堪能できた喜びがある
ああ楽しかった・・・
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ワークショップ『蔵書票をつくろう』に参加 2008/10/04の日記 10月04日 ()
吉祥寺美術館のワークショップ『蔵書票をつくろう』に参加
木版で蔵書票を作る
「EXLIBRIS」というラテン語を入れる
 エクスリブリス(Exlibris)は、本の見返し部分に貼る
 その本の持ち主を明らかにするためのもの
 「だれそれの蔵書から」という意味のラテン語
 蔵書票、書票

デザインは左手を木の方に伸ばしている
木は本や文化の象徴と考えて・・・
左手は自分の手を見てその場でスケッチ

久しぶりで木版を彫った 時間内に彫りきれないところは宿題となり
次回、摺りについて学ぶ

参加者は20名
指導は木版画家 井上厚
参加費2回、材料費込みで2000円
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尾瀬は晴れ、日帰り旅行 2008/09/30の日記 09月30日 (火)
武蔵野市の野外活動センターの企画
草紅葉の尾瀬日帰りハイキングに参加

朝、雨の中を三鷹駅へ歩く
25人乗りのバス2台、スタッフが6人
(野外活動センターから3人、看護師1人、サポートスタッフ2人)
サポートスタッフの2人はサポートスタッフ活動で顔見知り

参加者は44名、200名の応募があったので抽選があったとの事
新里で休憩、
目が覚めると、高速をもう降りて、山の風景の中を走っている

空も晴れてて申し分ない

鳩待峠から山の鼻
ここからは自由行動
昼食を食べてから牛首交差路に向かって歩く

前回5月末に東電小屋一泊の旅程で来たときには
曇っていて燧岳も至仏山も山頂を見る事ができなかったが
今日は鮮やかに見える

草紅葉
リンドウ、トリカブト


未完
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昨日の仕事 2008/09/29の日記 09月29日 (月)
ベニバナトキワマンサクの垣根 刈り込み
http://d.hatena.ne.jp/TouchOut/20070426
ヒサカキの垣根 刈り込み
http://4.pro.tok2.com/~hanazukan/shisakaki.html
その他

涼しい一日だった

おやつに温かいお茶、ようかん、
お昼のデザート?に初物のカキ、あんぱんを出していただいた


今日の仕事は雨のため延期となった
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『田村能里子展』日本橋高島屋に行ってきました2008/09/28の日記 09月28日 ()
『田村能里子展』日本橋高島屋に行ってきました


今日、仕事が早く終わったので行ってきました

アジアの悠久の大地とそこに暮らす人々の姿を描いた
いい絵でした

ふだん描きためてきた素描をもとに人物を配置している事
・・・大画面が素描から組み立てられている事が分かりました

アジア人にしか描けない線で、人物の顔や手足を描いている事
・・・日本画のような線でした

アジアの大地や
人物がまとっている印象的な生成りの服をローラーで描いている事
・・・ローラーでこんなに描けるのですね
   山野は現実の風景ではなくイメージとしての風景でした

等が心に残りました

田村能里子
http://tamuranoriko.yukigesho.com/

京都嵐山、臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院「宝厳院」
本堂の再建にあたり描かれた、60mにわたる襖絵
http://tamuranoriko.yukigesho.com/info20081.html
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映画『21グラム』2008/09/27の日記 09月27日 ()
21グラム

21グラム、21 Grams
2003年【米】 上映時間:124分

ケーブルテレビで、前に後半だけ見ている
物語展開に
時間がさかのぼってゆくので、わかり憎い映画ですが
2回めなのでよく理解できた
愛する家族、夫と二人の娘の突然の死という重いテーマの映画である
残された妻の苦しみ
引き逃げをした男の苦しみを丁寧に描いている


監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
キャスト
ショーン・ペン       ポール・リバース
ナオミ・ワッツ       クリスティナ・ペック
ベニチオ・デル・トロ   ジャック・ジョーダン
シャルロット・ゲンズブール メアリー・リバース
メリッサ・レオ       マリアンヌ・ジョーダン

人が死ぬと21グラム軽くなるという

A,夫と二人の娘が事故で死んでしまい、残された妻
生きる気力なく毎日を過ごしている
引き逃げをした男を許せない『殺して欲しい』

B,引き逃げをした男、ベニチオ・デル・トロ

前科があるが、キリスト教に帰依している
失職中、事故の後逃げたが、妻がとめるのを振り切って
警察に出頭、拘置所で自殺を図るが、生き残る
証拠不十分で釈放される

『神は髪の毛一筋でも動かせばわかる』と教えられた
『なぜ神は私をこのような目にあわせるのか』
(車は当たった、だが事故を起こしてしまった)

