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個人邸 7時半から12時半
枝葉束6、袋2
初めてバリカン使用
まずアカメモチの垣根に使った
そのあと
ヒバの円筒仕立ての切りそろえに使った
電動式
操作はとても簡単であった
電動の刃を水につけておいたあと、刃の掃除、油差し
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今日は戸外にいるのが気持ちのいい日だった
武蔵野図書館前に小さな公園がある
今日は暑すぎず、寒すぎず、さわやかな公園日和である
ベンチに座っているのは5人ほど
私は図書館に本を返しに来たのだが
しばらくここで過ごすことにする
上海でお世話になったガイドブック
●まっぷる 2006 上海 昭文社 2005.11
●地球の歩き方 2005-2006 上海 ダイヤモンド社 2005.7
他数冊である
木のベンチに座って
図書館に返す本をもう一度ぱらぱら読み返す
●アンリ・カルティエ=ブレッソンのパリ 写真集
●逃げ去るイメージ 楠本亜紀 2001.2 スカイドア
アンリ・カルティエ=ブレッソンについての評論
●植草甚一スタイル コロナブックス 2005.5
上海という異界から帰ったばかりなので
アンリ・カルティエ=ブレッソンと植草甚一の
2人の街とのつきあい方の違いが
もう一度新鮮に読みとれる
アンリ・カルティエ=ブレッソンは
風景の中からその瞬間にしかなかった完璧な構図を切り取る
植草甚一は
本、レコード、雑貨、文房具と買い物をする
それぞれ違った方法で街に向かいあい、街とつきあう
・・・おだやかに時間が過ぎて行く・・・
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上海旅行(10月31日~11月7日)から無事帰国しました
今回は単身赴任で上海で働いている弟を母と家族で訪ねる旅でした
私は1992年に一度訪れたことがあるので、
14年前と大きく変わった上海を楽しみました
少しずつメモを残したいと思っています
まずは帰国した昨日のこと
帰りの飛行機では、窓側に座ったのですが
淡路島くらいから下の風景に気づき、着陸まで、日本の景色をずっと楽しむことができました
富士山も雪をかぶってとてもきれいでした
これではこどもの作文ですね・・・
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写真1和平飯店北楼テラスより
写真2バンドの遊歩道から上海税関
写真3東方明珠塔 バンドの対岸
外灘(バンド)の歴史 +中国の歴史
1840年アヘン戦争後 1842年南京条約により、1943年上海は外国に開港された
1845年イギリス租界ができる
イギリス人が上海で商業活動を進めるのに造ったのが、外灘(バンド)の始まり
外灘は中国語で“ワイタン”と読む
「外」は外国人、「灘」は岸を意味するとのこと
1848年フランス租界、アメリカ租界
1851~1864年太平天国の乱
1853年小刀会上海県城占拠
1863年イギリス租界とアメリカ租界併合 共同租界となる
1893,1899年と拡張
1911年辛亥革命 清朝を倒下民主主義革命
孫文臨時大総統に就任 共和制を宣言した
中華民国誕生
だが革命勢力は弱く北洋軍閥の袁世凱が大統領となる
1924年~1927年 第1次国共合作 国民党と共産党の協力
1937年盧溝橋事件 日中戦争
1937年~1946年 第2次国共合作 国民党と共産党の協力
1941年太平洋戦争に発展
1949年共産党軍陳毅上海占領、中華人民共和国
1966^1976年文化大革命
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上海旅行11月6日(月)のメモ
ゆっくり起きてゆっくり食事
●母と上海博物館へ タクシーで15元
入場料20元、音声ガイド60元
11時過ぎから5時まで
昼の食事は博物館のレストランでとり、休み休み丁寧に全部見た
特に彫刻と陶磁器がよかった
●歩いてガイドブックで見つけたレストラン小紹興酒家へ
ゆでた鶏肉で有名な店です
この鳥を 半斤=250g 30元
蟹と豚肉の団子料理 58元
鳥お粥 @2元 4元
お茶 @1元 2元 計94元
2階には英語メニューがある
