幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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風の吹く日に・・・
風の吹く日に・・・ [全1125件] 1件~10件 表示 次の10件 >>
ともあれ人生は美しい-(ジェリー藤尾の真実 )2012/04/21の日記 04月21日 ()
ともあれ人生は美しい-ジェリー藤尾
歌手、俳優のからの聞き書き 小田豊二
集英社2005年9月,1800円

話している場所の情景、聞き手に対して語っている口調も書き留められているのが良い

逆境のなかで育ち、周りの人とぶつかり、裏切られ、幾度も傷つきながらもながらも
身体の芯はまっすぐに育って、魅力ある男性に成熟されていて、
率直に自らの人生を語っていて気持ちがいい本である
昭和の世相や芸能界の裏の世界の一部を知ることもできた

ジェリー藤尾は昭和15年上海生まれ

NHKのアナウンサー、母はイギリス人の少女
終戦後母と長崎に引き揚げてくる
12歳で母はアルコール中毒となり台所で血を吐いて死んでいた、28歳の死
混血児に対する学校での偏見、いじめ、
幼年時代は家庭内は英語での暮らしであったため、日本語ができないので成績が悪い

10代で喧嘩に明け暮れる暮らし、弱い者いじめはしなかった
足が早く喧嘩で鍛えた体の強さもあって高校でラグビー選手として認められ
オール東京にも選ばれたが、出席日数不足により留年をいわれたことをきっかけにやめてしまう

他にやることもなく、ヤクザとも喧嘩をする新宿での不良生活
新宿に作られた不良グループ三声会に参加 三木ひろむ会長のボディーガードをしていた

三声会を抜けバンドの手伝い、バンドボーイとなり歌手デビュー
三木ひろむは昭和36年「スワン」護衛とともにで射殺された
同じ年歌手デビュー『悲しきインディアン』
昭和37年『遠くへ行きたい』永六輔作詞、中村八大作曲
http://www.youtube.com/watch?v=UcAD2OIOX_U&feature=related

俳優として映画でも活躍
芸能界でのいじめや筋のとおらぬことにも戦い続ける

24歳渡辺トモコと結婚、幸せな家庭だったが、20年後離婚

二人の娘は母ではなく父を選ぶ
男手で二人を育てる
今は二人とも結婚し、孫が5人いる

稲毛のシニアホームに住み、仕事、ボランティア活動を続けている
生涯歌手を続けるとのこと

表紙の写真もいい
http://www.amazon.co.jp/ともあれ、人生は美しい-―昭和を生き抜いたジェリー藤尾の真実―-ジェリー藤尾/dp/442031012X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1335010266&sr=1-1
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フェルメールの食卓  林綾野 / 講談社 / 120ページ / 2011年07月2012/03/29の日記 03月29日 (木)
フェルメールの食卓  林綾野 / 講談社 / 120ページ / 2011年07月

フェルメールの時代、オランダはスペインから独立したばかり、航海術の発展、貿易がこの国を豊かにした。インド、東南アジアからのスパイス、珍しい果物や食材、トルコ絨毯、日本の着物、中国の陶磁器。

トルコ絨毯は机をカバーする飾りであった。フェルメールの絵にもそれが描かれている。ざっと見て10点以上ある。食事をするときには汚れないように一部をめくって使った。

プロテスタントなので聖書を読む。また貿易のため記録も必要だった。そのため文字が普及した。識字率60%。

郵便制度が出来、手紙ブーム。文例集もでている。封蝋、押印によって個人のプライバシーも守られた手紙を読んだり、書いたりしているシーンの絵は5点ある。

低地であるため井戸水は飲めなかった。大人もこどももビールを飲んだ。余裕のある家ではワインを飲んだという。

食事は手づかみだった。料理の味付けは蜂蜜、オイルバター。後半には『賢い料理人』1667年という料理本からのレシペが紹介されていて楽しい。

パンプディング『牛乳を注ぐ女』1658-59年乾燥したパンを牛乳に浸している砂糖、卵を混ぜ牛乳を加えて、パンを浸し、オーブンで焼く
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水彩と水泳で一日が終わった2012/03/26の日記 03月26日 (月)
月曜日水彩 フランスパンやカボチャを二回かけて描いた
おいしそうなフランスパンになかなかならない

