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目黒美術館《線の迷宮<ラビリンス>2―鉛筆と黒鉛の旋律》
http://www.mmat.jp/
出品作家
磯邉一郎、小川信治、小川百合、木下 晋、齋鹿逸郎、佐伯洋江
篠田教夫、関根直子、妻木良三
2007(平成19)年7月7日(土)~9月9日(日)
月曜休館
会場・主催:目黒区美術館
観覧料 一般 600円
大高生・65歳以上 400円
目黒駅から権之助坂を下って行く
目黒川にぶつかり橋を渡って右へ
プールを手前を左に行くと美術館にたどり着く
下りなので歩きやすく、駅から10分くらい
この美術館は小さい
それ故展示数も限られるのだがそれだけゆっくり展示を楽しむことができる
鉛筆、消しゴム、シャープペンシルなどを使った絵
丁寧な細かい描き込み
どれも黒と白の世界だが
作者によって
独自の世界が作り上げられ、屹立している
例えば
篠田教夫は貝の表面を丁寧に描く
小川百合は図書館やオペラ座の建築の階段や、図書館の古い本を描く
木下晋はしわの刻まれた老人の顔を描く
関根直子の描く道は透明な空気のゆらめきのなかでゆがんでいる
根気よく描き込まれた手の痕跡に圧倒される
写真は小川百合さんの作品ですが展示されているものではなく
インターネットで見つけたもの
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まだメモのようなものですが、少しずつ記入してゆきます
恐れ入りますが7/24の日記まで戻って下さい
『黄色い星』写真集を読み終わった
ゲルハルト・シェーンベルナー 松柏社2004年
これは1933年にナチスが政権を取ってから1945年に壊滅するまで
におこなわれたユダヤ人迫害から絶滅計画の実施にいたる記録です
前文によればほとんどの写真が迫害した側、絶滅計画を実施した側が撮ったもの
1933年頃のベルリンやミュンヘンの写真が掲載されていた
ナチによる街頭行動 商店襲撃や焚書の写真
いま見てきたばかりの風景と重なる・・・・
続いて
『ドイツにおけるナチスへの抵抗1933ー1945』
現代書館1998年
を読みはじめた
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2007年08月15日
07:16
初めての都市や町は歩いてみてやっと顔が見えてくる
少しの時間でも見つけて
初めての都市や町を歩いて測ってみることにしている
今回のドイツ旅行、初めての都市はベルリン
朝食前にホテルから散歩に出る
地図で見ると勝利の塔まで2キロもメートルもないことは調べてある
ガイドブックの地図には手製の目盛りを書き込んだ紙片を挟んである
(500mの目盛りがついていたら、それを使って4km位まで目盛りをのばしてつくっておく)
勝利の塔からもさらに足を伸ばせそうだ
まだ車も人も少ない中、初めての通りを歩いて行く
バウハウスの建物がある
まだ開いていないが庭の方までは入れる
勝利の塔は高く・・・69mある、 朝日に金色の像が輝きはじめていた
1873年に建てられた
1864年デンマークに、1866年オーストリアに
1870年フランスに勝利した記念の塔である
周りにビスマルクモルトケ、ローンの像
この勝利の塔はヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders>の映画
「ベルリン・天使の詩」制作年 1987に
天使が時々休む塔として描かれている
まだ時間があるのでウンター・デル・リンデン公園をまわって帰る
ことにした
朝の光を浴びた木々の中を歩くのは気持ちがいい
散歩の人、ランニングの人や通勤の人
リヒテンシュタイン橋に出た
この辺にあるはずだけどと橋を渡ってホテルに帰り始めると
それはすぐ見つかった
見つかったのはローザ・ルクセンブルクの記念碑
墓ではない
この場所にに記念碑が建てられたことの意味は・・・
ローザ・ルクセンブルクはポーランド生まれの革命家
1871年3月5日 - 1919年1月15日
1898年ベルリンへ
第一次大戦の敗戦にあたってロシア革命が起こる
