幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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風の吹く日に・・・
風の吹く日に・・・ [全1125件] 571件~580件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
天満敦子ピアノトリオ 11月11日 (金)
11月11日(金) 開演 19:00 紀尾井ホール
天満敦子 ピアノ・トリオ

世界を翔ける: 天満敦子(Vn)
ウィーン・フィルの至宝: アダルベルト・スコチッチ(Vc)
ジュリアードの華: 谷川かつら(Pf)

  ≪プログラム≫  
  ヘンデル/ハルヴォルセン:パッサカリア
  メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 op.49
  チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 イ短調 「偉大な芸術家の思い出に」 op.50
  ポルムベスク:望郷のバラード(無伴奏版)

天満敦子さん自身が長年希望していたというピアノトリオが実現した

ウィーンからチェロのアダルベルト・スコチッチを
ニューヨークからピアノの 谷川かつらを迎えてのピアノトリオ
紀尾井ホールに3人それぞれの力のこもった演奏が響き
力強く、華麗な音がつくりだされた

天満さんはいつもどおりどっしりと立ったままでのの演奏
といっても動きは軽快で、時に足が動き、身体が揺れる・・・
身体全体で弾いている

『自分の場合座るとエネルギーが半分になってしまうような気がするので
 今回もたったまま演奏することにさせてもらいました
 スコッチ先生には最後まで抵抗されました」

あらあら・・・・・
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テオ・アンゲロプロス 『永遠と一日』 (1998) 11月09日 (水)
テオ・アンゲロプロス 『永遠と一日』 (1998)
ETERNITY AND A DAY(MIA EONIOTITA KE MIA MERA)
【ギリシア・仏・伊】 上映時間:134分

監督    テオ・アンゲロプロス
キャスト  ブルーノ・ガンツ ( アレクサンドレ )

脚本    テオ・アンゲロプロス
      ペトロス・マルカリス (脚本協力)
      トニーノ・グエッラ  (脚本協力)
      ジョルジオ・シルヴァーニ (脚本協力)
音楽    エレニ・カラインドロウ
撮影    ヨルゴス・アルヴァニティス、アンドレアス・シナノス
製作    テオ・アンゲロプロス,ジョルジオ・シルヴァーニ
編集    ヤニス・チッチョプロス
美術    ヨルゴス・パッツァス

不治の病で病院に入るのか、それとも死ぬ決意をしたのだろうか
詩人、小説家アレクサンドレの最後の一日がはじまる

まばゆい光の中によみがえる海、そして海岸の家
生まれた娘のお披露目の日のこと
「今日は私の日、一緒にいて」
「あの崖まで登ってくる ほんのちょっとだ」
詩人としての孤独、孤独の中にいる詩人、
どこに行っても、そこで受け入れられないという感覚
どこででも、よそ者という感覚
切り離されている妻の淋しさ、悲しみ・・・・

「詩や小説を書いたがどれも未完成だ ただ書き散らしたにすぎない」

交差点で車が止まると一斉に走り出て窓を洗う少年たち
隣国のアルバニアから国境を越え、不法に滞在しているこどもたちだ
警官が現れて少年たちを捕まえはじめる
彼はとっさに扉を開け少年を中に入れて助ける

成人した娘のところへゆく
「旅に出る、犬を預かってほしい」
妻からきた手紙の束を渡す
娘の夫が起き出してくる
「お義父さん話がある 海の家は売ったよ 今日ブルドーザーが入る」
「あの家を売ったのか」
娘「お父さんわかって あの家は広すぎるし とても持っていられない」

少年があやしい男たちに襲われ、連れ去られてているところを見てしまう
その車を追いかけ・・・何とか潜り込みお金も払って少年を救い出す

雪の降る中、彼は少年を村へ帰そうと努力する
だが国境に近づくにつれ、少年が口を開く
村には誰もいない
家族はみな殺されてしまって今は誰もいない

街に戻って少年と別れ、病院にいる母に別れを告げに行く


少年の兄のように慕う少年が殺されてしまう
警察の遺体置き場に忍び込んでお別れをし、遺品のジャンパーを取り戻す
ジャンパーに火がつけられる
少年たちによる弔いのたき火・・・