一年続いたこの水彩教室も今日で終了
自主グループをつくって継続する予定

午後成蹊大学の前に集合
今度は風景のスケッチ
寒いため集まったのは4人だった
成蹊大学の校舎とケヤキの並木を水彩で描いてみた

水泳のレベルが少し上がったようだ
昨日、今日と40本(2000m)ずつ泳ぐ
今月は総計でフルマラソンの距離までゆくかもしれない

二枚の絵を手直しする
手を入れるとよくなるが、失うものもある・・
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灰色の地平線のかなたに ルータ・セペティス/作 岩波書店2012/03/21の日記 03月21日 (水)
灰色の地平線のかなたに ルータ・セペティス/作 岩波書店

アメリカ、ミシガン州に住む音楽プロデューサーである著者の祖父や父はリトアニアからの難民であった
この本ははじめての著作でソ連によるリトアニアでの知識階級とその家族の逮捕、移送の旅、強制労働収容所の様子を描いている
ナチスドイツによる強制収容所と比べてあまり知られてこなかったソ連の蛮行が、主人公である15歳の少女リナによって語られてゆく

1940年リトアニアはソ連よって侵攻され、併合される
1941年秘密警察NKVD(この後身がKGP)によって人々が逮捕され、シベリアの強制労働収容所(ラーゲリ)に送られる
このなかには乳児、幼児、妊婦までたくさん含まれている
食べ物の乏しい、長い過酷な移送の旅やラーゲリでの労働、酷寒の地であること、
によって病気も多く、乳児やこども、老人から亡くなってゆく

監視兵たちはリトアニア人たちni「国家反逆罪、強制労働25年に同意しろ」と同意書へのサインを強制、断ると眠らせない
それでも次の日は労働である。「ファシストの豚ども」として扱い、即座に射殺することもある。

(1942年から1952年にかけて、スターリン政権下でリトアニア人のシベリア追放政策が再開される。
スターリンによる恐怖政治によってこの時期バルト三国は、人口の三分の一を失ったという
1953年スターリンの死後、政策が変わって、それまで生き延びた人々がやっと1956年頃までに、故郷に帰ることが出来たが、
家屋、資産はすべて奪われており、また犯罪者として監視され、ラーゲリのことはいっさい語ることを禁じられていた)

1991年にようやくリトアニアは独立を取り戻した

家族の記憶、リトアニア人の記憶をもとに、リトアニアを二度訪問し、よく調べて描いている
著者自身の体験ではない。過酷な日々にあって、そのなかで助け合い、生きてゆく人々がいとおしい

p96 「深い絶望の縁に追いやられたと思ったとたん、振り子が逆に揺れて、ささやかだけどいいことが起こる」
p109「あのさ、空を見ていると家の芝生に寝ころんでいるみたいでまだリトアニアにいるような気がするね」ヨーナスがいった。
それは、ママがいいそうな、白黒の写真に明るい色をそえるような一言だった。
p189「深呼吸をして心の中に何かを思い描ければ、そこにゆくことも出来るし、それを見たり感じたりすることも出来ると、
心の中の静かな世界に逃げ込み、新たな力を見いだせていた」
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水泳教室9回コースの6回目 2012/02/23の日記 2 02月23日 (木)
水泳教室9回コースの6回目
4泳法それぞれ練習
例えば
片手クロールとか
クロールで3回目ずつ手をかくときに息をする練習
息をする方向が左右逆になります

