幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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風の吹く日に・・・
風の吹く日に・・・ [全1125件] 421件~430件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
今日の仕事 「身体と鋏を定規にする」 12月04日 (月)
今日の仕事 「身体と鋏を定規にする」
5人で個人邸 4:00まで

今日は寒かったです
生け垣の刈り込み

●「身体と鋏を定規にする」
例えば生け垣の天端(てんば、と言います)の刈り込みで
7尺のはしごの二段目に乗り、腰のある高さに刈ると決めたら
それを覚えておいて、その通りに身体を固定する
左手の柄は動かさず、右手だけ動かして伐ってゆく
手が届かなくなったらはしごを動かし、また同じ姿勢になる

こうすると水平が保たれ、気持ちのいい水平線が出来る
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アンドレイ・タルコフスキー『鏡』1975年 11月29日 (水)
アンドレイ・タルコフスキー『鏡』1975年

今日の仕事は1:30で終わったので
バウスシアターへ自転車で行く
この映画館には小さいが自転車置き場があるのがいい

アンドレイ・タルコフスキー『鏡』は監督の自伝的映像詩

"私"が胸に秘めている母、母と別れた父、
別れた妻、別れた息子や娘
過去の記憶と過去の記憶が今、交錯することで
もう一度過去が新しくよみがえってくる

「無意識のなかに確かに存在するが、何かの障害によって意識にうまく再現されない記憶・情景」
「このような「心の深層」のイマージュが、ある魔術的とも言える手順を通じて、
この現在に、鏡に映る像のように再現され意識化される
これがタルコフスキーの映画の基本的な構造でもある」

「ふとした言葉や出来事が、映画の場面を、多様な過去の記憶の情景へと引き込んで行く
現在は過去の記憶に浸透される」
(鏡 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia』 )

村から村へ行く道路のそばに家があった
若かった母が、農場の柵に腰掛けてたばこを吸っている
家の前の野原を眺めている 森があり、野があり、ぽつんと電柱が立っている
こどもたちは眠っている 
見知らぬ男 が歩いてくる
医者だという 
鞄の鍵が壊れた、ドライバーか釘を貸してくれと頼む 母は断る
夫を呼びますよ 結婚しているのか 何故指輪をしない 
たばこを一本ください 母と並んで座る 
二人分の重みで柵の横木が折れ、二人とも投げ出される
男は笑っている

風の吹くなか、男が遠ざかって行く
風が野を渡ってくる 男が振り返る もう一度風が野を渡ってくる
過ぎ去って行く医者の姿と共に、
作者の父であるアルセニー・タルコフスキーの詩を朗読する声が流れる


火事の記憶
森の前の納屋が燃えている 暗い森の前の火の色の鮮やかさ

井戸の水を飲む母 男が火に近付いてゆくが消そうとするわけでもない
雨が降ってくる

母が髪を洗う
雨が降っているのか 鏡を、壁を水が流れ落ちている

今の自分は 母とは仲たがいしている
母から電話がかかってくる

『夢を見た 父が家を出たのはいつだった?』『1935年よ』
『納屋が焼けたのは?』『同じ年よ』

『電話したのは 同僚だった~~が亡くなったの』

母は印刷工場の校正係をしていた・・・

朝、校正ミスがあったのではないかと雨の中工場に駆けつける母
雨に濡れている

「もう印刷してしまった 徹夜で印刷したんだ」
心配する同僚たちに一切説明せず、原稿を読み返す母
校正は大丈夫だった

だが同僚が母をなじる
「あなたは自分勝手よ あんないい人が去っていったのは当然よ」
「一度でも自分が悪かったと思ったことがある?」
何か言おうとするが、ことばがでてこない母

シャワー室に鍵をかけ、同僚を拒否する母,同僚は去って行く
シャワーを浴びる母 シャワーの水やお湯が止ってしまう・・・
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アンドレイ・タルコフスキー 『ストーカー』1979年 11月26日 ()
アンドレイ・タルコフスキー 1979年の映画

カフェで店の主人が起き出してくる
男が入ってきて誰かを待っている
貧しい家、一つのベッドに、家族が眠っている
男が起き、出かけようとする

「捕まれば禁固10年、出てきたときには私たちはいない・・」
「静かに・・・、娘が起きる」
止める妻を振りきって、男が出かける
身を床に、激しく悲しみ、嘆く妻

カフェで3人の男が合流する
ゾーンの案内人であるストーカーと作家、物理学者

ゾーンはとても危険なところ出あり、軍隊が入っても壊滅したなので
閉鎖されている

だがゾーンには希望をかなえる場所があり、ストーカーの案内でそこに行こうとしている

チェルノブイリを思い起こさせるがチェルノブイリの事故は映画の後である
映画の終わり近くストーカーの住む町の遠景に原子力発電炉が並んでいる
アンドレイ・タルコフスキーの予感を感じさせた

