|
|
朝電話があり『雨のため今日の仕事は中止』
映画「オリヲン座からの招待状」へ行く
宮沢りえの映画なので
『父と暮らせば』がよかった
この映画の宮沢りえもよかった
昭和30年代の京都の映画館
シベリア帰りの男が館主であり映写技師である
宮沢りえはその妻
夕餉の支度 まな板で何かを刻む包丁の音
男が縁側でかつを節を削る音
削り器の引き出しを抜き、妻に渡す
ぬか漬けをかめから取り出す
大津から来た若者が住み込みで働く
『無法松の一生』をいつか上映したいと若者に語る男
夫の突然の死
泣く宮沢りえ
どっかにゆきましょう
自転車に乗る宮沢りえの長いシーン
それを眺めている若者
映画館の存続
映画館は再開されたが客足は遠のいてゆく
フィルムを借りる金が無かったこともあった
売店に残ったあんぱんが三度の食事だったこともあった
貧乏な暮らしをいやと言うほど味わった
それでも映画館は続けられた 残った二人によって
今死の床にある妻
映画館を閉めるに当たって招待状を書く男(映画はこのシーンから始まる)
www.toei.co.jp/ movie/orion/index.htm
|
|
|
|
|
今日の仕事
キンモクセイの刈り込み、中の枝抜き
カイズカイブキの刈り込み、中の枝抜き 庭を囲んで10本はある
庭に植えた木が込んでいて脚立を立てる場所が少ないないので
どうしても無理な姿勢になる あぶないあぶない
杉ッ葉と言ってカイズカイブキの葉とは違った葉がところどころ出ている
これは強い勢いがあり、他の葉に影響するのでるので抜かなければならない
|
|
|
|
|
椿の剪定
車庫のそばのかなり大きい木
一回り小さく
中を透かせるように と・・・・
今の時期だともう大きくなったつぼみがたくさん付いている
小さい花芽もあって、これは将来つぼみになる
立っている枝や横に出ている枝は迷うことなく切れるが
つぼみを残そうとするとあまり小さくできない
大きなつぼみがある枝を残すと全体の形がまとまらない
近くで働いていた先輩のMさんに聞くと「切っていいよ」
思い切って多少つぼみも含めて、切り終わったところへ
通りかかったIさん
「できるだけつぼみをのこしてあげてね」
「・・・・(もう少し残してもよかったか)」
と今日は少し悩んでしまった
結果的にはきれいな樹形
きれいな透かしにできたのだけれど・・・
●ツバキの剪定は、花後すぐ できる限り早い方がいい
●木を大きくしないためには
花を付けた枝を 葉を2~3枚残してその上方を切る
このようにすれば葉の付け根から新芽がでてくる
|
|
|
|
|
木が多い庭だったので、5人で行ったが一日では終わらず
明日も継続することになった
ヒマラヤ杉の剪定 道に脚立を立てて・・・
抜け道になっていて車が通ってゆく
トラックもすり抜けてゆく 皆徐行している
ロープで固定しているがトラックにぶつけられたら大変なので・・・
キンモクセイの刈り込み 枝抜き
花は終わったばかりだし、ひとまわり小さくする
モチノキの剪定
大きくなり過ぎたヤツデをふた周りほど小さくする
池及び池の周りの清掃
|
|
|
|
|
六本木、新美術館
フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展
金曜日は8時までやっているので、比較的すいていて
ゆっくり見ることができた
オランダの勃興と富の蓄積が生み出した風俗画
布や毛皮など物の質感
油絵も銅版画も職人技、技術の確かさに支えられている
風俗画は絵を見る楽しさと当時の風俗を見る楽しさと両方を楽しめる
店の様子、市場の様子。並べられている食材、買い物の様子
家で働く女性、使用人、鍋を磨く、縫い物
料理の様子、鳥の羽をむしる、暖炉
パンケーキを焼く
冬のスケートの様子
男女の関係
バックギャモンに興じる男
酒を飲む男女
フェルメール『牛乳を注ぐ女』は特別室にある
最前列は「立ち止まらずにご覧下さい」となっている
これはうんざりだけれども
それでも4列目ぐらいにしきりがあり
その後ろからは立ち止まって見ることができた
双眼鏡を持っていった方がいいですよ
見事な絵だ ずっと見ていて飽きない
左側の窓から入る光が女性に注がれる