続いてドイツ革命が起こる
1918年11月皇帝廃位
ドイツ・ワイマール共和国体制出発
さらなるドイツ革命を目指して活動していた
12月29日から翌1919年1月1日にかけて開かれた創設大会でドイツ共産党創設
蜂起への動きを押さえきれず・・・
1月9日~15日戦闘のでスパルクス団ほかの革命軍は壊滅、レーテも解体されてゆく
ローザとカール・リープクネヒトは1月15日にベルリンで逮捕さ
れともに虐殺された
彼女の遺体はこの運河のこの場所に投げ捨てられていたという
ドイツ革命はこの二人の死によって止めを刺され
ナチスの政権奪取へと歴史は進んで行く
冷たい言い方になるが殺されてしまった革命家は失敗した革命家である
だが彼女は優しい人柄とその戦闘的な思想で知られている
その思想はロシア革命とレーニンをも批判した
レーニンの前衛による大衆の指導、前衛党による革命指導を批判し
大衆の自然発生性への信頼を掲げた
東ドイツ出身のガイドさんにローザ・ルクセンブルクのことをきいたら
記念日があって、毎年学校からデモに参加していましたとのこと
日本人である私がローザ・ルクセンブルクを知っていることに驚いていた
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キャンプに、国際交流へと
皆様ラボ・パーティのこどもたちと手応えのある夏をお過ごしのことと思います
6月の後半から昨日まで長い間書き込んでいませんでした
風が止まった二ヶ月でした
造園の仕事が忙しくなったためと
7月後半からドイツへの旅行にでていたためです
木のためによくないので
造園の仕事は8月いっぱいまでお休みです
9月からはかなり仕事が入り忙しくなりそうですが
少しずつ書き込もうと思っています
私のページは巡回エンジンロボットによる閲覧が多く
実際に読んでくださっている方はごく少数の方だと思いますが
これからもよろしくお願いします
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ドイツへゆくことは敬遠してきた
フランス、イタリア、スペイン、オランダ
オーストリア、ハンガリー、チェコスロバキア
ロシアと周りの国に行っていながら行くことにためらいがあった
「すべてが秩序のなかにある」Ordnung(=. 「秩序」というのが素晴らしいこととされる国
「すべては秩序のなかにありますか?」という挨拶があるらしい
整然たる秩序が気持ちいいという感性は私はちょっと苦手である
しかしドイツの歴史の現場に立ちたいという誘惑、
ドイツの文学や音楽、映画という魅力もある
一度は行ってみようと
暑くなりそうなポルトガルを後回しにして行くことにした
短い日程で一通り見てしまおうと滞在型の旅ではなく15日間のツアーに参加した
ミラノ経由でベルリンへ、ベルリンからドレスデン、ミュンヘンと時計回りに南下
ノイシュバンシュタイン城、ボーデン湖から黒い森へ
北上してライン川下りをして、ボン、ケルンに至り、デュッセルドルフからミラノ経由で帰国
ベルリン2泊、ドレスデン、ニュールンベルク、ローテンブルク
ミュンヘン2泊、フユッセン、ヒンターザルテン、
ハイデルベルク2泊、ケルン2泊、機中泊と14泊15日となる
ライン川下り以外の交通手段の基本はバスと歩き
ドイツにも温暖化の影響はあるが今回は全体に涼しかったこと
天気に恵まれたので、時間の許す限りよく歩いた
フェルメール(4点)、クラナッハなど絵画を見ることができたこと
リーメンシュナイダー(1460ころ~1531)の彫刻祭壇も印象が強い
ドイツの法と秩序のいい面を見ることができたこと
・・・例えば閉店法で土日と寄るほとんどのお店は一斉に閉まってしまう
日曜日にトラックはアウトバーンを走ることができない
また次のような問題の現状を見ることができたこと
ドイツの都市と農村・・・人口の35%強は人口2万人以下の小さな町に住む
人口の30%以上は10万人以上の82の都市に住む
地方分権、それぞれの地方の特性 たとえば文部省はそれぞれの州にあるので16ある
ドイツの宗教・・・1/3カソリック、1/3プロテスタント、320万人のイスラム、10万人ユダヤ教徒