心は癒されず、家を出て、モーテルで一人暮らしている

『地獄はここにある』(と頭を指差す)『殺してくれ』
その妻、メリッサ・レオ

『それでも人生は続いて行くのよ』
『あなたがいるべき場所はここ(家庭)よ』
『こどもたちには父親がいる』
 幼いふたりのこどもがいる

C,夫の心臓を提供され移植された男 ショーン・ペン、
心臓病、数学者
心臓の提供者を調べ、残された妻に近づく
その妻、シャルロット・ゲンズブール
こどもを欲しがっていたが、
『僕達は終わったんだ』と告げられ、ロンドンへ帰ってゆく


CはAに近付く
AはBを許せない
Aに頼まれて、CはBを殺そうと、二人でBの泊まっているモーテルに泊まる
CはBを殺そうとするが殺せない
CはBに『姿を消せ」といい、AにはBに殺したと嘘を言う
夜、BがAとCの部屋へやってくる
『殺してくれ」と
Cは撃たない
Aは『撃って」と叫ぶ Bを手にした棒で殴り続ける
混乱の中で、Cの心臓は変調を起こしている
ピストルの音
Cが自分自身を撃った・・二人の争いをやめさせるためか
病院の集中治療室のベットの上のC・・・これが最初のシーン

Cの心臓が止まってゆく
Cへの輸血のための検査でAは妊娠している事がわかる

待合室にいるBとC、二人とも穏やかな顔に戻っている
その後
Aはこどもが生まれる事を受け入れている
Bは家族のもとへ戻る

Cが自分自身を撃った事で
苦しんでいた二人がかろうじて未来への希望を得た
命の儚さとかろうじて残された希望
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ケン・ローチ2006年 『麦の穂をゆらす風』2008/09/25の日記 09月25日 (木)
麦の穂をゆらす風

前に2度見ているが、アイルランドへ行ってきた後
ケーブルテレビのプログラムに見つけたので今日見直した

アイルランド1920年
イギリスからの独立戦争が始まる
過酷であった弾圧と激しい抵抗
イギリスとの停戦にこぎつける
条約締結をめぐる分裂、内戦を描いた
ケン・ローチの作品 2006年

ケン・ローチはイギリス人
イギリス人として、
イギリス政府のおこなった過酷な圧政を断罪している
それへのアイルランド人の武装闘争をやむにやまれぬものとして認めている

しかし反英闘争の中での、スパイの粛正
武装闘争を闘ったものどうしの中でおこった分裂、内戦を描く中で
武装闘争そのものがもたらした、更なる闘争の悲惨へと目を向け
どのような武装闘争であれ、落ち込んでゆく、軋轢を描く

ケン・ローチは闘争の内部の軋轢を、議論の展開を丁寧にたどっている
討論劇のように・・・
そこでは監督も観客も当事者として難しい判断を問われてゆく
そこで闘争する者たちが出会う課題は
アイルランドの問題でありながら
世界各国で闘ってきた者たちに普遍的な問題でもある

今も同じ問題が闘うものたちには、繰り返し発生するしている
ひりひりと胸の痛む映画だ

英国と闘争中の共和国政府は町で法廷を開き 
裁判官は高利貸を断罪する「500%の利子は法外だ 今まで取った金を返すように」
高利貸「正当な契約だった 正当な利益を剥脱するのか」
武装闘争のリーダーは、「彼の金がなければ武器は買えない」と放免しようとする
法廷支持者「これは共和国の法廷で初めて下った判決だ 守ってほしい」
武装闘争のリーダー「この町の四隅を武器で守っている 武器がなければ法廷も守れないんだぞ」
理想と現実との対立

条約
北アイルランド6県は共和国に入れない、イギリスに残る
アイルランド共和国は自治領としてイギリス連邦に残り、国王に忠誠を誓う
自治政府を作る

条約賛成派
「共和軍の銃は3000しかない これ以上闘っても勝てない」
「これはいいチャンスだ」「条約は将来、変えてゆける」

「アイルランドはイギリスにとって小さな国だ
イギリスは第一次世界大戦で1700万人の死を見てきている 我々の死など気にしていない」
「イギリスの保守派がインドや南アフリカを今回のように手放すと思うか」