しかし日本語も英語もどちらかわかる人のいない店でした
料理はおいしく、とても安かった
隣の席に座っていた中国人の家族が親切にメニューを教えてくれた
息子さんが上海大学で日本語を学んでいるとのことで
食事のあとずっとお話しできた
父母と一人息子、お父さんは銀行員
とても親切な家族で帰りは南京東路まで一緒に歩いて楽しかった
お別れに「この店のはおいしい」と
コカコーラの大きな看板のあるビルの沈大成で買ってきた中国の大福をいただいた
再見
明日はいよいよ帰国
バンドまでもう一度行く
和平飯店11階のテラスからの美しい夜景の眺めと
バンドの散策を楽しんでホテルへ帰る
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上海旅行第6日 11月5日(日)のメモ
●母と孫中山故居(孫文旧居)へ
タクシーで往復 行き帰りとも14元
入場料一人8元
1918~1924孫文と宋慶齢が住み、
1925年3月に孫文が亡くなったあと宋慶齢が1937年まで住んだ家と庭
中国革命の父の家は本のたくさんある瀟洒な家でした
庭は芝生、まわりに木です
日本人から送られた日本刀も飾られていました
台所に20年代の鉄製かまどと30年代のガス台がありました
孫文の活動を描いた絵の展示が別の棟であり、宋慶齢がいつもそばにいて助けていた様子がわかります
宋慶齢が英文タイプを打っている絵もありました
●ホテル、静安寺から南京西路を歩く
仕事が終わった弟から携帯に電話
ザ・ポートマンリッツカールトンホテルロビーで弟と会う
ロビーカフェの弦楽器の生演奏をしばらく聴く
これから少し眠りたいという弟は自分の家へ
●さらに南京西路を東に歩く
たくさんあるので試みに一度入りたかったマクドナルドで休憩、昼食
ハンバーガー1セット、
チーズ入り1 これは冷めていたので ▲ 計18元
ハーゲンダッツ、スターバックス、ピザハットがたくさんある
味千拉麺は熊本に本店がある九州ラーメン
5,6年前に上海に進出してすでに15支店があるそうだ
●人民広場 元は租界の競馬場 にたどり着く
上海美術館の建物 元は競馬場のクラブハウス 1933建設
ビニールを敷き、鞄を枕に 芝生でしばらく眠る
人民広場から河南中路駅までは道路を走る電気自動車に乗りました
一人2元
●7:00の約束の蟹王府(前に覗いた店)に6:30に着く
弟も着く
弟の大學時代からの親しい友人の夫妻も着いていた
大學時代家に遊びに来たので母もよく知っている
5人で蟹を食べる
上海蟹も偽物が多く出回っているそうだがこの店は自分の養殖池を持っているので品質は安心できる
この店はボーイさんが全部食べやすく捌いてくれるので
蟹に取り組んで忙しいと言うことが無く、食べやすい
他に
酒に漬けた酔っぱらい蟹
蟹とフカヒレのスープ
蟹味噌を上にかけるチャーハンなど蟹づくし
アスパラと蟹の炒め物など
どれもおいしい
●明日帰国するご夫妻とレストラン前でお別れ、バンドまで歩く
今日はいままでで一番空気が澄んでいる
バンドと対岸のライトアップが前夜よりさらに美しい
ゆっくりとバンドを歩くのは毎回楽しい
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今日も街は霧の中、もしかしたらスモッグなのか
ベールを通して太陽が赤く見える
豫園にもう一度行く
といっても豫園の中には入らない
私が好きな通りを歩きに行く
写真1豫園の前 方浜中路 朝のためまだ人が少ない
写真2 同じ方浜中路だが5,6分歩くともうこんな感じのアパートが混ざってくる
豫園の前の方浜中路をさらに東へ行くと右手に石の門がある
ここを右折すると小さな通りに入る
庶民の屋台や商店が両側にびっしりと並んでいる
道路脇でパンの種を用意している(ちぎったり、切ったりしている)人
ドラム缶のかまどに置いた大きな鍋でパンを揚げている人
その揚げパンを買っている人
焼きそばを食べている人
大鍋一杯のワンタンのようなものをかき回している人
すぐそばの小さなテーブルで食べている人
お粥をすすっている人
饅頭やお菓子、他にもいろんな食べ物がその場で作られ売られている野菜を売っている人、やきいもの量り売りの人
餃子を作っている人、その場で焼いて売っている
往来は人が多く歩いているのにひっきりなしに自転車が入ってくる