教会に属している人は教会税という高額の税を税金と一緒に払っている
ドイツの労働事情・・・労働時間の少なさ・・・1522時間、日本は1996時間とサービス残業、
連邦休暇法 年24日以上
労働生産性の高さ 1776年共同決定法 企業の意志決定への労働者代表参加
職人であることの誇り・・・職人が600万人、就業人口の20%、マイスター制度、
12~13Cにはじまるギルド制度に始まる伝統
ドイツの戦争責任問題への対応の歴史、周りの国と積み重ねた歴史教科書づくり
歴史教育、強制収容所や絶滅収容所の保存
外国人労働者問題 730万人 (日本は150万人)人口の8.9%トルコ、ユーゴ、イタリア、ギリシャなど
東西ドイツの統合の現状
環境政策・・・・90年代に包装容器廃棄物規制制令、分別収集、デポジット制
福祉政策・・・・1995年法的介護保険、などの先進的な部分
外交政策 EU政策の現状 兵役18歳で9か月、良心的兵役拒否10か月
ドイツの交通事情 アウトバーン
ドイツの食事 小さいパンは20グラムと昔から決まっている
1200も醸造所があるドイツのビール・・・5000種類ある 1516年バイエルンの純粋法に始まる法律で使う原料は今も守られている、
ドイツのワイン、地方料理
歩行者は信号を守るだろうか ・・・車が来なければ渡る人もいるが、信号が変わるまで待つ人も多い
爆撃され、90%を破壊されても町並みや教会を復元してしまうエネルギー
ルードリッヒ二世の夢の城,ノイシュバンシュタイン城は予想以上によかった
古城の点在し穀物畑やブドウ畑の見える、ライン川下り
コンテナ、重油、石炭などを運ぶライン川の水運
などなどいろいろ見てきました
ゆっくりいろいろ書き留めておこうと思っています・・・
2007.814記入
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「錦繍」(きんしゅう)の舞台を見て
宮本輝が書いた小説の舞台化です
映画やテレビで味のある演技をするのでいつも感心する余貴美子の芝居を見たいと思って行きました
原作はある事件の後離婚し、思いがけず再会した二人の間で交わされる手紙のやりとりで成り立った小説なのです
藤原道山による尺八の演奏と大事なポイントになるモーツアルトの曲にも助けられて
劇は何とか成立、成功していました ともかく余貴美子を見ることができてよかった
演出がラボ・テーマ活動のようで驚きました
手紙の部分は群読風に皆で朗唱するとか
装置や小道具を使わないとか
身体表現による表現を使うとか
登場人物全員ががずっと舞台にいるとか
主役の二人以外は役がどんどん変わって行くとか
(身体表現による杖をついて出てきた麻痺がある7歳の少年が
別の場面では借金の取り立て人となって凄んだり
無理心中で死んだ女性のやつれた父親が喫茶店モーツアルトの温厚な主人になったりします)
演出家はラボ出身の人かと思ったくらい
幕間に確かめたら著名な英国の演出家でした
ミュージカル「レ・ミゼラブル」や「夏の夜の夢」の演出家です
この手法ならこちらはなじみ深く30年以上の経験がありますので
酒の飲み方、布団を敷くところなど身体表現はもっとリアリティが欲しいと感じました
ジェスチャアではなくアクションを徹底した方が効果的だよと・・・
久しぶりにテーマ活動を見る目で見て楽しい時間を過ごしました
天王洲銀河劇場の錦繍 案内
http://gingeki.jp/special/kinshu.html
読売新聞劇評
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20070801et07.htm
ぴあ劇評
http://www.pia.co.jp/news/hot/20070723_kinshu_repo.html
蔵王キャンプ体験者の方へ
この小説はドッコ沼へのケーブルカーで二人が再会したところから始まります
ドッコ沼の山小屋風旅館も元夫が泊まっている旅館としてでてきますよ
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ドイツへの旅から帰って
「善き人のためのソナタ」を見に飯田橋まで出かけました
