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アクセス数の不思議
私のこのホームページへの8/1-8/4 のアクセス数は429
でも広場からのアクセスは10です
なんと貴重なかたがたでしょう!!!
(残りは広場外からですがほとんどは検索エンジンなどのロボットによる訪問だと思います
余り意味がありません)
私のホームページはメモのようなものなのですが
それでも読んでくださる方がいてくださることで励みになります
反応が全くないと更新が滞ってしまいます
来てくださる方に改めて感謝いたします
今後も是非おいで下さい・・・・・・・・・
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携帯電話で聞こえる声は
コードブックから選ばれた本人に近い声であること
合成音だということ
私は全く知らなかったのでちょっとショックを受けました
参考まで
NHK IT ホワイトボックス
http://www.nhk.or.jp/itwb/workshop/14.html
1985年、アメリカで発表された「CELP」という考え方
まず、人の声を「音韻情報」と呼ばれる発音記号単位に分解し、データ量を小さくする
一方、声の特徴は、様々な音パターンが番号で登録されているコードブックから最適なものを選ぶ
「音韻情報」とコードブックの番号を送ることで、データ圧縮できる
参考まで2
高校生のための優しいエレクトロニクスの解説(4)
“携帯電話(2);聞こえる声は合成音”
http://74.125.153.132/search?q=cache:RDGk-YyiX9oJ:www.ecei.tohoku.ac.jp/iis/student/electronics/keitai2.pdf+%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E3%81%AE%E5%A3%B0%E3%80%80%E5%A3%B0%E3%82%92%E9%81%B8%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%82%8B&cd=7&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja&client=firefox-a
http://www.ecei.tohoku.ac.jp/iis/student/electronics/keitai2.pdf
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フロスト×ニクソン Frost/Nixon
監督 ロン・ハワード
脚本 ピーター・モーガン
出演者 フランク・ランジェラ
マイケル・シーン
音楽 ハンス・ジマー
撮影 サルヴァトーレ・トチノ
編集 マイク・ヒル
ダン・ハンリー
配給 ユニバーサル映画 アメリカ合衆国/東宝東和
公開 2008年12月5日 アメリカ/2009年3月28日 日本
上映時間 122分
製作国 アメリカ合衆国/イギリス
言語 英語
制作費 $25,000,000
公式ホームページ
http://www.frost-nixon.jp/
『フロスト×ニクソン』(Frost/Nixon)は、2008年のアメリカ映画
ピーター・モーガンの舞台をロン・ハワードが映画化
ピーター・モーガン脚本
第81回アカデミー賞では作品賞を含む5部門にノミネート
作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞、編集賞
概要
1977年に放送されたイギリスの司会者デヴィッド・フロストによる
リチャード・ニクソン元大統領のインタビュー番組を描いた作品
オリジナルの舞台版
マイケル・シーンとフランク・ランジェラがそれぞれフロスト役とニクソン役
ランジェラはアカデミー賞主演男優賞候補になった
元は現実にあったインタビューを描いた舞台劇である
それはインタビューという名のふたりの闘いであった
舞台としての成功があった後、映画化されたものであり
映画の特権であるクローズアップもあって
二人の対決の一挙手、一投足が迫力を持って迫ってくる
見応えのある作品であった
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下高井戸シネマへ
