|
|
早稲田大学であったワークショップのときに建築写真を撮る人と出会った
本職は違うのだが10年以上、建築写真を撮り続けているAさんだ
休みには重い機材を持って、全国を回り、海外へも出かけて撮られている
対象は19世紀末から20世紀にかけての建築なので
私が旅行のときに関心を持ってみてきた建築と同じである
今日は2ヶ月ぶりでお会いして、
作品を見せていただき、建築写真の相談にのってもらった
新宿駅改札口で待ち、再会
長距離バス発着所の地下にある但馬屋珈琲店へ
オーストリア、ドイツ、バウハウス前後の建築
北海道から九州まで、日本全国の明治期の建築
中国、韓国、台湾の旧植民地に残る日本の建築など
何度も現地に通って
大きなカメラで撮った、大きなネガから作ったプリントなので
隅々までピントが合っていて美しい
Aさんの解説付きでゆっくり写真を見て、建築の話ができ
有意義な時間を過ごせた
自分でも撮りたいが、
彼の使っているカメラは大判の機械で、4×5(シノゴ)という
中判のカメラ(6×7か6×4.5)からはじめようかと思う・・・
|
|
|
|
|
野田弘志画集 『湿原』 が届いた
野田弘志は鉛筆画の人
湿原は加賀乙彦の小説のタイトルで朝日新聞に連載された
その時の挿画が野田弘志である
挿画中から選んだ作品集がでていることを知ったが
すでに版元品切れ
古書を捜したところ金沢の本屋にあり、注文したものが
大雪の影響も受けずすぐに届いた
原寸大の作品なので、
魔法のようにリアルな画面を作る野田弘志の鉛筆の使い方がよくわかる
見応えのある画集だ
ばらして額に入れた飾ってもよいと思って購入した
|
|
|
|
|
大掃除の合間に忘れていた絵本と出会う
大掃除をしていて、家のあちこちで忘れていた絵本が見つかる
こどもたちも大きくなり、かって良く読まれた絵本も
いまでは、ふだんあまり眼に触れないところに押しこまれて、忘れられている
こんなときにあちこちに見つかる
掃除が一段落したところで、改めて読むと、とてもなつかしく、楽しい
しばらく表紙を見せて飾ってみよう
『はなのすきなうし』の赤と『りんごとちょう』の白と緑を並べると美しい・・・
『はなのすきなうし』1936年 おはなし マンロー・リーフ、え ロバート・ローソン
岩波書店1954年、1987年第28刷
1936年スペイン市民戦争のさなかに出版されていることを知った
『ちいさいケーブルカーのメーベル』1952年 バージニア・リー・バートン(1909-1968)
ペンギン社1980年
サンフランシスコのケーブルカーは大好きです
サンフランシスコにいったときには何度も乗りました
終点では身体で押して逆向きに方向転換するを見るのも楽しかった
サンフランシスコのケーブルカーは1873年にはじめて走ったそうです
ケーブルが地中を走っていてグリップがこのケーブルをつかむことで
ケーブルカーが走ります
ブレーキが3つあってどんなときでも止まれます
この絵本はその仕組みとケーブルカーの歴史がよくわかります
『ハリーのセーター』1958年 ぶん ジーン・ジオン、え マーガレット・ブロイ・グレアム
福音館書店1983年、1983年第2刷
『どろんこハリー』だけじゃなくてこちらも家にあったんだ・・・
『りんごとちょう』1969年 イエラ・マリ、エンゾ・マリ (イタリア)
ほるぷ出版1976年、1981年第10刷
赤と緑と黒の三色だけを使った色彩のとても美しい絵本
りんごに産み付けられた卵の不思議・・・
|
|
|
|
|
吉祥寺の本屋さん「ルーエ」で雑誌を見ていて
雑誌を棚の上に戻したら、もたれ合っていた雑誌が向こう側にばらばらと崩れてしまった
その時向こう側にいて一緒に雑誌を元の棚に戻してくれたのがこの人
おもしろい風船細工でバッグを飾っていたので
「井の頭公園でやるんですか」と聞いたら
伊勢丹の5階こどもフロアーに呼ばれてきたとのこと
風船芸の人でした
大道芸でいろんなものを作るらしい
このときは「よかったら見に来てください」といわれて別れた
午後もう一度吉祥寺まで出かける用ができ
ちょっと気になる雑誌を見に、再度「ルーエ」にいったところ
仕事を終わって気になる本を見に来た彼に偶然出会った
本屋のなかでしばし立ち話・・・
楽しい人で、「バルーンおやじ」という名で仕事をしている
ホームページもあるとのこと
彼の作った風船細工の本も見せてもらった
風船やポンプの手に入れ方まで教えてくれた
バルーンおやじさんのホームページ
http://homepage2.nifty.com/balloon-oyaji/
本人の自己紹介
「バルーンおやじ(南芳高)は東京都杉並区在住の風船芸人+似顔絵描きです。
お祭り、イベント、パーティ、保育園、病院、等あちこちで風船(ツイストバルンーン)ショーをしたり似顔絵を描いたりが仕事です。 」
風船の作り方がたくさん紹介されています
いくつかやってみよう・・・
|
|
|
|
|
環境とデザイン講座最終回 北川フラム「感動の美術、協働の夢」
北川フラムさんは年に一回開かれている「越後妻有大地の芸術祭」の