ちりんとちりんとベルを鳴らして自転車につながれた小さなリヤカーも入ってくる
これはゴミの買い取りまたは引き受けの仕事らしい
オートバイも、入ってくる
歩いている人も乗っている人も当然のように
お互いすり抜けてうまく移動している
有名な観光地豫園のすぐそばなのに
昔と変わらない庶民の生活が見られるとても面白い通りです
今回は2度行きました
●上海の英語教室
魯迅旧居に行ったところ
隣から大きな声で歌が聞こえる
Twinkle Twinkle Little Star ~~だ
覗いてみると小学校2,3年生が前に出て
こどもたちや父母の前でとても大きな声で発表している
学校のあとの英語塾だ
魯迅旧居を出て近くの小学校の前を歩いたところ
今度は別の英語教室があり4年生くらいの子3人に
中国人教師1人、native speakerらしき男性1人がペアで教えている
本を指さして答えさせている
かなり古いメソッドだ
参観らしき母親2人
少しの間に二つも英語塾がある
小学校でも英語を教えている
「上海では英語ができないと仕事がないです」
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再び豫園に
昼食 緑波廊
老西門
魯迅公園
魯迅記念館
魯迅の墓
内山書店跡
魯迅旧居
旧日本人街
英語教室
和平飯店11階テラス
和平飯店11階テラス集合
観光ちく道
バンド対岸を歩く
東方明珠塔
夕食 レストラン
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11月 4日(水)朱家角ツアー、新天地、雑技団
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朱家角は上海の南西50kmの郊外の水郷 行政的には上海市内
「江南の名鎮である」
「小橋と流水の天然風景、正真正銘の明清時代の町」
明時代の万歴年間に正式に鎮として成立
全鎮敷地面積は47平方キロ、9つの長い町並みが河沿いに伸びてる
石造りの太鼓橋・放生橋
「街三里、店舗千個」石畳の小道に店舗と民家がひしめきあう北大街
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写真1これから乗る船 櫓でこぎます
写真2
右手に見える茶館の柳の木の下で
で赤いセーターの女性が優雅に本を読んでいました
写真3 放生橋 功徳のため魚をここから放すそうです
「おばあさんのつくるごはんのちまきや豚肉のちまきがおいしい
上海の人がわざわざ買いにやって来ます」
同じものを作っているみせがたくさんある
値段は2元(30円)味はそれぞれちがうらしい
あとから写真を載せます
写真4母は昨年妹とここに来ている
たった一年で街が変わっているという
レストランが増え、塗り直して白い壁の新しい家が増えていると
写真5この先の運河は埋め立てられている
つまり行き止まり
今の小樽運河は海にも川にもつながっていないプールのようなもの
船の行き来の無くなった運河です 運河と呼べません
(私は埋め立てられ手半分が道路になる前の運河をみたことがあります
そのころ小樽運河には船がびっしりと繋留されていました)
朱家角の観光化が進んでああなってしまわないことを願う
写真6ちょうど行き止まりの橋の上から
石の台で洗濯をしているおばあさん
コンクリート型抜きの船! ゴミを集めて運んでいます
写真7コンクリート製の船もちゃんとうかびます
エンジンをつけられ、ゴミ運びに役立っています
写真8ちまきを作るおばあさん 中身を入れて
写真9
竹の皮に包んで竹のひもで縛っています
店先の圧力釜で蒸します
ちまきの中には
糯米
豚肉
アヒルの卵の黄身 これは入れないものも選ぶことができる
季節によっては栗が入る
豚の三枚肉の入ったものも売っていて
これは鍋に入れられ絶えず醤油をかけられている
いい匂いが街に漂い食欲をかきたてられる・・・
ガイドさんおすすめの店で買いました
できたても冷めてからもとてもおいしかったです
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上海旅行第3日 11月 2日(水)豫園、バンド
●邂逅
観光客が大勢行き来している豫園の前の九曲橋を
豫園の入口へ向かって歩いていると
すごい偶然で
元ラボッ子のMさんとパートナーに出会った!!!