『ピロスマニ』 PIROSMANI は1969年の【ソ連】映画です
ニコ・ピロスマニ(1862年 - 1918年)はグルジアの画家です
グルジアの風土を描き続けました
一度見たら忘れられない絵がたくさん残っています
この映画は画家の生涯をたどってゆくのですが
画家の生きた時代の自然や風土をとても丁寧に描いてゆきます
このような自然、このような風土からこのような絵が生まれたのだと
ピロスマニの絵とその絵を生んだグルジアの自然や風土を同時に鑑賞できる貴重な映画です
今回は3回目の鑑賞でしたが改めて楽しむことができました
●ウィキペディア(Wikipedia)より
彼はグルジア東部のMirzaaniの村で生まれた
後にトビリシに出て、グルジア鉄道で働いたり自分の商店を持ったりしたが
体が弱いうえに人付き合いがうまく行かなかったため長続きしなかった
その後、独学で習得した絵を描くことに専念するようになった
彼はプリミティヴィズム(原始主義)あるいは素朴派(ナイーブ・アート)の画家に分類されており、
彼の絵の多くは荒野にたたずむ動物たちや食卓を囲むグルジアの人々を描いたものである
彼はグルジアを流浪しながら絵を描いてその日暮らしを続けた
一旦はロシア美術界から注目され名が知られるようになったが、
そのプリミティヴな画風ゆえに、新聞などから幼稚な絵だという非難を浴びてしまう
失意の彼は1918年、貧困のうちに死去したが、
死後グルジアでは国民的画家として愛されるようになった
今ではロシアをはじめ世界的に有名な画家である
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吉祥寺バウスシアターヘ、歩いて行く
原題:The Visitor
監督・脚本:トム・マッカーシー
出演: リチャード・ジェンキンス、
ヒアム・アッバス、
ハーズ・スレイマン、ダナイ・グリラ、マリアン・セルデス
製作国:2007年アメリカ映画
上映時間: 1時間44分
コネッチカット州
ウォルターは経済学の大学教授として地位も財産もあるが
授業にも執筆にも気持ちが入っていない
『振りをしているだけだ』と自分でわかっている
ピアニストであった妻が亡くなり、一人で暮らしている
孤独、人とのつきあいもおざなりだ
頼まれてニューヨークで開かれる学会へ出かける
自分の持ち物であるアパートの部屋に入ると
シリア人とセネガル人の若いカップルがいる・・・・
シリア人の青年タレクは“ジャンべ”というアフリカ発の太鼓の奏者
ウォルターはタレクからジャンベを習い始め、誤解があり、距離のあった2人が次第に心を通わせていく・・・・
タレクのぶつかった困難
教授はタレクを助けようと動くうちに、少しずつ変わって行く
『こんなことが許されていいのか あんなにいい青年を
なんて自分は無力なんだ 』
青年の力になることはほとんどできなかったが
ウオルターは新しい人生をはじめる・・・・
ほろにがく
でもかすかにある希望を捨てないラスト・・・・
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オープニングレセプション 2009年7月24日(金)18:00~21:00
に参加してきました
ウエッブチェアーは細いステンレスでつくられたフォルムが美しい
すわったり・・・・・・・しっかりとした座り心地
持ち上げてみたり・・・・とても軽い
量産化されると売れると思う
今検討されているそうだ

橋本潤 / Jun Hashimoto
http://www.juniodesign.com/index.htm
http://blog.smatch.jp/hasimoto
http://blog.smatch.jp/hasimoto
「くものすのいす/Web Chair」紹介
http://blog.smatch.jp/hasimoto/4
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山本達雄と橋本潤によるデザインプラットフォームbooksは
東京デザインセンター企画展Japan Design in Milano Salone 2009に出展いたします。
Japan Design in Milano Salone 2009
MILE×books×小林幹也 展
2009年7月23日(木)-2009年7月28日(火)
平日11:00~19:00 土休日12:00~18:00
東京デザインセンター8階 TDCスペース
