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午後からの会議に参加されるテューターのために
午前中の【ひろば@LABO】講習会を実施
普通は一日かけていますが、今日は簡略版
夕方にも質問によってくださった方がいて
さっそくミニ講習会をしました
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写真家・牛腸(ごちょう)茂雄展
1946年生まれ1983年36歳で夭折
三鷹市美術ギャラリー
2004.9.11(土)~2004.10.24(日)
http://mitaka.jpn.org/calender/gallery/
4歳のとき脊髄カリエスになり、
何歳まで生きられるかわからないと言うほどの
肉体的ダメージを受ける
残された三冊の写真集(自費出版)
ポートレイトと街角の写真と・・・・
「家族や友人知人、その子供達、もしくは職場近くで見かけた子供達を対象としています。彼は特に“子供”に対して深い関心を示しており、被写体としては最も親しいものでした。写真の中の子供達は純真無垢で自然体でありながら、時にどこか遠くを見ているようでもあり、強いまなざしで見る側に語りかけてくるような不思議な力を感じさせます。」(展覧会案内文より)
会場で見ごたえのあるドキュメンタリー映画を見ることができた
映画『SELF AND OTHERS』 2000年・佐藤真監督(53分)
牛腸本人が残した手紙、関係者へのインタビュー、牛腸本人の肉声録音テープなどでつづったドキュメンタリー映画
http://www.cine.co.jp/works1/selfandothers/
このあとは山形美術館へ
「牛腸茂雄1946-1983」2004年10月30日(土)~11月28日(日)
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私の住む市の年間発生量は58098トン
ひとりの出す一日のごみの量は1113gになります
(年間の処理費は25599円になる)
4人家族で一日4キログラム以上とはやはり多いですね・・・
都下26市町390万人の使っている日の出町二ツ塚処分場が
あと10年で一杯になるのも当然です
ごみの量がなかなか減らないことから、今日からごみ処理有料化に踏み切りました
といっても10リットル袋20円、20リットル、40円とささやかなものです
私は有料化に賛成です 100円、200円くらいにすればいいのにと思います
同時に持ち回りのごみ置き場がなくなり、戸別収集になりました
分別収集も強化されました
これらの施策ももごみの送料を減らすためだそうです
スーパーに買い物袋を持ってゆくとか、
本屋でカバーの紙や袋を貰わないとか
皆さんはどんな取り組みをされていますか
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今日の参加メンバーは
開設4年のテューターの方二人と開設一年のテューターの方と三人
開設4年のテューターの方たちは開設のときに
支部事務局スタッフとしてお手伝いしている
【ひろば@LABO】講習会という機会に、
その後のパーティの様子をお聞きできるのが楽しい
パーティを開設して4年たった手応えを感じる
来年にはいよいよパーティから国際交流プログラムへの参加があるとのこと
嬉しいことです
マンションの光ファイバー接続なので
ハブやコード、ノートパソコンを持参したのですが
分配がうまくゆかず、1台で講習会
3パーティのホームページがスタートしました
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ビィヴァーは原皮のままではなく、
毛の部分のみがフェルト地に加工され、利用された
17世紀初めまでにビーヴァー・ハットの人気が定着
ヨーロッパ全体からの旺盛な需要が
19世紀ヴィクトリア時代まで衰えることはなかった
帽子は身分を表すものとして必要であり、まだ雨傘は発明されておらず、
風雨から頭を守るものとして重要であった
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1608年フランス、ケベック市に毛皮交易所を設け、
ヌーヴェル・フランス植民地誕生
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イギリスはフランスの支配圏であるセント・ローレンス川を避け、
北米大陸をスプーンでえぐったように深く入り込んでいるハドソン湾
を使おうと試みる
1668/6/3 ノンサッチ号 ロンドン出発
(航海300周年を記念して正確なレプリカがロンドンでつくられ、
現在ウィニペグのマニトバミュージアムに展示されている)
1668/9/28ハドソン湾の奥ジェームス湾着 冬を越す
1669年春インディアンと交易
1669年6月毛皮を満載してハドソン湾を出発
1669/10/10 流氷軍に苦しめられながらロンドン帰還
行きも帰りも4ヵ月近くかかっている
このノンサッチ号の成功を受けて
1670年ハドソン湾株式会社に特許状下賜
(デパートチェーン「ザ・ベイ」(ザ・湾)としていまも存続)
1672年ロンドンで競売
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8月の日記より転載
今日はマニトバミュージアムへ
この船は実物大のレプリカ と言っても本ものと同じにつくってあります
マストは松 甲板はオーク
1650年イングランドでつくられた船
54フィート、マストは80フィート
ジョリーロジャー号のサイズです・・・
イングランドからハドソン湾への航海は3ヶ月かかったそうです
フランスととの関係はいつも悪かったのでこのルートがとられました
乗組員は12名 (砂時計を使って時間を計り鐘で知らせて4時間交代勤務)
内4人がオフィサー
船長、ドクター、第1航海士(ナビゲーション担当)
第2航海士(ガン担当、2パウンダーの大砲が12門積んであります)
この人たちの料理は船尾の船室に運ばれます
他の人たちは甲板の下のキッチンで食事