少年が旅立つからと別れを言いに来る

「もう少し一緒にいてくれ」と詩人が頼む

少年と仲間たちは外国へと密航船で旅だって行く
船を見送るのは詩人ただひとり

折にふれ光に包まれた昔の記憶がよみがえり、交錯する・・・

痛みが刺すごとに薬を飲む
何も食べない


明日の時間の長さとは
「永遠と一日」というのが妻の答えだった

海辺の家の前で海を、昔の日々を見ている詩人を
後ろから撮って映画が静かに終わる
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昨日参加、多和田葉子講演会『わたしと演劇』 11月08日 (火)
早稲田大学小野講堂にて
多和田葉子講演会『わたしと演劇』

多和田葉子さんはハンブルクに在住

日本語とドイツ語、二カ国語で
小説、詩を書かれ、劇にかかわり、
詩の朗読、さらに俳優として劇に参加もされている

立川高校でドイツ語を選択
早稲田大学ロシア文学科卒 語研でドイツ語も学び続けた 同人雑誌多数
卒論はロシアの現代女性詩人ベーラ・アフマドゥーリナ

1982 父親の仕事の取引先の関係からドイツハンブルグの仕事へ
   以後ハンブルク在住

1990 ハンブルク大学修士課程修了    (専門はドイツ文学)

1999 アメリカのマサチューセッツ工科大学に四ヶ月、ドイツ語の作家として招待される
2000 チューリッヒ大学の博士号 文学博士(専門はドイツ文学)
   博士論文は「ことばの魔術と玩具」

日本で出版された本

「三人関係」(講談社)1991
「犬婿入り」(講談社)1993 芥川賞受賞
「アルファベットの傷口」(河出書房)1993/文庫改題「文字移植」1999
「ゴットハルト鉄道」(講談社)1996
「聖女伝説」(太田出版)1996
「きつね月」(新書館)1998
「飛魂」(講談社)1998
「ふたくちおとこ」(河出書房)1998
「カタコトのうわごと」(青土社)1999
「ヒナギクのお茶の場合」(新潮社)2000
「光とゼラチンのライプチッヒ」(講談社)2000
「変身のためのオピウム」(講談社)2001
「球形時間」(新潮社)2002
( 第12回 Bunkamuraドュマゴ文学賞受賞!)
「容疑者の夜行列車」(青土社)2002
(第39回 谷崎潤一郎賞受賞)

講演でのお話から・・・

「自分としては、
小説を書いたり、詩を書いたり、芝居を書いたりしているわけではなく、
テキスト、ことばを書いているとそれが結果として、
小説であったり、詩であったり、芝居であったりする」

「自分にとっては演劇もまずテキスト、読むものである
 上演されるとそれにプラスされるものがある」

「自分で書いたものを声に出してしまっている
 これが演劇の始まりかもしれない」
「自分で書いたことばが声になりたがっている」

劇評について

「ベルリンの批評家は、自分がこれを最初に認めた、最初に発見したという ことをとても誇りにしている」
「ハンブルクの新聞はもっと常識的
 ほめてあると必ずつまらないので行かないようにしている
 その意味ではとても参考になる」
「日本の劇評はとても短くて
あれだけのスペースで何か言えるのだろうかと思う
ドイツの劇評は長い」

日本語について

「困ったところもあることばだと思っている
 一番日本語のなかで力強いのは擬音語、擬態語です
 身体性のある日常語と
 明治以降につくった翻訳語、
 抽象性のあることばとの間がつながっていない」
「ドイツ語では日常語と哲学で使うことばとはつながっている」

「80年代に来たとき
 ドイツは声の世界だと思った
 対話がすき
 ラジオで書評に影響力があった」
「今は少しずつ変わって
 漫画も読まれるようになった
 そうした現象をドイツの日本化と呼ぶ人もいる」
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テオ・アンゲロプロス 『ユリシーズの瞳』 (1995) 11月07日 (月)
ユリシーズの瞳 (1995)
TO VLEMMA TOU ODYSSEA
THE LOOK OF ULYSSES
ULYSSES' GAZE

監督: テオ・アンゲロプロス 
製作国 フランス/イタリア/ギリシャ
初公開年月 1996/02
上映時間 177 分
 
「エレニの旅」公開記念 特集:テオ・アンゲロプロス
2005.10/29(土)─11/11(金) 吉祥寺バウスシアターの
テオ・アンゲロプロス特集ホームページ
http://www.baustheater.com/teo.htm