総合コーディネーターです
「大地の芸術祭」は、3年に1度、越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)の里山で展開される自然とアートと人間の「祭」です。
第36回 「越後妻有大地の芸術祭」を総合コーディネートする北川フラムさん
http://eco.goo.ne.jp/business/csr/ecologue/wave36.html
第3回大地の芸術祭 2006年7月に向けての公式ホームページ
http://www.echigo-tsumari.jp/
第2回大地の芸術祭
http://www.echigo-tsumari.jp/tsumari_html/Japanese/main.html
******************************************
内容については改めて・・・
かなり大胆な要約です
フラムという名は、本名 ナンセンの船の名前です
グローバリゼーション
通信の自由化、資本の自由化、などの進む中で
六本木ヒルズ、汐留、六本木防衛庁跡地ミッドタウンなど・・・
ミヒャエル・エンデが『モモ』で書いた時間貯蓄銀行に象徴される世界が進んでいる
生活の質までも同じであることがよしとされてきている
建築も美術もどこで見ても同じように見えることが理想とされてきている
そのため美術館も画廊の内部の形はどこももホワイトキューブになっている
だが1995年の阪神大震災でそのような理想は崩れたと思う
当時の神戸は最先端だったのに、今の文明はその後の復興にも全く対応できなかった
20世紀の夢の一つは「民主主義」もう一つの夢は「都市」だったがその夢は壊れてきている
もう一度、人間と自然、人間と文明について考えてゆくとき
アルタミラの洞窟の壁画以来、アートは人間の一番の友ではなかったか
アートは計量不可能なものとしてある「時間」を形にしようとしている
妻有(つまり)の6市町村は過疎地帯
どんどん人口が減っているところで
最盛期の1/10にまで減るだろうといわれている
この芸術祭の始まりは町おこし、村おこしであった
東京都ぐらいの広さがあり、
美しかった棚田も過疎による労働力不足から耕作が放棄されはじめている
冬は豪雪、夏は暑い
この大地の芸術祭には
美術家たちが参加し、(外国からの参加も多い)
(何ヶ月か住み込む人もいる)
地域の人の手を借りて、作品をつくりだし、
その土地に置いて、展示している
(期間だけのものもあり、年間を通して置いてあるものもある)
人口7万人ぐらいの土地に、口コミだけで!
2000年16万人
2003年に20万人が参加している
つくりだすプロセスでの物語
その土地の人々によってその土地の記憶が甦る
(例えば、700本の黄色いポールを、昔の川の流れに沿って建て、昔の川を再現する
この作品だけで26人の地権者の協力を得たという
緑の田圃の中に黄色いポールの列が流れている)
その土地のそこにあるからこそ意味のある作品
アートによって、今まで見えなかったものが見えてくるという経験
見るだけでなく、5感全体に気持ちのいいもの
芸術祭の期間は夏で暑く、作品を見て回るのもたいへんだが
まさに妻有だからこその芸術祭
******************************************
そこで、その土地で、その土地の人々の生きているところで
見るからこそおもしろいというこの芸術祭
来年第3回が開催されるのでぜひ行ってみたいと思いました
ASUKAさんがすでに参加されていることを知り、とても嬉しかったです
その時の体験などお聞きしたいです・・・
今日は環境とデザイン講座最終回
修了式があり、9/12出席なのでぎりぎりの出席回数だが
修了証をいただくことができた
|
|
|
|
|
津島佑子さんの父は太宰治
佑子さんが1歳の時に三鷹駅近くの玉川上水で亡くなっている
講演の題名「小説の悲しみ」に惹かれて聞きに行った
現在の状況のなかで、言葉をどのように考えるか
津島佑子のとらえかたをお聞きすることが出来た
印象に残った言葉
「今までだったら、小説の喜びとか、小説の楽しみという題で語った」
「規範の崩壊、グローバリゼーションの動きのなかで
言葉は・・・・
ジャーナリズム、報道の怖さ
人間と直に会って話をすることが大事」
「12歳にのときまで知的障害のあるダウン症の兄といつも一緒にいました
世話をする意味もあって、ずっと側にいました
兄は15歳で亡くなりました
兄の生とはなんだったのかとずっと考えました」
「言葉にならない彼との関わり」
「兄のような生が小説として書かれたことはなかった」
「私たちは言葉に縛られて生きている」
「言葉だけが一人歩きして、妄想がふくれてゆく」
「肥大化した言葉」
「言葉だけに頼るとおかしくなってゆく」
「リアルな現実そのものに絶えずふれてゆく必要がある
ここに飾ってある花は、温室で作られたものだと思いますが
道ばたの雑草に耳を傾けてゆくことが大事」
「言葉は制度といってもいい」
「言葉は秩序といってもいい」