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1688年英仏両国アウクスブルク同盟戦争を皮切りに、ほぼ100年の長期戦
1697年ハドソン湾の海戦でフランスに敗北、ハドソン湾の西北部はフランスへ
1713年ユトレヒト条約でフランスから領有権を取り戻す
この後毛皮輸出額急増
1759年フレンチ=インディアン戦争(ヨーロッパでは7年戦争)によりケベック陥落
1760年モントリオール陥落
1763英仏パリ条約によりヌーヴェル・フランス植民地イギリスに割譲
フランス系住民もイギリスに統治されることとなった
1779年ハドソン湾株式会社の最強の敵ノースウェスト会社誕生
毛皮貿易を争う
1781年西部先住民天然痘により五分の三が命を落とした
1793年再び英仏戦争
1819年西部先住民 はしかと百日咳により命を落とした
1838年西部先住民 再び天然痘により、壊滅的打撃を受けた
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MMさんのパソコンによる作成ポスターです
この下にちぎりの短冊が鍵盤のように並んでいます
(切り取れる短冊に電話番号やラボ・パーティのホームページが書いてある)
生協の掲示板に貼って、2名の問合せがあり、モデルパーティへの参加となりました
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M.M.さんへ
今日はお疲れさまでした
いい感じでモデルパーティができましたね
お母さん方の手応えもよかったと思います
お礼の電話を2、3日のうちに・・・
ちょっとしたヒント
導入の時の語りかけですが
はじめる前に
語りかけと
イメージを立ち上げる時間(時間の溜め、間)がもう少し必要かな
これは大人であっても必要です
ROW YOUR BOAT だったら・・・
「ボートに乗ったことあるかな?」
(池とか湖に行った経験をお母さんに聞いてもいいですね)
ない場合は絵を見せる「これがボートだよ」「どうやって動かすのかな」
ある場合「どこで?」「お父さんと?」
「ここにボートがあります」「お母さんと乗り込みましょう」
「水に落ちないようにね・・・」(自分も水に落ちないこと)
「さあオールを握って」 「漕いでみよう」
「力いっぱい・・・」 「ゆっくり・・・」
ガンピーさんでも自分自身
川の流れの方向を頭に置いたほうがいいかもしれませんね
PAT A CAKEだったら
「パンは好きかな?」
「お母さん、おうちで作られますか?」
「どうやってつくります?」「何がいるかな?」など
最初に振ったほうが後から楽しくなります・・
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パーティだよりの掲載について問合せがありましたので
左のページにも入れてありますが
再掲載します
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パーティだよりの掲載について
この方法はいかがでしょう
1、全体を選択して【コピー】する
2、WINDOWSの【アクセサリー】→【ペイント】
ペイントを立ち上げて【ペースト】する
3、GIF形式で保存する
できた書類を画像として(画像フォルダに入れて)
掲載する
お試しください
このやり方で
私のページで「テーマ活動の表」を入れてみましたのでご覧ください
GIF形式は軽いのでこれでも50k以下です
こんな感じにできます
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ニューヨーク
父母の自死、自分を捨て家出した妻の交通事故死、
残された幼い娘は母の死に傷ついている、そして失業
傷ついた、自信のない男が、行き場もなく立ちすくんでいる
帰郷の旅の途中、父の弔問に訪れた父の妹(伯母)に誘われ、
ステーションワゴンに荷物を積んで
こどもとともに、
祖先の追われた土地であるという
カナダ・ニューファンドランド島に渡る
フェリー
「海は怖い」
泳げない、泳ぎを覚えられなかった自分・・・
伯母が覚えていた岬の古い大きな家はまだ朽ち果てず残っていた
強風に飛ばされないように
ちょうどテントの張り綱のように
太い鉄索で四隅を土地に繋ぎ止められている荒れ果てた家
そこで始まる新しい生活
仕事は小さな、小さな地方新聞社の記者に・・・
先祖の家族は何故この土地を追われたのか?
「昔の話だが、追われるだけの理由があった」
12歳で死んだという祖父の写真
「12歳で死んだ人が祖父?」
伯母の秘密?
「何故島を出た?44年間、何故一度も帰らなかったのか?」
幽霊と白い犬を娘が見たという?・・・
強い風、霧、
船、ボート
海鳴り、
雪
深い入り江、岩や島
荒涼とした海と土地、そこで暮らす人々
厳しい風土であるが、
そこでも、人は生きている
新しい出会いを生き、新しい自分を見つけてゆく物語が
ここから静かに始まってゆく・・・
(ニューファンドランド島
首都セントジョンズは
霧多く、年124日、積雪量多く、年359cm,
降雨量多く、年1514mm,
風強く、平均風速 24.3km
曇りがち、日照時間1497時間
北米でもっとも嵐が多く、天候は変わりやすい
主な産業はタラ漁)
2001年ラッセ・ハルストレム監督
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この映画の中に
カナダとアメリカの比較が出てくる
カナダの人口は3000万人
1000万世帯に700万丁の銃があるにもかかわらず
アメリカに比べて、銃で死ぬ人の数は驚くほど少ない
国境近くの人口40万人の都市でも
殺人事件がないことにショックを受ける
これは何故なのか
監督のマイケル・ムーアがカナダ人にも聞いてまわる
若い人の答え
「アメリカ人はまず戦いよね。カナダ人は話し合いからだわ」
アメリカ人はドアに鍵を三つもかけるのに、
カナダ人がドアに鍵をかけないことにも驚く
「鍵をかけないの?」
「かけないよ」「どうして」「・・・」
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