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第二日
朝食づくり (ご飯、みそ汁、サラダ、ふりかけ)ご飯は飯ごうで炊く
ハイキング 唐沢の滝へ 昼食はパン、ソーセージなど
帰りに渓谷で水遊び
夕食準備 今日はカレーライス ご飯は飯ごうで炊く
キャンプファイヤー
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武蔵野市ジャンボリー(武蔵野市一小)に参加しました
こどもたちがお世話になったキャンプなので
前から知っていたキャンプですが
今までは忙しく参加できる機会がなく
今回私自身、初めて参加するキャンプです
7/29-31の二泊三日
長野県南佐久郡川上村の武蔵野市立自然の村にて
武蔵野市ジャンボリーは今年37回目
武蔵野市と武蔵野市青少協地区委員会の共催
第一地区むさしのジャンボリー実行委員会
参加は小学校4、5、6年生の希望者
青少協地区委員会は学校単位なのでキャンプも学校単位
地域の大人と
ジャンボリー育ちのリーダーたちのてで企画、運営されるキャンプ
学校の先生たちも参加されている
参加 こども 86名 一小在籍4、5、6年生児童184の半数弱にあたる
指導者 27名
サブリーダー 中2、3年高1年 4名 計117名
地域のボランティアと先生方と
ジャンボリー育ちのリーダーたちの手で運営されるキャンプが
37回も続けられてきたことが素晴らしい
一小から7名、一中から1名の先生がたが参加
キャンプではふだん接してているこどもたちが違う顔をみせる
それを見ることができてよかったと言われていた
先生方にとっても貴重な体験ができるキャンプである
二泊三日全部自炊のキャンプ
第一日
第一小学校に集合 バスで出発 約3時間半で自然の村に到着
入村式、各班キャビンへ
展望台までハイキング、戻ってきてハンモック体験
なたの使い方講習
夕食 豚汁パーティ 準備 ご飯は飯ごうで炊く
ナイトハイキング 光の交信(展望台と太陽の広場間)
天望施設で星の話
キャビンはこども8名と指導者2名でちょうどいい広さだった
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今日は一人で請け負った仕事
高木が多いので慎重に仕事をした
フォルクスワーゲンの助手席を倒すとに脚立がうまく収まる
この脚立を広げて梯子として使う
井の頭公園を抜けるルートが9:00から使えるので今日は遅い始まり
曇ってはいるがやはり暑い一日だった
昼休みは井の頭公園駅の近くで
一年前にやった庭なので仕事がはかどる
それでも9:00過ぎから18:30までかかった
作業順
シラカシ 高木
シュロ 高木3本
シラカシ 高木
モミジ
南天
シュロ 高木
コノテガシワ 3本
片づけ
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8:30-14:00
木や草がびっしり植わった庭
3人でとりかかって昼過ぎに終わった
今日も暑い一日だった
水やお茶を何度も飲み、熱中症を予防する
私の担当は
モッコク、高いので一番長い脚立を使う
スダジイ、かなり古い木 登ってみると アリが巣を作っていた
ドウダンツツジ、ひとまわり小さくする
アジサイ、ふたまわり小さくする
片づけ、除草
先輩のやっているチャボヒバの手入れを見る
透けて木がきれいに見える感じを覚えておく
三陸海岸3日間の旅から帰ったばかりの先輩の話
嵯峨渓がよかった
船で見に行くところらしい
「まるで屏風絵のように、崖の白、海の青、末の緑ととても美しくよかった
日本もいいところがたくさんある
がいこくにゆくことないよ」と・・・
三陸に行ったことはあるがここには寄らなかった
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造園の研修会
今日は安全対策の話が中心
全国的には植木の作業中の事故は思いのほか多い
足場が不安定だったり、きちんと固定していなかったために
脚立や梯子が倒れ、落下してしまう
または他のメンバーに梯子や脚立が倒れ込む
本人がバランスを崩して、梯子や木から落ちてしまう
落とした太い枝による人身事故
刃物を持ったまま移動することによる事故
ほかに仕事場への往復のときの交通事故も多い
夜は近くの小学校へ
この地区で実施されるキャンプをお手伝いするので研修会に出た
中学生のリーダーも何人か来ている・・・・
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8:30-16:30 4人で7時間半の仕事(昼休み30分)
モッコク
モミジ
カクレミノ
片づけ
除草
「体の具合がよくなくて、しばらく庭に出られませんでした」
と施主さん
除草もしっかりやって
さんさんと陽が降り注ぐ庭になった
15分後 帰宅、仕事の現場が近いのです
道具の手入れ、シャワー
暑い一日だったが帰ってすぐのシャワーがうれしい
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東京メトロ副都心線渋谷駅開業記念 安藤忠雄講演会
『東京が変わる。渋谷が変わる』
2008年7月14日(月)18:30 渋谷C.C.Lemonホール
いざ行くとなるとC.C.Lemonホールってどこかと探してしまった
結局であった元の渋谷公会堂
2006年9月20日に電通が命名権を取得
サントリーに命名権を転売したため「渋谷C.C.Lemonホール」という名称になったとのこと
契約料年間8000万円、契約期間は2006年10月1日から5年間
安藤忠雄は東京オリンピック招致委員会の理事である
講演は
東京は2016年オリンピックの開催候補都市の第一位にいる
どのような東京オリンピックをつくりたいか
どのような東京をつくりたいか
どのような日本をつくりたいのかという
シンプル、明解なテーマを
映像を見せながら
最近完成した副都心線渋谷駅の建築
過去の建築作品とエピソードに重ねながら語ってゆく
(講演なれされているのであろう
自分の体験したエピソードをまじえて
速いスピードで進む)
