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屋根より高くなったシュロ二本の葉をとる
先の所に2、3本残すだけで後に葉を取り去る
道路際なので葉を下に落とす時に注意した
二連バシゴを使った
シュロの幹にロープで固定するとき、外す時にはもう一人に押さえていてもらう
この高さではグラリときたらかなり危険だ
マキの玉づくりの剪定
家の中からも外からも目立つ大事な木なので丁寧に作業した
もう少し早くと後で言われたが今後の課題ではあるが今は仕方がない
こちらは3脚を使った
支柱を必ず木の幹に固定したので安心
安全ベルトも使った
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今日は高木の作業
ヘルメット、安全帯を使い
はしごも必ずロープで固定します
太い枝はロープで釣り下げた形に結んでから切ります
こうしないと落とした枝が人体や建物に危険です
一人がロープの端をもち、急に落ちないよう支えます
隣へ張り出した枝を切り
枯れてしまった枝や幹を切りました
太い枝や幹にはチェンソーを使いました
終わった後の片づけにはチェンソーだけでなく鉈や斧を使いました
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府中美術館で「キスリング展」が始まった
10.13(土)-11.18(日)
■休館日:毎週月曜日
■開館時間:午前10時~午後5時(最終入場は午後4時30分)
http://www.art.city.fuchu.tokyo.jp/
プティ・パレ美術館(ジュネーヴ)蔵の作品が多い
府中美術館は好きな美術館だ
家から車で30分でゆける、駐車場が無料
展示は約60点と見やすい数
来館者が少ないのでゆっくり絵を見ることができる
展示の合間に喫茶店で休憩できる
絵を見た後、府中公園内を散歩できる
案内のチラシがふつうの倍のボリューウム
図版も多く、内容が詳しい
館員が皆丁寧
モイーズ・キスリング(1891-1953)は
ポーランドの古都クラコフにユダヤ人の仕立屋の息子として生まれた
19歳で故郷を離れ、芸術の都パリへ エコール・ド・パリを代表する画家となる
第一次大戦では志願してフランスのために戦い負傷
その後フランス国籍を得る
第二次大戦ではアメリカに亡命
ユダヤ人としての苦難、悲しみを秘めながら
生きる喜び、描く喜びを感じさせる人気画家であった
明るい色彩、洗練された感覚、
描く対象や人へのあふれるような愛情
親しみやすい描写
好きな画家である
《サン=トロペでの昼寝(キスリングとルネ)》1916年
《魚(ブイヤベース)》1931年
《花束》1931年
《スウェーデンの少女、イングリッド》1932年
《女優エディット・メラの肖像》1932年
《女優アルレッティの裸像》1933年
《ブロンドの少年》1937年
「美しい裸の娘は私に喜びを、彼女を愛したいという思いを、幸せな感情をよびさます。私は、ポーズする彼女の背景の布や地が、私の喜びの表現であってほしいと思う・・・」(キスリング)
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サントリー美術館のBIOMBO展に行ってきました
BIOMBO展
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/07vol03biombo/index.html
BIOMBOとは、「ビオンボ」と発音
ポルトガル語やスペイン語で「屏風」を意味する
近世初期の南蛮貿易で日本からの輸出の品として、贈答品として
海を渡り、西欧にもたらされたためできたことばだそうです
紙と木という華奢な作りでありながら用途に合わせて選ばれ、
建物を飾り、有効に活用するための道具である屏風
豪華な絵や活力あるおもしろい絵によって、
儀式に必要だったり、生活を楽しませた屏風
豊国祭礼図屏風、祇園祭礼図屏風、賀茂競馬図屏風などでは
ひとつの屏風にたくさんの人物
日本の漫画の伝統はここにある・・・・
神輿を担ぐ男たち 4艘をつなげた船に乗せられる御輿
踊っている男たち、女たち
山鉾の列
見物の老若男女、様々な職業、 金持ち、貧乏人
露天商人も描かれている
たばこを刻んでいる男
ところてんを売っている男は木の枠に入れたところてんを押し出している
その場で食べている男たち、
そばをうっている男、まわりに食べている男たち
まくわうりを売っている男
買ってきたまくわうりを切って食べている男たち
ひとつひとつ見てゆくと当時の人びとの生活の様子や祭りの熱狂が伝わってきます
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大きくなったモッコウバラの剪定
大きくなったタケの剪定
古くなった竹垣を壊し、新しい竹ざおで作り替える
短い竹はつなぐ
シュロ縄を使って堅く結ぶ
こんなことも一人でできるのです
珊瑚樹に覆いかぶさって広がっているカラスウリの蔓を取り除く
桃の剪定
片づけ、清掃
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昨日は仕事の後
成蹊大学に講義を聴きに行った
仕事終了から席に着くまで、15分