同行している娘とはラボ・パーティのアメリカ留学の時からともだち・・
私はカレッジメイト、大学生活動の対応の時のからのつきあい・・
Mさんたちは世界一周の旅行を終えて日本に帰る途中・・・・
中東、アフリカなどずっとローマ字の旅日記を読ませていただいていたのだが
ニューヨークから中国に飛んだことは知らなかったので
こんなところで会えるなんてとお互いとても驚いた
双方とも時間があったので、近くの南翔饅頭店で
小龍包(ショーロンポー)など食べながら
旅行の様子などお話しできとても楽しかった
●豫園見学
●バンドへタクシー
●バンド
今日到着する息子をホテルに迎えにゆく娘と別れ
繁華街南京東路を歩く 歩行者天国となっている
●王宝和大酒店 1744年創業の蟹料理老舗
母、仕事を終わった弟、家族全員、集合
酔っぱらい蟹、
これは酒漬けの生の蟹なので安心できる店でないと食べられない
上海蟹、
青菜炒め、アワビスープ、チャーハン、他
ビール、紹興酒
●バンドの夜景を見にバンドまで歩く
和平飯店北楼11階テラスから上からの夜景を楽しんだあと
バンドを歩く
上海の夜景は本当に美しい
バンドの古い建物ものそれぞれのライトアップも
対岸浦東のビルやテレビ塔である東方明珠塔の照明も
明かりをつけた大小の船が行き来する様子も・・・
液晶の大画面を載せた広告宣伝船がコマーシャルを流しながら
ゆっくり横切って行くのも楽しい
●上海 街の風景
写真1 パジャマのままで歩く人をよく見かける
中国人にとって 道路はわが家の中と同じらしい
写真2 通りのはずれの様子

写真3
アパートの洗濯物
ベランダがないのでこうなる
空調設備
14年前の3月に上海を訪れたときはまだとても寒かった
「上海に暖房施設はありません」といわれた
今はこの通り空調の機械を取り付けている家が多い
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上海旅行第2日 11月 1日(水)蘇州ツアー
蘇州への旅のため車とガイドを依頼
ホテルに8時半 出迎え
上海に住む弟も入れて5人
上海から3時間弱で着く
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蘇州は「東洋のベニス」ともいわれる
中国式庭園と、市内を縦横に流れる運河で有名
B.C.514年、春秋時代に呉の都に定められた
約2500年の歴史を持つ古都
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●拙政園 入園50元 ゆったりと涼しげな名園であった
拙政園(せっせいえん)蘇州四大名園の一つ、中国四大名園の一つ世界遺産としての「蘇州古典園林」の主格
蘇州の四大名園
※拙政園 留園 獅子林 滄浪亭
それぞれ宋、元、明、清の各時代の様式をもつ
中国の四大名園
頤和園 ※拙政園 避暑山荘 留園
中国の四大名園は、すべて世界遺産
●寒山寺 入場10元 名物の鐘を鳴らす これは5元
梁代天監年間(紀元502~519年)に創建
この寺は当初、”妙利普名塔院”と言ったが、
唐の貞観年間(627~649年)に寒山という僧侶が住むようになったことから
寒山寺と呼ばれるようになった
月落鳥啼霜満天
江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘声至客船 張継
月落ち烏(からす)ないて霜天に満つ
江楓(こうふう)漁火愁眠(しゅうみん)に対す
姑蘇(こそ)城外の寒山寺(かんざんじ)
夜半の鐘声(しょうせい)客船に到る
◎昼食 一人80元のコース とてもおいしかった
菜のいためもの キャベツ炒め
牛肉とタマネギのいためもの
鉄魚?揚げ甘いソースがかかっている
豚の三枚肉
川エビ
スープ
チャーハン(「蘇州のチャーハンは卵が入らない」ガイド)
シルクセンター見学
●船を呼んで水路を虎丘へ
●虎丘
春秋時代の呉王夫差が父のために築いた暮陵
母が輿に乗る 2人の男が上の塔まで輿を担ぎ上げる 50元
虎丘内はお祭り
2人一組でポールの上を跳びまわりながら踊る
迫力ある獅子舞を見ることができた
上海へ戻る
◎ウイグル料理の店で夕食
羊串焼き、タコスのように包んで食べる料理、肉野菜の炒め物
長い麺の焼きそば など
シンタンビールは現地ウルムチ製
天山山脈の水を使っている
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