  参考
  チェルノブイリ原子力発電所(ウクライナ、チェルノブイリ近郊)
  1971年着工、1978年5月1号炉営業運転開始 
  1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)4号炉爆発。
  その後1号炉~3号炉の運転は続けられたが、2000年に稼動停止

進入禁止のため、警備隊の激しい銃撃を受けながらもゾーンに進入
持ってきたガソリンを入れた引き込み線の軌道車でさらに深く入り込む

ストーカーはコインに結びつけたひもを投げ、比較的安全そうな道を捜しながら前に進む・・・
作家はそれを無視してまっすぐに進むが、途中何者かの声がして半信半疑ながら引き返す

ストーカーはいう
「ゾーンにはたくさんの罠がある」
「ゾーンの罠を作っているのは、進入した人の無意識なのだ」

「ゾーンの状況は刻々変化する、じっとしていると危険だ」
「同じ道を戻ってはいけない」

「苦しんだ人、死んだ人をたくさん見てきた」
「ここで死んだ男は詩人だった」
「苦しんでいる人が通り抜けられるようだ」

(「ゾーンから戻った人を知っているのか」)
「願いは叶ったが、一週間後に自殺した・・・」・・・・・

風によって揺れる草木のそよぎが、ゆっくりと流れる水や水たまりが、
現れた黒い犬、深い井戸、壊滅し鉄屑と化した戦車、捨てられた廃棄物、
放置され崩れつつある工場の廃墟が
霊的な力を感じさせ、罠のように思えてくる

SF映画ともいえるが、現代の寓話のようである・・・

そして希望は・・・・
作家や物理学者に代表されている知識人へのストーカーの怒り
しかもストーカーは何も出来ない無力な存在である
深い絶望の映画である
妻はストーカーをやさしく眠らせる
霊的な力があるのか、ひとりで本を読んでいた娘が
テーブルの上のコップを触らずに動かす・・・・
最後に、かすかなかすかな希望があって映画が終わる
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アンドレイ・タルコフスキー『ノスタルジア』 2 11月22日 (水)
アンドレイ・タルコフスキーの映画『ノスタルジア』を見に行く
今まで何度か見てきた作品である

監督・脚本 アンドレイ・タルコフスキー
脚本 トニーノ・グエッラ
撮影 ジュゼッペ・ランチ
出演 オレグ・ヤンコフスキー、詩人
   エルランド・ヨセフソン、
   ドミツィアーナ・ジョルダーノ、通訳の女性

1983年 126分

映画の最初にセピア色のふるさとの朝もやの中の風景が映し出される
森の前の木で作られた家、野原、電柱、妻と子供たち、母
白い馬、シェパード

同じく朝もやの中のイタリアの風景
ロシアの音楽家のイタリアでの足跡を調べるロシアの詩人と
通訳の若い女性が古い教会を訪れる

「美しい景色など見飽きた」と詩人は離れている

祈る女たち
祈ろうとするが跪くことのできない通訳の女性

イタリアで詩人が絶えず幻視するのは、捨てたはずの故郷ロシアの風景である
「死に苛まれるほど請いねがう感情をノスタルジアというのだ」とタルコフスキーは述べたという

タルコフスキーは自分自身、作家としての良心から
作品完成後に亡命宣言し、
ロシアに戻ることなく、この作品の完成から3年後に亡くなっている

亡命のため故郷を離れながら、だからこそ強く、自分自身の創造の源泉であるロシアに惹き付けられたタルコフスキー

その思いが込められた作品は美しく、痛ましい

この作品はタルコフスキーの母に捧げられている



アンドレイ・タルコフスキー年譜
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/nnp.html
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アンドレイ・タルコフスキー『殺し屋』『ローラーとバイオリン』 11月20日 (月)
雨のため仕事は休み

映画のモーニングショーに行く
タルコフスキーの初期の短編2本の上映

『殺し屋』
1956年/35mm/スタンダード/モノクロ/20分
配給:ロシア映画社
原作:アーネスト・ヘミングウェイ同名短篇小説
脚本:アレクサンドル・ゴルドン
   アンドレイ・タルコフスキー
監督:M・ベイク、A・ゴルドン、A・タルコフスキー
撮影:A・ルィビン、A・アリヴァレス