素晴らしい映画でした
国家保安局シュタージによる監視,尾行、盗聴、手紙の検閲
逮捕、尋問、拘留 、腐敗堕落した権力者たち
20万人の密告者がいるという抑圧の中で自由な発言は封じられる
西側の雑誌「シューピーゲル」誌への投稿でさえ命がけである
タイプライターの字体も識別されてしまうので
投稿には持ち込んだタイプライターを使い、使い終わった後それを隠さねばならない
これがついこの間まで、壁の向こう
東ドイツの現実であったことに改めて驚いてしまいます
東ドイツ出身の主演俳優の最後の穏やかな微笑が印象的でした
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2007.8.5日曜日 第13日 のメモ
朝食後 ホテル中庭を歩く
8:55
●アーヘンヘ 人口268400人
●アーヘン市内観光 市庁舎、噴水、
宝物館見学
大聖堂 9C初頭 ロマネスクとゴチック混在
昼食 ラーツケラー 野菜サラダ、魚
●ケルンへ戻る、ケルン市内観光
ここから自由行動
ケルン大聖堂 157m,144m*86m
塔 520段 2ユーロ
橋まで歩く 大聖堂前のカフェでビール 3,3ユーロ
夕食 豚肉ザワークラウトクネーデル バスでホテル
ラディソンサス2泊目
写真1 アーヘン大聖堂
写真2 ケルン大聖堂塔からの眺め 往復した橋が見える
写真3 ケルン大聖堂
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2007.8.4 土曜日 第12日のメモ
7:25 リュウデスウハイムへ
ニューダーヴァルト記念碑
ニューダーヴァルト記念碑からライン川を見る
●リュウデスウハイム 人口9900人
つぐみ横町
ライン川下りの船に乗る
10:15 ●コブレンツまで ライン川下り 約4時間 上りだと6時間
バスなら1時間
60kmの間に25の城
11~13Cライン川の通行税を取った領主たちが建てた
ライン川 全長1320km ドイツ内698lm
スイス源オランダロッテルダムで北海へ注ぐ
コンテナ、ガス、石炭を運ぶ船
12:00 船内昼食 ライン川下り 豚肉マッシュポテト
14:10 コブレンツ 人口107600人
父なるライン川と母なるモーゼル川が合流する
●ボン 人口314000人
ボン観光 ボン大学
大聖堂 1150~1242年 ロマネスク様式中はバロック
べートーベン生家、博物館
1770~1827年 22歳でウィーンへ
●ケルン 人口966000人
ホテル ラディソンサス
夕食 ラディソンサスパパラッチ 鶏肉 野菜
今日はぶどう畑をたくさん見たので赤白ワイン
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2007.8.3 金曜日 第11日のメモ
8:55 ハイデルベルク市内観光
やよいさん在住日本人の方
「韓国や中国からの観光客が増え、マナーが悪くなっています
せめて私たちはマナーをよく行動しましょう」
◎ハイデルベルク城
フランス軍によって爆破された火薬庫
◎アルテ橋 ◎マルクト広場 ◎聖霊教会 ◎騎士の家
◎学生牢
ここから自由行動
自由昼食 ◎古い学生酒場ツムローテンオクセン 今日の定食 魚フライ ビール
自由行動 ●哲学の道 河畔を戻る
◎カフェ クネーゼル ケーキとカプチーノ
17:15 聖霊教会 ●オルガンコンサート 30分ほど
骨董の店
●城の方へ歩いてみる
思ったより早くハイデルベルク城にたどりつく
城の中心部ではコンサートが在るらしいが広い城内の公園をゆっくり歩くことができた
残照のアルテ橋が見える 写真次の日記
ちょうど時間もいいのでペーター教会の 無料音楽会へ
20:00 ペーター教会 ●シンフォニー ヘンデル ブラームス
21:30 自由夕食 ◎ROSSI ラムスープ 写真次の日記 ジャンバラヤ ビール
ホテルの近くで見つけた ビアガーデン かなり広い前庭
キャンドルの灯火が広がる外の席が気持ち良い
22:30 アルトハイデルベルクホテルに戻った2泊目
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