********************************

 故郷のギリシャにアメリカに亡命した映画監督(ハーベイ・カイテル)が帰ってくる
その年で自分の作品は政治的な対立のなかで上映されている
個人的にはバルカン半島最初の映画作家マナキス兄弟についての映画を作るためだった

彼はマナキス兄弟が撮ったフィルム、未現像だという幻の3巻を求めて、
アルバニア、ルーマニア、サラエボと旅をする
動乱のサラエボで、人を捜し続ける・・・

それは同時に自分の過去への旅でもある

霧の日、「霧は友だちだ 霧の日サラエボは昔に戻る、
     霧の日は祭りだ、外へ出よう 家族にもあってほしい」

廃虚のサラエボ、霧のなかたくさんの人々が出てくる

民族を超えて集まってきた音楽家たちが、他民族音楽集団をつくって
霧のなかで演奏している
その旋律の美しさ・・・聴いている人、歩きながら聴いている人、
「ロミオとジュリエット」を演じているグループもいる
砲撃の音も止み、狙撃もない

幼い兄妹をふくめた家族との散歩、
そして霧の中に車が止まり・・・

過去も現在も動乱の続くバルカン半島を舞台にした、映像詩

(95年カンヌ国際映画祭グランプリ(審査員特別大賞)受賞作)
********************************

テオ・アンゲロプロスの映画は
政治に翻弄され、犠牲になって傷つき、死んでゆく人々の悲しみを描いている
そこに描かれる人物の悲しみは、その人物の悲しみにとどまらず
その国の人々、その地域の人々全体の悲しみとして
画面に重ねられている

そして死んでいった人々への哀悼
今の世界を変えることの出来ない悔しさが画面を覆っている

画面構成の美しさ、美しい旋律がその悲しみや悔しさをさらに強く訴えてくる・・・

テオ・アンゲロプロスのプロフィール
http://www.bowjapan.com/eleni/angelopoulos/profile/
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ウィリアム・モリス展/東京デザイナースウィーク 2 11月06日 ()
ウィリアム・モリス展/東京デザイナースウィーク

新橋 汐留ミュージアム
http://www.mew.co.jp/corp/museum/

ウィリアム・モリス展
http://www.mew.co.jp/corp/museum/kaisai.html

この企画に関係している会社に就職したラボっ子から
この展覧会の招待券をいただきました

汐留ミュージアムは会場スペースが小さいので
ゆっくり全体を楽しめる美術館です

ウィリアム・モリス展も良く選ばれた作品が展示されていて
ウィリアム・モリスの作品の良さを楽しむことが出来ました

近代工業化の流れの中で、
手仕事の良さを充分に生かした工業化により
生み出された作品はどれもとても魅力があります

新橋から六本木へ
東京デザイナースウィーク
http://www.c-channel.co.jp/japanese/tdw/

アークヒルズ カラヤン広場
東京デザイナーズウィーク公式イベント
製品化をめざすプロの見本市を見に行く

橋本潤さんの薄い椅子NO2
昨年の薄い椅子も隣に並べられている
これは金属の薄い板でつくられたものであった
色は金属のまま、銀色である
薄い、薄い金属を成形したものなので形が美しい

今年の薄い椅子は全面が白、裏は黒に塗られていて配色が美しい
材質は金属だが微妙な厚さを加えてあり、座ったときの安定感が増している
とても魅力的な椅子に進化したと思う・・・
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マニトバから初来日した3人に再会・東京散策 1 10月31日 (月)
元財団のYさんから連絡していただき
10/30に成田に着いたばかりのマニトバからのお客様に会いに行きました

2003年に一緒にマニトバグループを担当した
カレッジメイトのKさんと新宿駅で落ち会い、
ラボ教育センターのすぐ近くに出来たばかりの西鉄ホテルへ

ロビーで2004年にラボ国際交流でお世話になった、なつかしい3人と再会できました
交流を何年も続けたあとやっと日本に来ることが出来てとても喜んでいらっしゃいます

マニトバの担当者Lさんとそのお母さんBさん、
私のホストファミリーのMさんは、マニトバグループ参加者みんながとてもお世話になった人たちです
3人とも日本は初めて、明日はラボ国際交流センター訪問、
今日は休養日なので、午後から東京を案内することになりました