近年発見された全ロシア国立映画大学での習作とのこと
同級生との共同製作 
一ヶ所で数人の出演者によるドラマを作るとの課題に、
アーネスト・ヘミングウェイの短篇小説「殺し屋」を選んだ

ゴルドンは軽食堂の主人役で出演している
当時24歳のタルコフスキー本人も店を訪れてサンドイッチを買っていく客の役で出演している
原作にはない「バートランドの子守敬」をロ笛で吹き続ける




『ローラーとバイオリン』
1960年/モスフィルム製作/35mm/スタンダード/カラー/46分/
配給:ロシア映画社
脚本:A・ミハルコフ=コンチャロフスキー
   アンドレイ・タルコフスキー
撮影:ワジーム・ユーソフ

映画大学監督科の卒業製作として作られたタルコフスキーの監督初作品
バイオリンのお稽古に通う7歳の少年とローラーで整地作業をしている青年労働者との友情を描いた作品

参考
http://members.aol.com/Satokimit/roller.html
http://www.translation-japan.net/movie/The%20Steamroller%20and%20the%20Violin.htm
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今日の仕事 + ヨコバイ、ツマグロオオヨコバエのこと 11月16日 (木)
3人 7時40分 個人邸に集合

玄関脇のキャラボクの玉造りの剪定
キンモクセイの剪定
モチノキの三葉仕立て
片づけ、清掃
午前中はかなり冷えた
午後は温かくなる
2時半終了

朔日に続いてツマグロオオヨコバイを見た

●ヨコバイ ツマグロオオヨコバイ
<ヨコバイ科 オオヨコバイ亜科>
翅端まで13mm
こどもたちがバナナ虫と呼ぶ黄色の体と前翅
翅の先端の黒色(ツマグロの名の由来)がめだつ大型のヨコバイ

平地から低山帯に普通にいる
草地よりも低木の枝先などで多く見かける
(イネにつくツマグロヨコバイと違い、ツマグロオオヨコバイは庭木などによくつく)

昨日今日と仕事に行った庭で見つけた
危険を察知すると横歩きでさっと葉の裏に隠れる
葉の裏をひっくり返すとすでにいた一匹と二匹だったりする

成虫の姿で冬を越す

植物の汁を吸い、透明な汁を排泄する


写真
http://www.fuji.sakura.ne.jp/~shin/gallerysemikame/tumaoyoko.html
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吉祥寺を愛した俳優 河原崎長一郎展 今日まで 11月15日 (水)
吉祥寺を愛した俳優河原崎長一郎展 11/12に
東急吉祥寺店(11/11~15)

河原崎長一郎さんは特に好きな俳優だったというわけではない

誠実でまじめな役が多かったと思うが
誠実でまじめなんて
当然のことながらそれだけでは魅力がない
映画でテレビで、誠実でまじめな役をたくさん見た

今回の展示では、妻の伊藤栄子さんの丁寧な展示によって
誠実でまじめな の奥にあるものをいろいろ知ることができ

でも本当にいい人だったみたい
前進座にはいることはわかっていたが
東映でデビュー
将来前進座に入ると給料が少ないことがわかっていたので
(三万円ゆかないくらい)
東映にいるうちに将来の妻のため、石を買いためていたというエピソードがある

人間としての悩み
酒を愛し、
絵や詩、本。レコード、自分を充実させることに使い、残ったものは小さな家だけだったとか
闘病生活

★五番町夕霧楼(1963年)
★私が棄てた女 (1969)
★裸の十九才 (1970年)
★復讐するは我にあり (1979)
★もっとしなやかに もっとしたたかに (1979)

★写楽(1995年)
★瀬戸内ムーンライト・セレナーデ(1997年)
*********************************
山田太一関連
* 沿線地図(TBS・1979年)
* 早春スケッチブック(フジテレビジョン、1983年)
* 友だち(NHK総合、1987年)
*********************************
展示