周辺を含めて3000万人が住む東京が
世界一安全、清潔で美しい都市
環境都市、世界都市であるということを実現して
世界に見てもらいたい
東京の価値も上がる
1964年大改造をして
いろいろ作って開催したオリンピックではなく
今あるもの、古いものを利用したオリンピックにしたい
*東京都ではこんなこともすすんでいるらしい・・・
小学校の校庭緑化
電柱の地中化
東京湾のゴミの島を「海の森」にする
(1000円募金展開中)
帰りに副都心線の渋谷駅を見に行く
中には入らず外から話題になっているホームの上の吹き抜けを
改札口の近くから見た
地下鉄ホームに外気が入る設計で
エアコンは使わないという CO2排出を減らした設計の駅らしい
吹き抜けは上から見たところではあまり大きくなかった
この次は下のホームから見上げてみたい
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参考記事
安藤忠雄の『歴史の回廊』提案
2007年の記事から
建築家の安藤忠雄氏が再開発で様変わりの激しい東京に「歴史の回廊」を提案している。東京駅が元の形に復元され、丸の内の三菱1号館も再建される。日本橋の景観を昔の姿へ戻す動きもある。「それらをつなぐプロムナードを整備すれば、東京は国際社会に向けたカオを持てる。保存か再開発かで揺れる東京中央郵便局も残し、先人の記憶と夢を語り継げる東京に」と訴える安藤氏に話を聞いた。
「世界中の人たちが日本を評価するのは、安全と民度の高さ。それが投資する側の安心に結びついている。
その好印象を、積極的に都市の魅力に高めないと、地球規模での都市間競争に勝てない。
日本の明治は、国際的にも〈世界の奇跡〉とされている。その代表的な建築、施設が、時期を同じくして復元、保存される。
観光立国というなら、これを面的に生かす発想がほしい。それが歴史の回廊です」
――三菱1号館(1894年)は、維新後、日本の建築家を育てたジョサイア・コンドルの設計によるもので、オフィス街、丸の内の象徴だった
高度成長期に取り壊したその赤れんがが再建される
東京駅(設計・辰野葛西建築事務所、1914年)は戦災で焼失した3階部分とドーム屋根を復元
日本橋(設計・妻木頼黄ら、1911年)は高架の高速道路を地下に移して景観を取り戻す計画
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3人で8:30-15:30
カナメモチの垣根
コノテガシワ 数本
シャラ 2本
ヤマモモ
アジサイ
ツツジ
除草
3人のリーダー役だったので
他の二人の仕事の指示、チェック、指導と
仕事が少し増えました
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カウラ事件を描いたテレビドラマ
カウラはオーストラリアの内陸にある
第二対戦中に捕虜収容所があった
そこで日本兵による大脱走事件があった
オーストラリアではよく知られた事件である
その事件を描いたドラマ
『あの日僕らの命はトイレットペーパーより軽かった』を見た
脚本は脚本家中園ミホの伯父の体験をもとに書かれた
カウラ暴動 Cowra Outbreak
http://www.ajf.australia.or.jp/aboutajf/publications/sirneil/dict/CowraOutbreak.html
捕虜はオーストラリア軍の軍服を染めた衣服を着ていた
色が濃い赤で、初めて見る軍服の色だった
1948年8月5日真夜中に、月明かりの中で
日本軍の突撃ラッパを合図に脱走が実施された
宿舎に火も放ったため、明るくなり、突撃した兵たちは
次々に機関銃で撃たれ死んでいった
およそ1000名のうち4分の一の兵が死んでいる
脱走して何をするという方針があったわけではなく
捕虜という存在をなくすため、立派に死ぬための脱走であった
ほとんど労働もなく、野球、マージャンと
待遇はとてもよかったが、そのことは逆に
自分が日本軍の戦陣訓では認められていない捕虜であることにやましさを感じさせていた
収容所から内地の家族に手紙を出すこともなかった
日本軍に捕虜はいないと教育されていた兵士たちにとって
捕虜であるという事実そのものが精神的に受け入れられなかったのである
戦陣訓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%99%A3%E8%A8%93
『恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ』
捕虜が増えたため、兵と下士官が分けられる兵は移送されるという発表があり
この機会に戦おうという強行派の提案が班長会議でなされた
トイレットペーパーの紙を使った全員投票があり決起が○、反対は×
結果は決起が過半数であり、反対したものも含めて強行された
怪我人など動けないものは『お先に』と自殺・・・
何時間かの準備時間しかなかった
武器は鉄条網をこえる毛布、野球の布製グラブ
バット、食事用のナイフ、フォーク、スプーン
捕虜になったときにほとんどのものが仮名を使っているため
本名がわからないものも多い・・・・
自分だったらどうしたか
友軍が苦戦しなお戦っている状況のもとで
捕虜も戦うべきだ、命が惜しいのか、死ぬべきだと主張したのではないか
○を書き、死ぬ覚悟で突撃したのではないか
そのころの日本人の心根が、私にはわかるように思う
重い内容であった
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久しぶりに料理教室、午後は武蔵野大学の公開講座へ
久しぶりに武蔵野市の男性のための料理教室へ
今日は11名
今日のメニュー
梅ご飯
ニラ入りハンバーグ
粉ふきいもとトマトのつけあわせ
茶わん蒸し
ほうれん草ごま和え
おみおつけ わかめ、 油揚げ、タマネギ
おいしく食べて、終了後
家の前を通り過ぎて武蔵野大学へそのままゆく
武蔵野女子学院後援会 教養講座 池澤夏樹『作家という仕事』
2004年から仏蘭西に住む作家を呼んでいる
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