まずは都庁・・・大きな都庁にびっくり
南展望台へ登って東京の広がりを見てから
新宿駅に歩き
新宿駅からJRで浜松町駅へ

浜離宮を連絡通路から覗いて
日の出桟橋から浅草へ水上バスの旅・・・・

ゆっくり浅草寺へ
びっくりしたことは門から続くお店を全部覗いて楽しんでいたことです
はじめは両方見ながら進んだのでなかなか前に進まず
いつになったら本堂にたどり着けるかと心配になったくらいでした

そのうち帰りも通るかと聞かれて
そのつもりですと答えると
行きは右側だけ見て、帰りは左側を見る事に決めて・・・
ともかくどの店も楽しめたようです
私のホストはさっそく人形や酒器セットなどおみやげ購入・・・

お賽銭を投げて、神妙にお参り
Lさんは私の健康回復を祈って(頼んで)くださったそうです・・・
とても嬉しい心遣いです・・・

地下鉄で西新宿に戻って、一緒に夕食を食べました

日本の印象をお聞きしたところ
日本が現代的なことにとてもびっくりしたので
今日は昔からの日本を見ることが出来て良かったとのこと
今日のプランは何とか成功したみたいでした
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アルド・チッコリーニ(ピアノ)2005年来日公演に行く 10月30日 ()
アルド・チッコリーニ 2005年来日公演

10/30(日)15:00 武蔵野市文化会館小ホール

【プログラムB】
ドビュッシー:前奏曲第2巻
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」


さらにアンコールに答えてなんと3回、3曲の演奏を聴くことができた

・ショパン:ノクターン
・ドビュッシー:プレリュード第一巻より ミンストレル
・ファリャ:火祭りの踊り



アルド・チッコリーニは 1925年イタリア生まれ
現在はフランス国籍、現役最長老のピアニストとのこと

みずみずしい、つややかな演奏を楽しむことが出来た

「アルド・チッコリーニ情報」ホームページ
http://ciccolini.exblog.jp/2961230#2961230_1
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イングマール・ベルイマン『野いちご』 10月22日 ()
1957年【スウェーデン】 上映時間:91分
野いちご( ドラマ・モノクロ映画)

監督 イングマール・ベルイマン

キャスト
ヴィクトル・シェストレム (男優) イサク 78歳
ビビ・アンデルセン (女優)従妹 結婚する予定だったが弟の妻となった
イングリッド・チューリン (女優)息子の妻
グンナール・ビョルンストランド (男優)
グンネル・リンドブロム (女優)
マックス・フォン・シドー (男優)ガソリンスタンドの男
レナ・ベルイマン (女優)

脚本 イングマール・ベルイマン
音楽 エリク・ノルドグレン
撮影 グンナール・フィッシェル
製作 アラン・エーケルンド
------------------------------------------------

日本では1962年に公開された
この年のキネマ旬報のベストテンの1位である
1961年の1位は同監督の『処女の泉』


老教授イサクの一日を描く

朝の夢
迷い込んだ街、誰もいない、街路の時計には針がない
取り出した懐中時計にも時計がない
背中を見せていた男の肩を叩くと身体が崩れ落ちてしまう
馬蹄の音を立ててやってきた葬儀馬車の車輪が街路灯に引っかかり、
車輪は壊れて、はずれ車体が傾く
棺が落ちてきて、ふたが開き、手首が見える

その手首がイサクの手首をつかみ放さない
イサクの手首をつかんでいる棺の中の人物の顔が見えてくる
その顔はイサク自身である・・・

今日はトレド大学での名誉学士称号がが授与される日だ

予定していた飛行機ではなく、車で出かけることにした
妻はずいぶん前に亡くなってしまい、
40年働いてきた家政婦が身の回りの世話をしている
トレドには同じく医師である息子がいる

息子と別居して一月ほど家にいた息子の妻が同行して帰ることになる

途中「見せたい場所がある」と、
想い出の場所である伯父の家があった場所に立ち寄る

そこに甦る、なつかしき日々の記憶、ほろ苦い想い出・・・

野いちごを摘む従妹(婚約者)に弟が言い寄っている・・・
(その後彼女は弟と結婚してしまった)