片手背泳ぎとか

平泳ぎ足3回に手一回とか、足2回に手1回とか

片手バタフライとか

それぞれ意図はあるのですが
すんなり泳がせてくれません

説明を聴いている時間や他の人が泳ぎ終わるのを待っている時間もあるので大して泳ぐわけではありませんが新しい課題に取り組むので結構疲れます
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家に赤ちゃんが来ている 2012/02/21の日記 2 02月21日 (火)
家に赤ちゃんが来ている

せつなげに泣く
元気に手足を突っ張る
すやすや眠っていて、ちょっと笑ったりする
じっと何かを見ている時もある

「(ピーター・パンは)見た目の年齢は生後一週間です。なぜなら、、生まれて7日たった時、お母さんが寝ている間に窓から飛び出したからです。そしてピーターはロンドンの上空を飛んでケンジントン公園に帰ってしまいました。
「人間は元々はみな小鳥だったので、生まれて数週間の赤ちゃんは誰でもまだ飛び方を覚えているのです」

J.M.バリー『ケンジントン公園のピーター・パン』
(『ピーターパンとウエンディ』より前に書いた作品
アーサー・ラッカムの素晴らしい挿絵があります)

お母さんは寝る時、二階の窓であっても鍵をかけておかなければなりません・・・・

アーサー・ラッカム 「ケンジントン公園のピーター・パン」
http://childrenart.nobody.jp/PeterPan9.html

http://childrenart.nobody.jp/PeterPan.html
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『ゴッホの宇宙-きらめく色彩の軌跡』小林英樹 2012/02/17の日記 02月17日 (金)
中央公論新社 2010年8月 1800円

110ページほどの小冊子だが内容は濃い

私にとってはパリ以前、アルル以前の油絵の色彩の美しさを発見できたことが大きな収穫



1886年パリで印象派に出会う前から、アルルで光の輝きに魅せられる前からゴッホは色彩の画家であった

パリに出て来たゴッホが目にした印象派の色彩は表面的なものでしかない

それまで追求してきた「色彩そのものが表現である色彩」とは遠く隔たっていた



「夏にかけてモンマルトル界隈、40点近くの花瓶に入った花、靴や鰊などを描く

高彩度なものから沈んだモノトーンのものまで色彩について模索を繰り返した」など

印象派とどのように出会い、どのように乗り越えていったか、わかりやすい記述であった



ゴッホが同じことは二度しない、「造形的展開という長い階段を上り詰めてくタイプの画家である。

画風の変化は単なる変化ではなく、新たなものが加わって展開してゆく」

ゴッホが同じことは二度しないで造形的な階段を上り詰めていっていることをわかりやすく描いている

「画風の変化は単なる変化ではなく、新たなものが加わって展開してゆく」



p97ゴッホの色の作方も参考になる



図版は小さいがあまり見たことのない絵もたくさん見ることが出来た
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『ゴッホーはたしてゴッホは感情のまま筆を動かしたのか 』2012/02/15の日記 02月15日 (水)
ゴッホーはたしてゴッホは感情のまま筆を動かしたのか
視覚デザイン研究所・編集室
視覚デザイン研究所1994年4月2505円

ゴッホの絵を模写することによって、ゴッホの絵がどのように成り立っているのか発見してゆく
ゴッホが到達した技法をよく理解できる素晴らしい本でした


『ひまわり』部分複写
『夜のカフェ』全体複写
『糸杉と二人の娘』部分複写
部分でも全体でもよいが原寸大の模写を勧めている

P10はね橋ートーンより色、客観より主観
それまでは写実的、客観的に表現しようとするならば、色よりも明暗を重視するのが当然のことであった
しかしゴッホは「色彩」それ自体の価値を最重要と考えた
『調子と色彩を同時に出すことは不可能だ。北極とか赤道とに人は同時にはおれるものではない』
『どちらを取るか決意が必要だ。それを、ぼくもはっきり決めようと思うが、多分色彩だ』