教会、地主、資本家も支持
総選挙の結果は条約賛成が多数となり、アイルランド共和国が発足した

条約反対派
「北アイルランド6県のアイルランド人ははどうなる」
「国王に忠誠を誓えるか」

「後ほんの少しで我々の共和国になる なぜここで妥協する
あと少し頑張ろう」
「これでは貧乏人には、なにも変わらない」
社会変革、社会主義革命への希望がなくなる

「教会はまたも地主や富裕層の味方なのか」
「総選挙は公正なものではなかった」

ここにも理想と現実の対立がある

武装組織の70%は条約反対派であったので内戦勃発時は優勢であった
共和国政府は残りの30%と左右を問わず、かき集めた兵士で対抗
イギリス軍から引き継いだ火力を使用して、およそ一年で勝利した

イギリス政府は内乱に手を焼き
「アイルランド人に鎮圧させた方がいい」
「そのために自治政府を作らせた方がいい」と考えたという証言もある

その後アイルランドはイギリス連邦からは離脱
第二次世界大戦にも加わらなかった
北アイルランド紛争は長く続き、今は休戦状態
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徒然草にこんなことばがあった2008/09/21の日記 09月21日 ()
徒然草
第72段 賤しげなる物、居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。

 賤しげなる物、居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書き載せたる。

 多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。


う~ん、まいった
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小松 真一『虜人日記 』を読む 2008/09/20の日記 09月20日 ()
虜人日記 (ちくま学芸文庫) 小松 真一 (著)
山本七平の『日本はなぜ破れるのか』でこの本を知った

フィリピンに軍属として派遣されていた技術者の
ネグロス島での体験、戦争、逃避行、降伏、
戦後捕虜生活の記録で、戦後書かれたものではなくではなく
捕虜生活中に書かれた記録である

全体に淡々と書かれているが、
死と隣り合わせに生き、生き延びてきた記録である
何度も危機をくぐり抜けた

著者が直接出会った日本人、将校、兵隊たち
比人(フィリィピン人)、アメリカ人、の様子が活写されている

敗戦の原因を考える考察があり、その指摘は鋭い
p334 21項目より抜粋

1精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事
 作戦その他で兵に要求される事は
 総て精兵でなければできない事ばかりだった
 武器も与えずに
 米国は物量に物言わせ未訓練兵でもできる作戦をやってきた
2物量、物資、資源
3日本の不合理生、米国の合理性
4将兵の素質低下 (精兵は緒戦で大部分は死んでしまった)
5精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)
6日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
7基礎科学の研究をしなかったこと
8電波兵器の劣等(物理学貧弱)
9克己心の欠如
10反省力なき事
11個人としての修養をしていないこと
12陸海軍の不協力
13一人よがりで同情心がない事
14兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事
15バアーシー海峡の損害と戦意喪失・・(兵員輸送船団が多く撃沈された)
16思想的に徹底したものがなかった事
17国民が戦いに厭きてきた
18日本文化の確立なき事
19日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
20日本文化に普遍性なき事
21指導者に生物学的常識がなかったこと
順不同で重複している点もあるが
日本人には大東亜を治める力も文化もなかった事に結論する

軍属であった事で、将校、兵隊の双方と話ができ
それぞれの考え方まで記録されている
日本人が危機にあってどのように生きるか、
どのように行動するか
得難い記録であり、読む機会があってよかった

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小松 真一
1911年東京日本橋に生まれ
1932年東京農業大学農芸化学科卒
大蔵省醸造試験場、農林省米穀利用研究所を経て、台湾でブタノール工場を創設
1944年比島に、ブタノール生産のため、軍属として派遣される
敗戦、1946年まで捕虜生活
戦友の骨壷に隠して持ち帰った4冊の手帳、5冊の画集

(米軍梱包用クラフト紙の表紙、中はタイプ用紙
収容所のカンバスベットのカンバスをほぐした糸で和綴製本されている)
(絵は鉛筆のスケッチにマーキュロやアデブリンなどを
マッチの軸に脱脂綿を巻いてつくった筆で彩色されている)

復員後、食品加工の企業設立
醸造技術を生かし、飲料アルコール原料の協同組合の設立
1973年脳溢血のため逝去
1974年私家版『虜人日記』出版
1975年筑摩書房より『虜人日記』出版、同年の毎日出版文化賞受賞
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