恋人同士とお目付役の青年の3人が
「イタリアに行くところだ」と、同行することになる

夫婦げんかで危うく事故を起こした若夫婦が乗り込む・・・


初めて見たのは高校生のときだった
死を前にした老人が過去を振り返る映画であった

改めて見てみると全体の印象として、驚くほど明るい映画であった

回想シーンには老人が老人のままで出てくる
窓から、戸口から、若かった頃の伯父の家での夏を見ている・・・・

森の中で、野いちごを摘んでいる従妹、弟がやってくる
二人ともこちらには気がつかない・・・・


昔医師として初めて開業した土地のガソリンスタンドの若夫婦は
「先生からお金は受け取れない」とガソリンやオイルのお金を受け取らない

「生まれてくるこどもが、男だったら先生の名前を付けさせてください」

90を超えて暮らしている母のところにも寄る・・・・

息子の妻との会話・・・



トレドへ向かう車の旅、この映画はロードムービーでもある

トレドへの旅の中で、いろいろな人と出会い
自分の生きてきた過去と向き合って
一人で世捨て人のように暮らしてきた自分を
もう一度新たに見いだすことになる

最後に授与式も終わって、
眠りにつく前に、窓の下に若者たちが来て歌を歌ってくれる
「これからイタリアに出発します」「式では素敵でしたよ」


去ってゆく若者たちへ「また会いましょう」とつぶやいている・・・

イサクに穏やかな微笑が浮かぶ・・・・
安らかな眠り・・・・・
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ルート181の監督ミシェル・クレイフィの特集 10月19日 (水)
ルート181の監督ミシェル・クレイフィの特集を見に
水道橋のアテネフランセへ行った

上映会は4階の講堂
地下1階の喫茶室に軽食をとりに行ったところ、
窓からは2,3階からの景色が見えてびっくり
アテネフランセは山の上に建っている事を確認

パレスチナ人ミシェル・クレイフィの作品4本を見て
20年のあゆみをたどることが出来た

C『ガリレアの婚礼』 1987年 
 パレスチナ人の村長一家の婚礼をめぐって
 許可を求める村長、許可しない司令官・・・
 イスラエル軍司令官の結婚式への招待が条件だ
 結婚式は誰でも歓迎するという村長

 反発する村人も多い中、結婚式へ
 
 伝統的な儀式、歌と踊りが続く
 ご馳走と酒

 司令官を人質にしようとピストルやナイフを準備する青年たち
 それを阻止しようとする村長の支持者たち

 不穏なことがないかと入り込むイスラエルの秘密警察
 
 緊張と暑さからか気を失うイスラエルの女性兵士
 婚礼の式、こどものミスで馬が逃げだして地雷原に入ってしまう
 
 花嫁、花婿の床入りの儀式、それから正餐
 日中、村から離しておいた兵隊たちがジープや輸送車で戻されてくる
 反発する村人たち

 結婚式に集まっていた村の人々が散る
 銃声も聞こえてくる
 ・・・・・・・・・・
 


D『石の賛美歌』  1990年 
 アメリカから戻ったパレスチナ人記者の眼で、パレスチナを見る

この2作は劇映画でありながらドキュメンタリーのように進んでゆく
パレスチナの現状からはらはらさせられる場面が続いて
ひりひりする痛みを感じた
このような日常を彼らは今も生きている

**************************************************
11stones主催イヴェント ミシェル・クレイフィ監督特集


◎上映作品
A『豊穣な記憶』Al Dhakira al Khasba 1980(99分)
B『マアルール村はその破壊を祝う』
Ma 'loul fete sa destruction 1985(30分)
C『ガリレアの婚礼』Urs al-jalil 1987(113分)
D『石の賛美歌』Le Cantique des pierres 1990(105分)

◎上映作品スケジュール
10月18日(火)
13:20 = A+B/16:30 = C/19:00 = D
10月19日(水)
13:40 = D/16:00 = C/18:30 = A+B

◎主催11stones
◎会場アテネ・フランセ文化センター 
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映画「ルート181 パレスチナ~イスラエルの旅の断章」 10月16日 ()
ルート181 パレスチナ~イスラエルの旅の断章