出演作のパネル
こどもの頃から好きだった絵
ロケ中にも水彩で描いていた絵 ニュートンの水彩セット
必ず絵のある色紙

小さなノートに書き続けていた詩 200冊を超えている
奥さんへのはがき びっしりの文章
原稿用紙の文字
たくさんの万年筆

ライカM5 プロ並みだったとか
ホロゴン

彼が作って人にあげていた紙粘土の人形 水彩薄い ニス
こけしのコレクション 土湯温泉他

数千冊の蔵書があったという
5000枚のレコード ステレオ芸術 ステレオ趣味

焼き物 九州の臥牛焼 清水焼
絽の着物 東急百貨店で作っていたスーツ
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上海を見た侍たち 11月14日 (火)
上海を見た侍たち
1858年安政開国から1868年明治維新まで10年間に
江戸幕府は前後7回大小の使節団を欧米に派遣している
このほか幕府と有力藩から幾度か留学生派遣が行われた主なものは6回
そのうち上海に寄港しているものまた上海を目的地としているものをピックアップ

1862年長崎奉行企画 使節団  上海へ外国商法探索、中国との通商条約のための調査 総勢51名

    高杉晋作、中牟田倉之助、五代友厚
    4/29長崎 貿易船千歳丸にて発 1週間
    5/5上海着 太平天国の乱で農民軍の包囲下にあった
    2ヶ月逗留
1863年箱館奉行企画 使節団  上海の貿易状況視察
    アスターハウス 礼査飯店 現在の浦光飯店

1863年長州藩から内密にイギリスへ派遣留学 イギリス商船による渡航 上海経由
    井上馨、伊藤博文ら一行5人
出発時の伊藤「ますらをのはじをしのびてゆくたびは すめらみことのためとこそしれ」
伊藤「甲板上より港内を見渡し、各国の軍艦、汽船、帆船等の出入り頻繁を極め
   沿岸には輪かんたる洋館櫛比する等、その繁華の光景に一興を喫した」
井上「上海に来て実際の景況を観るに及んで」「従来の迷夢は頓に覚醒し」さっそく「攘夷の謬見(びょうけん)」を捨て
  「開国の方針」を主張するようになった

西洋近代を体験 「繁華の光景」に強い衝撃を受けている
租界の先進性とともにその背後に隠されてある県城に対する「圧迫」という西洋植民地主義をも発見した
半植民地としての上海を見た

高杉日記「実に上海の地は支那に属すといえども英仏の属地というもまた可なり」
    「あに図らんや(どうしてそんなことを予測しようか)吾が邦人と雖も(いえども)心をもちいざるべきなり
     支那のことにあらざるなり」
     帰国後「奇兵隊」という一種の国民軍創設


1864年●第3回幕府使節団フランスへ横浜鎖港外交交渉 池田長発(ながおき)
    フランス軍艦、郵船による渡航往路、帰途ともに上海経由
     アスターハウス 礼査飯店 現在の浦光飯店 宿泊 
     フルコースディナー、ピアノ演奏、朝食後のコーヒー、写真館
1865年●第4回幕府使節団フランス、イギリスへ 横浜製鉄所建設準備 技師招聘等 柴田剛中(たけなか)
     イギリス郵船による渡航 往路、帰途ともに上海経由
     柴田剛中、福地源一郎

1866年幕府派遣イギリス留学生 イギリス郵船による渡航 上海経由
     中村正直,川路太郎
1867年幕府派遣フランス留学生 フランス郵船による渡航 上海経由
     徳川昭武、杉浦譲、渋沢栄一
1867年幕府使節団 第2回パリ万国博参列   フランスへフランス郵船による渡航 上海経由 同じ船
     徳川昭武、杉浦譲、渋沢栄一

上海での彼らの行動をいろいろ想像すると楽しい
小説が書けそうな気までしてくる・・・

******************************

1863年長州藩から内密にイギリスへ派遣留学 イギリス商船による渡航

これは藩主の内諾を得ての密航であった
井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾傭三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)
後に井上(馨)は外交、遠藤は造幣、山尾は工学、伊藤は内閣、井上(勝)は鉄道で活躍している

11月4日、ロンドンに到着。
1864年3月 密航者5名は日本発の
「砲撃を受けた連合国は幕府に抗議するも幕府返答は煮えきらず、
連合国は長州藩に対し重大な決意をするに至った」との報道を聞く
 
井上と伊藤は直ちに帰国を決意

4月中旬  井上と伊藤はロンドンを発つ 他の3人は残る

6月10日頃、2人は横浜に到着・・・・

長州五傑 ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B7%9E%E4%BA%94%E5%82%91

******************************

2006年、この5名の渡航前後の様子を描いた映画
「長州ファイブ -CHOSYU Five-」が作成され,
山口、福岡ではこの秋に公開されている
東京では2007年にはいって公開