顔や腕が光を浴びている
女性の顔から女性の視線に沿って自然に目は壺に、
注意深く牛乳が注がれている
その前には大きな籠のパン、ちぎられたパンの固まり
やわらかな光を受けて、輝くパンである
このパンは食べ残しか
古くなったパンを牛乳に浸してあとから料理に使うのかもしれない
絵の具に含まれている鉱物の粒子が、光を受けて
画面全体に輝いている
女性の黄色い上着、青いエプロン、赤いスカート
白い頭巾
光に輝くパン
女性の持つ赤い壺、壺から注がれる白い牛乳・・・
青はラピスラズリ(石)を粉にして、亜麻仁油を加えて、練って作った
ウルトラマリンブルー
この石は当時、黄金と同じほど高価だったという
青も赤も黄色も一つ一つの色が美しい
http://milkmaid.jp/index.html
|
|
|
|
|
今日は仕事が入っていたのだが
朝早く連絡があって雨のため中止になった
まさに晴耕雨読 ゆっくりしたお休みになった
夕方より六本木新美術館へ
『フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展へ
館内のポール・ボキューズが空いていたので、入って夕食を取った
フランスの三ツ星レストランの日本展開・・・・
この建物は最近亡くなられた黒川紀章の設計
レストランは空中に浮かんでいる・・・・
|
|
|
|
|
1841年生まれ
1864年 モリゾ サロン初入選
1868年 モリゾは27歳、ファンタン=ラトゥールの紹介でマネを知る
マネの『バルコニー』のモデルをしている
この絵は1869年のサロンに入選してた
1870年 29歳 マネの『休息』のモデルをしている
1872年 31歳『菫の花をつけたベルト・モリゾ』のモデル
1874年 33歳第一回印象派展に参加
マネの弟ウジェーヌと結婚
1894年 50点の作品を描いた
1895年 ジェリーのインフルエンザがうつってで亡くなった
約300点の作品 100点が風景
ジェリーを描いたものが70点
2 モルクールのリラの木 姉エドマと二人の幼いこども
姉は黒い服、刺繍をしている、帽子をかぶっている
すると
そこに転がっている水色リボンのついた帽子はベルト・モリゾのものだ
14 庭のウジェーヌと娘ジェリー
小さな池、赤い船、
スケッチをしている父親
後ろ姿、白い服青い帯のジェリー
15 寓話または 乳母と赤ちゃん
パジーとジェリー
緑のベンチ、青い服、白いエプロンのパジー
向かい合っている娘 白い服
モリゾの筆触(タッチ)
未完成に見える作品も未完成ではない
その時を留めて、過ぎ去ってしまえばそこにはもう戻らない
その決意はすがすがしく
光と影の中にとけ込んだタッチは抽象画のようになる
積み藁の描写などモネの先を歩いていたと言える
印象派の中でも「もっとも妥協しない人」と言われたという
ベルトのことば
「幼年期と老年期はよく似ている・・ともに魂の存在を強く感じる時だから」
|
|
|
|
|
たまたま招待券をいただいたので
最終日 二度目の拝観
いろいろ新しい発見があった
例えば
31 栄花物語図屏風 手前に直角に組み立てた簡素な竹垣があり美しい
スケッチをしてきたので、これならかなり簡単に作れる 今度やってみよう
63 源氏物語図屏風 にも変わった竹垣がある
太い竹を四角に組んだ中に割った竹を並べてある
上には飾りと侵入よけの鉄製の飾りが取り付けてある
この太い竹の部分を白木にした垣根も描かれている
割った竹の隙間から中を覗いている貴公子・・・・
こちらもスケッチをした
調べたところ、これは木賊(とくさ)塀とわかった
http://images.google.co.jp/imgres?imgurl=http://www.yamaju1.com/kakine/k-img/08-2-l.jpg&imgrefurl=http://www.yamaju1.com/kakine/08.htm&h=250&w=145&sz=11&hl=ja&start=2&um=1&tbnid=iUARPZ3oKxIthM:&tbnh=111&tbnw=64&prev=/images%3Fq%3D%25E6%259C%25A8%25E8%25B3%258A%25E5%25A1%2580%26svnum%3D10%26um%3D1%26hl%3Dja%26lr%3Dlang_ja%26client%3Dfirefox-a%26rls%3Dorg.mozilla:ja-JP-mac:official%26sa%3DN