ROUTE 181
FRAGMENTS OF A JOURNEY IN PALESTINE - ISRAEL


2003年/270分/カラー
ベルギー、フランス、イギリス、ドイツ
アラビア語、ヘブライ語

東京上映会《第3回》上映&監督舞台挨拶
日時●10月16日(日)13時半~(開場13時)
会場●ブレヒトの芝居小屋(西武新宿線・武蔵関駅徒歩7分)
主催●NPO前夜 後援●東京演劇アンサンブル

13:00 開場
13:30 映画『ルート181』第一部 上映(85分)南部編
14:50 休憩(15分)
15:10 映画『ルート181』第二部 上映(107分)中部編
17:00 休憩(15分)   今夜帰国するエイアル・シヴァンさん挨拶
17:15 映画『ルート181』第三部 上映(85分)北部編

上映終了後 監督から話を聞く ミシェル・クレイフィさん/鵜飼哲さん

案内チラシより

「この映画は、パレスチナ北部のナザレ出身のミシェル・クレイフィと、
イスラエル北部のハイファ出身のエイアル・シヴァンが共同で監督した
270分に及ぶ長編ドキュメンタリーです

2002年夏、二人は生まれ故郷を2ヶ月にわたり南から北に縦断する旅に出ます

彼らが〈ルート181〉と名づけたその道は、
1947年11月29日の国連決議181号でパレスチナの地を二分した分割線をさします
翌年、イスラエルは建国を宣言し、
決議直後からユダヤ人のシオニスト武装組織がパレスチナへの武力侵攻を開始し、パレスチナ人の難民化がはじまりました

このイスラエル建国宣言を受けて起こった第一次中東戦争により、
さらに大量のパレスチナ人が 難民となり、
現在その数は600万人ともいわれます
戦争はいまだに終わっていないのです

二人は、分割線〈ルート181〉を車で走ります
途中でさまざまな人々に出会い、車を止めてインタビューしていきます

モロッコ出身のユダヤ人、チュニジアからのユダヤ人
ハンガリーからのユダヤ人、エチオピアからの新移民
イスラエル国籍のパレスチナ人、中国人労働者.....

丹念に聴きとられたの声、それぞれの暮らし、占領という現実を、
占領者として生きる人々の弁明、にカメラは鋭く迫ります」



*******************************************************


・・・・そして車から見える景色

検問、検問、
延々と続く分離壁
刃のついた鉄条網、その生産工場

パレスチナ人への裁判

チュニジアからのユダヤ人女性の話
「ここで8人の子を育てた、最愛の息子がレバノンで戦死した」

「どこにいっても死んだ話ばかりで暗くなる」
「ここには生の喜びがない」
「すべてあるようで何もない」
「誰も満ち足りてない」

「チュニジアではアラブと仲良く暮らしていた
 私は隣の人とお茶を飲むような普通の暮らしがしたい」

「チュニジアに戻りたい」

*******************************************************

映画に二人の監督の姿は映らない
インタビューに答える人はまっすぐにこちらを見ている
(検問所で隠し撮りした部分は別だが)

印象に残った監督のことば

「記憶について、
 現在を撮りながら、過去が立ち現れ、未来の姿が立ち現れてくる」
「記憶と忘却は対になっている」

「記憶を正史に対置したい」
「叫びそのものではなく、スローガンではなく、
 その背後にある心情を見いだしたい」

「この映画を見たあとに、みなさんにはみなさんの問題があると思う」

「ドキュメンタリストはドキュメン多理をつくるのが仕事である
裁くのは歴史であって、私ではない」

「450キロメートルと50キロメートルととても狭い地域である」
「6週間の旅」
「カメラマン、録音、2人の監督、もう一人と会わせて5人のチーム」
「ほぼ100時間の記録、旅そのものの記録が30~40時間」
「どんな人に会うかわからないので、あらかじめ用意した質問は用意していない」

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実際にお会いできた二人の監督は
それぞれからだが大きく少し太っている
柔和で笑顔が素晴らしい
会場との会話ではとても丁寧、誠実な答え方をされていて感心した
(二人はフランス語で話された)

二人とも相手に信頼してもらえるインタビュアーだったと思う
実際のインタビューではユダヤ人にはユダヤ系のエイアルが(アラビア語)
パレスチナ人にはアラブ系のミシェルが主に質問している(ヘブライ語)
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