映画『長州ファイブ』のウエッブページ
http://www.chosyufive-movie.com/
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今日の仕事 11月13日 (月)
個人邸に5人 はしご6台

玄関前の庭と庭の手入れ
今日は7時40着
8時開始4時半まで

大きなキンモクセイを茶筒型にする
サルスベリを坊主にするなどから始める

木の本数も多くなかなか終わらずたいへんだった

最終的に枝葉25束、袋15
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イラクの中心で、バカと叫ぶ 橋田信介 アスコム2004.1 11月12日 ()
イラクの中心で、バカと叫ぶ 橋田信介 アスコム2004.1

イラクで取材中に殺害された橋田信介さん
1942年生まれ、
2004年5月27日、イラク戦争取材中にバグダッド付近マハムディヤで襲撃され、甥の小川功太郎さんとともに殺害された。享年61。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E7%94%B0%E4%BF%A1%E4%BB%8B
この本は死の半年前に出版されたイラク戦争取材の本である
イラク戦争の実態と
危険に満ち、困難でありながらその緊張を生きがいに走り回る
フリージャーナリストの取材活動を書いたもの

橋田信介さんの活動とその死についてよく理解できる素晴らしい本でした


イラク戦争中の取材活動 
米軍の首都入りのスクープ映像を撮るための
義勇兵のパスポートをとって、退去されたばかりのイラクに再入国バクダッドへ
取材16日目
4/4ダマスカス 日本車チャーター 3000ドル 国境まで300キロ 
  モスクで一泊 隣のガソリンスタンドで食事 アラブ式パン,チキン、水
4/5バクダッド入り
4/6爆撃音、地上戦の音
4/7この日も絶えず空爆の音、地上戦の音 空爆現場取材
4/8空爆音やむ 略奪が始まる
  市街戦 戦車の砲撃音、AK銃、M16銃の射撃音
  白タクの運転手の家で食事アラブ風パン、生キャベツ
  パレスチナホテルロイター通信が砲撃され 記者2名殉職 現場に行く
4/9米軍の首都入りのスクープ映像を撮るため米軍へ向かう
  決死の映像をとれたが、送信に戻る前に、
  米軍は先に行ってしまい(バクダット陥落)、スクープに成らず
  パレスチナホテル前広場 サダム・フセインの銅像が倒された
  通りに報知されていた軍用トラックと乗用車の爆発
  夜市街戦に遭遇
  「長い1日だった、3,4年分を24時間で生きた気分にさせられる
   同時に生きていてよかったと思う
   こういう体験にめぐりあったことに感謝しなければと思うと思う
   人生はほとんどがつまらないもの
   でも、時々こういう面白いことに遭遇する 
   だから、生きるのだ」

「社長以下の保身から社員を戦場に送らずフリーに丸投げするマスコミ、
 だからこそ存在の場を得るフリーの戦場レポーター」

「前代未聞、ネコがネズミをもてあそぶ、21世紀タイプの新しい戦争」
「アメリカは、この責任をどう取ろうというのだろう。
 アメリカはサダム・フセインの管理するイラク石油公社を、アメリカ流に「民営化」するためだけに戦争を始めた。
 今度こそ、日本の人々もアメリカ流の戦後民主主義が、いかにでたらめで、「偽善」であるかを学習できるだろうか。」
  
「復讐戦、残された道はテロ以外にない 中途にもう一つのパレスチナが生まれる」

「命なんてものは、使うべき時に使わないと意味がない」
「戦場記者は戦争を語ってはならない
「争」の原因は優れて政治の問題であり「場」からは見えないからだ」
「戦争は政治的利害の衝突であり、経済や資源を巡る戦いである」

「戦場の悲惨さを語るのは、単にそれは泣き言であることを悟らなければならない」

「日本にも、目に見えない戦場がある
 空爆や砲撃はないのだが、イラクよりはるかに悲惨な戦場なのだ
 戦時下の国でウツ状態に陥ったり、風邪を引くバカはいない 
 そんなヒマはないのだ
 生き抜くために全力をあげる
 戦争国家では命はかけがえのないものとして大切にされる
 平和な社会で生きる日本人は、ヒマだから精神の均衡を失って自殺したり、
 面白半分に人を殺したりする
 平和国家では逆に命は軽んじられている」

 「命を大切にするイラクから、命を粗末にする日本に帰る日が近づいている
 うれしいような、うれしくないような
 ・・・日本に帰る日が迫ってくると,ハシやんは、ウツ病になるのだ」
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