p22絵の具
  現在市販されている絵の具は年度が弱くゴッホの画面のような弾力は出ない
  そのためルフラン社のメディムダンパートマン(増量剤)とメデゥムフラマン(マスティック樹脂、タッチを強く残す)を3対2の割合で混ぜ、パレットナイフでよく練り、絵の具に混ぜて使った
  ゴッホはパレットナイフを絵を描くときには使っていない
p25荒目のキャンバスを使っている
  あまり太い筆は使っていない
 ウェットインウェットは硬い筆では出来ないので軟毛の筆もよく使っていた
 ウェットインウェットは先においた絵の具が乾く前に別の絵の具をのせて描く
p34何度も素描して構図と色彩のプランを練った
  キャンバスに向かうといきなり絵の具で描き始めた(下描きをしていない)

p56黄色、黄金に輝くものたち
p58赤と緑
p69ほとんど混色した中間色を使っている

p99ゴッホにとっての点描は、画面を活性化し動きや密度を表現する重要な要素であった
(同じ大きさの点を並べ、離れたところから見たときの色彩効果を意図したスーラの点描との違い)
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ターシャのスケッチブック (大型本)  2012/02/14の日記 02月14日 (火)
ターシャのスケッチブック (大型本)

ターシャ・テューダーは家のなかのあちこちにスケッチブックをおいている。
家事や庭仕事とスケッチブックの間を行ったり来たりして、家族や小動物をちょっとした時間に描く。
日常の生活のなかでのスケッチ。スケッチとともにある生活。

肖像画家であった母の教えで、写真は使わず、必ず実物を見て描く。
絵本の登場人物や情景にこのスケッチブックから再構成された絵がたくさん使われている。
『スケッチブックは私の宝物です』
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福田和也『乃木希典』を読む2012/02/10の日記 02月10日 (金)
旅順攻撃の司令官として、59000人の死傷者を出し、
例えば司馬遼太郎によって、無能の指揮官と言われた乃木希典
福田和也による評伝

嘉永2年に生まれる、ペリー来航の4年前である
明治維新は20歳の時
長州戦争には参加しているが戊辰戦争には参加していない
そのため戊辰戦争帰りのものたちのつくる結束からは孤立していた

だが暗殺された大村益次郎の陸軍における後継者である御堀耕助は従兄弟であり、新政府の軍人になることとなる
引きがあったためであろう、明治4年陸軍少佐に任ぜられる、23歳と異例の抜擢である

前原一誠の萩の乱にあって政府軍として鎮圧にあたった
だが、弟正誼は反乱軍にあって戦死、
師である玉木文之進は息子や弟子たちが反乱に加担したことの責任を取って割腹自殺

西南戦争では西郷軍との闘いで軍旗を失った
半狂乱になった乃木は奮戦するが負傷、恥をそそごうとしたがかえって大きな恥辱を受けたと嘆く

西南戦争後は豪遊の日々
薩摩の娘との結婚
豪遊はやまず

ドイツ留学、帰国後放蕩生活にピリオド、その対極になった
徳義の固まりとなる

近代国家における軍隊では徴兵された兵士を死地におくることになる
このことは徳によって国民の信を得る、つまり徳義で支えるしかないとただ一人決意し、生涯をかけて実行したのが乃木希典であると福田和也は評価している
明治天皇も同じ思いを持ったからこそ乃木を愛した
「乃木は次第に、一つの詩のようなものになった。美しいが、人工的で、非現実的なもの。しかし、彼は紛れもない、生身の人間だった。」
「乃木が清廉潔白に見られようと努力したことにむしろ感ずるところがある。それは作為であり、演出だ。だが、それが自ずからのものではなく、努めたものであるからこそ畏敬を覚える」
とまで福田和也は書いている
さらに「日本には(児玉源太郎のような)有能な人はたくさんいる。ただ、いないのは乃木のような人物だ。乃木がいないからこそわが国はかくも長い低迷を余儀なくされているのではないか。」と

乃木希典への見方が大きく変わりました

また福田和也が乃木希典を評価する理由もよくわかりました
それは近代国家が徳によって支えられない、今の日本に住んでいるからこそ、乃木希典を求めたいということです
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