58 柳橋水車図屏風 にある竹の組み物は竹垣ではなく蛇篭だとわかった
7 日月四季花鳥図屏風 室町時代
前回は保存状態が悪い作品と思ってよく見なかったが
今回よく見るとたいへん優れた作品であることに気づいた
松と紅葉を前後に置いた組み合わせ、大胆に葉は手前に来ている
しだれ柳と桜を前後に置いた組み合わせ、大胆に桜は手前に来ている
川の流れと川辺の菊の表現
その様式化の見事さに感嘆した
|
|
|
|
|
急に決意して神奈川近代美術館へ出かけた
鎌倉は遠い 一日がかりであったが
『アントニン&ノエミ・レーモンド展』は見に行って良かった
アントニン・レーモンドの建物は
近所の東京女子大の建物群でお馴染みである
軽井沢でペイネ記念館になっている『夏の家』も見たことがある
弟子の吉村順三の『軽井沢の家』も見た
同じく弟子の前川國男の自邸 1942年は小金井公園に移築されていてお馴染みだ
これらの住居はそれぞれ家の内部と外が微妙に交感していて光や風がよく通る
身体の動きやすさや視界に飛び込む景色のひろがり、眼の喜びがよく考えられている
親しみやすい空間が作られていて、気持ちよく住めそうだ
『アントニン&ノエミ・レーモンド展』
アントニンはチェコ生まれのアメリカ人
ノエミはフランス生まれのアメリカ人 イラストレーターでもあった
アントニンは建築界に疑問を持ち、画家になろうとイタリアへ旅行、アトリエを構える
しかし
第一次大戦の始まりにあって、イタリアからのアメリカへの帰国船に乗る
その船の中でノエミに出会い、結婚した
二人の絵や版画が展示されている
アントニンの水彩『ポエテックムード』
ノエミノ木版も水彩も色鮮やかでとてもいいものだ
ノエミがデザインした椅子や布、ラグどれも堅牢、しっかりしたつくりで飽きがこない優れたものだ

軽井沢の夏の家 息子のクロードが水の流れのところで遊んでいる
栗の木の柱、杉の梁、屋根は唐松で葺いたという
雲南坂の自邸 1926年完成
中心に螺旋階段
1階からは庭にすぐ出られる 広い居間に天井から光が降り注ぐ
暖炉がある
2階からは1階の屋根の上の庭にすぐ出られる
3階からは2階の屋根の上の庭にすぐ出られる
|
|
|
|
|
ムンク展 国立西洋美術館
今回の展示方法はとてもよかった
ムンク自身が作品を帯状に展示することで
一つ一つの作品が違って見えることに気づき
飾り方を様々に変えて、その効果を試していたという
中心的な作品群を『命のフリーズ』と名付けその展示を工夫していた
その装飾性を重んじ、それによって飾られた芸術家の家を造ろうとしていた
1863年生まれ、父は医師
5歳で母を亡くし、さらに結核で姉を亡くす
有名な『叫び』は1983年、30 歳の作品
同じ年『絶望』『声/夏の夜』1984年『不安』
彼の亡くなった歳は80歳である
私はもっと早く亡くなったと思いこんでいた
前にムンク展を見たときには、薄く、いい加減に塗られた筆あとや
輪郭のはっきりしない顔や身体の描写をみて
この作者は晩年は狂っていたのだと思った
今回の展示では
リンデフリーズ 眼科医の依頼で書いたこども部屋のための連作
ラインハルト・フリーズ ベルリン小劇場の装飾のための連作
オスロ大学講堂のための連作 11点を7年かけて書き上げた
フレイア・フリーズ チョコレート工場の食堂に飾った連作12点
労働者フリーズ オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト
と充実した晩年だったことがわかる
映像で紹介されたことば
私は作品において謎を解き明かそうとしてきた
命とはいったい何なのか (記憶によるメモ)
私の作品を見た人がその答えを見つけることができたなら私はうれしい
『不安』1894年
『命のダンス』1925-29年
|
|
|