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映画『チェチェンへ/アレクサンドラの旅』
原題:Alexandra
監督・脚本:アレクサンドル・ソクーロフ
製作総指揮:ドミトリー・ゲルバチェフスキー
製作:アンドレイ・シグレ
撮影:アレクサンドル・ブーロフ
音楽:アンドレイ・シグレ
製作国:2007年ロシア・フランス合作映画
上映時間:1時間32分
配給:パンドラ、太秦
公式サイト
http://www.chechen.jp/
アレクサンドラ(80歳)は
ロシア軍駐屯地に大尉として勤務する孫のデニス(27歳)に会うため
軍用列車や装甲車を乗り継いでチェチェンの最前線までやってくる
(ロシアで家族が戦地にいる兵士を訪ねるのは珍しいことではないらしい)
孫は優秀な将校で掃討作戦に従事している
彼女は孫と同じテントに泊る、
「疲れた」「腰をおろしたい」といいながらも
基地の中を歩きまわり、市場にでかけて行き、
若い兵士たちや現地の人と親しくなってゆく
戦場のシーン、戦闘のシーンはまったくないなく、
戦場の最前線である基地とその周辺を舞台に、
最も大切な家族、見知らぬ者同士といった人と人との触れ合いを、
丁寧に描き出す
数日の間の行動を追った映画だが、チェチェン戦争の悲しみや苦しみ、
そして深い傷がゆっくりと浮かび上がってくる
主演のガリーナ・ヴィシネフスカヤは、オペラ歌手
チェリスト、ロストロポーヴィチ(2007年死去)の妻
夫とともにソビエト政府により、国籍を剥脱され、
20年間以上アメリカで亡命生活を送った女性である
撮影当時80歳
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大雪山系トムラウシ山遭難事故に思う
たいへん痛ましい遭難事故が起こてしまった
亡くなられた方のご冥福を祈りたい
北海道の山は侮れない
高さは低いようでも厳しい
(最近利尻島の利尻岳に登った時は風雨はあったものの、幸いなことに、
激しくはなく、気温もあまり下がらずという状況だったので、
山頂まで行くことができた)
しかしこの遭難は人為的な遭難事故であったと思える
ガイドの適切な判断や指示、早い救助要請があれば
かなりの方が助かったと思えるからだ
18名(内3名がガイド)の空港集合ツアーのパーティである
遭難事故で亡くなられた8人の死因はいずれも凍死
59歳から69歳までの山歩き愛好家
山歩きはしていたが冬山の経験はない方たちであった
大雪山系は標高2000メートル級の山が続く
1500メートルを超えると大きな木は生えないため、強風が吹くと遮るものがない
今回のツアー客も強い風雨にさらされ、体感温度が一気に低下したとみられる
大雪山周辺の16日の気温は8~10度で、雨が降り、
風速は台風並みの20~25メートルとみられている
当時の体感気温は氷点下との見方もある
高齢者にとって低体温症は危険だ
若い人よりも寒さや暑さへの感度が鈍いため、
今回のように「寒い」と気づいた時には手遅れで、動けない状態に陥ってしまうことがある
体温が35度以下になると、低体温症となり、震えが始まる
33~32度になると動けなくなり、30度以下で意識がなくなるとされる
低体温症について
低体温症 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8E%E4%BD%93%E6%B8%A9%E7%97%87
低体温症について
http://www5.ocn.ne.jp/~yoshi515/teitaion.html
2002年7月トムラウシで二人、9月に黒岳、十勝岳で一人ずつ低体温症による死亡事故があった
つまりこの山では7月であっても起こりうる事故であった
今回の遭難ではリーダーの責任は免れない
遭難したパーティーは連日8~10時間縦走する日程で、
15日には雨の中を約10時間行動していた
13日北海道入り
14日旭岳温泉出発 雨の中白雲岳避難小屋まで歩く
15日曇りヒサゴ沼避難小屋まで歩く
16日午前5時30分頃に宿泊先のヒサゴ沼避難小屋をスタート
▲かなりの風雨なのにあえて出発している
出発から約5時間後
10:30-11:00最初に倒れたメンバーの回復を待ったのか
▲他のメンバーを風雨の中に長時間待機させて体力を消耗させている
▲倒れた人にガイド一名をつけて残した
このガイドを含めて2名は山頂付近のテントで亡くなられた
▲この時点で救助依頼をまったくしていない