家に帰り、道具を置き、服を着替えて、自転車に乗って駆けつけました
思想としてのアメリカの第3回
加藤節 「ジョンロックとアメリカ」
15分遅刻だが約1時間聴講できました
『統治二論』を訳された加藤節教授による熱のこもった講義でした
これは武蔵野市の市民講座で
成蹊大学の講座に学生と一緒に、市民80名が参加しています
丸山真男「17世紀に身を置きながら18世紀を支配した思想家」ジョン・ロック
王権神授説を批判して、不当な政治への抵抗権、革命権を主張したジョン・ロック
ジョン・ロックのアメリカへのまなざし
アメリカの独立に当たってジョン・ロックの文章が
思想的武器を提供したこと
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大きなキンモクセイの剪定中
支柱に立てかけるタイプの脚立がぐらり
これは危ないと思った後
見事に?落ちてしまった
落下途中に支柱とはしごを結ぶチェーンに足が引っかかり
背中から落ちた
ヘルメットもしていたし、幸い怪我はなかったが・・・反省の必要有り
ぐらぐらしたのは地面が柔らかかったため
登る前に確かめたのだが
体重の移動で片方が沈んだ
通常はぐらぐらしないように木に脚立を縛り付けるのだが
大きなキンモクセイの外側の作業だったため
縛ることがことができなかった
安全帯も掛けるところがなく使っていなかった
あぶない、あぶない
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雨が降ったりやんだりしたが、今日の作業が無事終わった
高所作業では小雨でも滑りやすくなるので足場に気を使う
ヘルメット、安全帯着用、はしごを縛るロープと安全対策がされている
山で高いところに登るときは
『3点支持』といって三か所を保持して一か所を動かします
これを守っていると高いところでも安心して移動できます
岩がもろかったりと言う危険はありますが・・・
木の作業では両手を使うことが多いのでこの三点支持ができません
枝が折れたり、濡れた木の枝で足を滑らせたり、
はしごや脚立が倒れたり
と危険があります
また刃物を手に持っての上り下りはしないことになっています
それでも
実際に庭の高所作業で亡くなる方の一年間の集計数は全国ではかなりの数になります
作業に当たって十分注意する必要があります
今日は
シラカシの剪定
イトヒバの剪定
ウメの剪定
と高所作業がありました
できばえは満足できるレベルに仕上がりました・・・
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映画『ミリキタニの猫』 THE CATS OF MIRIKITANI 書き込み中
渋谷ユーロスペース
ジミー・ミリキタニは80歳を超えた老人
ニューヨークの路上に住むホームレスの画家であった
近くに住みジミー・ミリキタニの描く絵を買おうとしたことから
知り合った女性映像作家がこの映画の監督
ジミー・ミリキタニはカリフォルニア生まれ
日本で教育を受けたが、軍人になるのがいやであり
日本の絵をアメリカ人に知ってもらいたいと
戦争の直前に広島からアメリカに帰国した
しかし戦争が始まり
砂漠に作られた日系人の強制収容所に3年半入れられていたため
その志を果たすことができなかった
アメリカの市民権もそのときなくなったという
姉ともその収容所で別れたきりだという
ジミー・ミリキタニの絵
韓国人の花屋の店先に住むジミー・ミリキタニ
女性監督とのつきあい
女性監督の家に住むジミー・ミリキタニ
女性監督の調査
アメリカ政府の対応
老人ホームの対応
日系人収容所への旅
見てよかったと思えた映画でした
ニューヨークのホームレス日系老人画家を取り上げることを通して
この映画にはアメリカの今が映し出されている
ジミー・ミリキタニの物語の推移の中で
アメリカの懐の深さがじんわりと伝わってくる
監督を始めジミー・ミリキタニのまわりにいるアメリカの人びとの優しさ
アメリカ政府の問い合わせへの対応、記録保存の信頼性
及び問い合わせへの返答の早さ
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府中市美術館まで車で出かけた
無料の駐車場がある
府中在住の画家藪野健の
藪野健―記憶の都市を見た
52点の油絵と69点ほどのスケッチ
油絵は大きな作品が多い
スペイン、イタリアを描いた作品が多い
フランスもあった
不思議な空間である
「僕は自分の見たい風景を描いている」
「僕の描いているのは
行きたかった場所、生きたかった時代です」
スペイン市民戦争前のスペインで僕は生きてみたかった
と
幼い頃の自分がいる風景が描かれる
「絵を描くことは、呼び起こすことだ描いていると
絵が応答してくる
絵を描くことにはどこか深い魅惑がある」
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2007年7月28日(土)~10月8日(月・祝)
休館日 月曜日(9月17日・24日、10月8日は開館)、9月18日(火)・25日(火)
開館時間 午前10時~午後5時(入場は4時30分まで)
主催 府中市美術館
観覧料 一般600円、高大生300円、小中生150円
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