他のメンバーは先にすすんだ
山頂手前の北沼、晴天なら3時間くらいだが、一行は5時間以上かかっている
3日目の疲労に加え悪天候で、体力を消耗する人と、そうでない人に差が出た
11:30-12:30
▲歩けないものが4名出たため、ガイド1名をつけて残した
テントを張ってビバーグしたものの、この中の2名が亡くなられた
▲1名が意識不明になっているのにこの時点でも
まったく救助依頼をしていない
(夜8時半ごろ男性2人、女性3人のグループから新得署に携帯電話で連絡
女性1人が意識不明で、近くに別に倒れている生死不明の男性を目撃したとの内容
その後交信できなくなる)
先へ進んだメンバー11名が、ガイドのスピードについて行けず
脱落してゆく この中から4名が亡くなられている
15:55ガイドがやっと救助依頼を発した
▲この時点では引率しているメンバーが2名のみ
パーティを掌握していない
ガイド同士交信するための無線も所持していない
▲救助依頼が遅すぎる
▲まとまった行動で助け合うことをを何故しなかったのか
▲このガイドは最後に自分自身も倒れているところを発見されている
深夜になって自力で登山口に達したメンバーが救助された
(朝4時 道警航空隊、自衛隊ヘリコプターなど計3機が順次上空からの捜索を開始)
ヘリコプタで救助されたメンバー、
病院に送られたが亡くなられたメンバー
(朝5時30分 自衛隊地上部隊が北沼付近で3人の生存者と4人が倒れているのを発見)
自力でたどり着いた者5名、救助されたもの5名(内4名が亡くなられた)
▲ガイドの内2名はこの山に登っていない 下見もしていない
早い手当が必要だった最初の一名を助けることをせず先へすすみ
(低体温症のことを知らなかったのか)
さらに意識不明で倒れたもの、歩けなくなった者を助けることをせず
残ったメンバー(道を知らないツアー客です)をきちんと掌握せず
指示せず、バラバラになってしまい、自分も倒れている
厳しいようだが
責任がガイドと募集した旅行会社にあることは明白だと思われる
参考
山行記録 地図、コースタイム
http://www.enjoyhike.com/hiking_records/200808taisetsu3.htm
北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/
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昨日、私は休みだったが、チームには除草の仕事が入っていた
一日で終わらなかったとのことので、今日は参加することになった
5人で6時間
昨日は風もなく辛かったらしい
今日は暑かったが少し風があった
庭のあちこちの小灌木にところどころワタムシがいる
全身白い気味の悪い虫だ
ムシがいるところも綿だけが枝に残っているところもある
たいてい枝が混み合って風通しの悪い場所だ
ついている枝を切り取るかこすりとった
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朝雨が降っていたので、今日の仕事は中止となった
しばらくぶりで出かける
●ドキュメンタリー映画『長江に生きる』
揚子江の三峡ダム建設の過程で140万人が移住させられた
湖北省桂林の斜面に散在する畑で暮らしをたてている
貧しい農婦の生活や生き方を立ち退きの問題も含めて
7年間にわたって
中国人の女性監督が寄り添うように記録した映画
身体の弱い夫と二人のこどもを守り、一家の大黒柱として働いている
●映画『シリアの花嫁』
1967年からイスラエルに占領されているゴラン高原の村
イスラム教徒のドゥルーズ派の娘がシリアへ嫁いでゆく
シリアは占領を認めていないので
境界線を越えると2度と戻ることができない・・・・・
結婚式のため家族が集まってくる、
花婿のいない披露宴、
境界線での家族との別れ
京王線の急行は新宿の次が市ヶ谷
市ヶ谷から山種美術館へと歩く
●『上村松園/美人画の粋』展
山種美術館から竹橋の国立近代美術館へ歩く
北の丸公園をとおって・・・
●『ゴーギャン』展 金曜日なので20:00まで見ることができる
PAUL GAUGUIN 1848-1903 54歳で没
『我々はどこからきたのか
我々は何者か
我々はどこへゆくのか』
1897-98年の作品
◎偶然妹夫婦が来ていたので一緒に食事をすることに
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