「人間の存在の愛しさは、言葉だけではないでしょう」
「言葉はものを固定する
だから私たちは言葉が好きなのだろう
しかし地球は回っている 絶対にその場に留まっていない」
「言葉も文化も固定化しない方がいい」
「日本語を愛しているが作品としては開かれたものでありたい」
「存在感のある作品、手ざわりのしっかりした作品を求めたい」
「言葉の現状に、小説は悲しんでいるのではないか」
|
|
|
|
|
日曜日までと会期終了が迫ったので
「チャールズ&レイ・イームズー創造の遺産」展 へ行ってきました
目黒駅から歩いて10分ほど
権之助坂を下り目黒川にぶつかって右手に折れ
区民センターへの橋を渡れば目黒美術館です
10時半に行って4時半までいました
最初に1時間ほどのイームズ案内ツアーに参加
家具、
建築、彼らの家とスタジオ (1/15の模型、5年居住後の映像)
映像(スライド34万枚が残されている、16ミリフィルムは84本)
おもちゃ、
展示会の構成
「アートは遊びだ」と遊び心あふれる作品
それでいて機能的によく考えられていて
手ざわりの良さがある
低コストで量産できることにも心を砕いている・・・
目黒区民センターの食堂でお昼
もう一度1人でゆっくり見て
途中、ラウンジでコーヒーとケーキ、また会場へ戻る
映像作品のフィルム上映は会場内のあちこちであり
まとまった上映もあったので時間がかかりました
夜別な用があったので帰りましたがもっといたかったくらい
チャールズ&レイ・イームズの作品と人となり、生活までうかがえる
楽しい展示でした
「チャールズ&レイ・イームズ」展 創造の遺産
THE WORK OF CHARLES AND RAY EAMES:A LEGACY OF INVENTION
和歌山県立近代美術館 2004年11月2日~12月26日
大丸ミュージアム・東京 2005年3月3日~3月14日
大丸ミュージアム・梅田 2005年3月24日~4月4日
大丸ミュージアムKYOTO 2005年4月14日~4月25日
愛媛県美術館 2005年5月3日~6月12日
目黒区美術館 2005年10月8日~12月11日
参考になるホームページ
http://www.tongariyama.jp/weblog/2005/03/post_10.html
|
|
|
|
|
三谷幸喜『12人の優しい日本人』パルコ劇場へ行った
http://www.parco-play.com/web/play/yasasii/
三谷幸喜の公演切符はなかなか取れない
今回は特に豪華な顔ぶれなので取るのは難しかった
発売日電話をかけてもまずつながらない
かけ直しを重ねても1時間以内でどの窓口も完売である
チケットゲッターと呼ばれる業者がたくさんいて押さえてしまうかららしい
当然ヤフーオークションにすぐ出てくるがだいたい4倍くらいの値段になる
チケットの販売方法を変えてほしいものだ
あきらめていたが、急に行けなくなった人がいて、
譲ってもらい行けることになった
初演の舞台は見ていない
映画化されたものを見たのと小さな劇団の練習風景を見ている
パルコ劇場の廊下は出演者への花束が飾られていて
花の香りでいっぱいだ
豪華キャストでの見応えある楽しい公演だった
初演の頃はもしこうなったらという架空の話だったが
05年の現在陪審員制度の導入はもう決まっている
(09年5月スタート「裁判員精度」)
朝青龍と琴欧州のことなど最近の話題を盛り込み
携帯電話を小道具に使うなど変えているところはあるが
基本的な骨格は元のまま
三谷幸喜のいう12人の人物による「ことばの活劇」
休憩時間無くリアルタイムで進行する
評決一致にたどり着き、登場人物が1人、2人と舞台を去り、
舞台に残されたままのテーブルの上のピザの行方が気にかかる・・・
舞台は初めてという江口洋介がセリフを忘れてしまい
かなりの時間沈黙、棒立ちになって、芝居が止まりました
こういうこともあるんだと、かえって面白かったです
90年初演の配役と映画の配役
**********************************
『12人の優しい日本人』
05年版『12人の優しい日本人』キャスト、初演、映画のキャスト
陪審員 キャスト 90年初演 91年映画
1号 浅野 和之 小原 雅人 塩見 三省
2号 生瀬 勝久 相島 一之 相島 一之
3号 伊藤 正之 阿南 健治 上田 耕一
4号 筒井 道隆 小林 隆 二瓶 鮫一
5号 石田ゆり子 かんみなこ 中村まり子
6号 堀部 圭亮 一橋壮太郎 大河内 浩
7号 温水 洋一 梶原 善 梶原 善
8号 鈴木 砂羽 斉藤 清子 山下容莉枝
9号 小日向文世 西村 雅彦 村松 克己
10号 堀内 敬子 宮地 雅子 林 美智子
11号 江口 洋介 野中 功 豊川 悦司
12号 山寺 宏一 伊藤 俊人 加藤 義博
作演出 三谷 幸喜
初演時陪審員6号一橋壮太郎は三谷幸喜本人
|
|
|
|
|
山田太一 終わりに見た街
「今朝目覚めたら昭和19年だった」
昭和19年9月17日にタイムスリップしてしまった家族の物語
番組のホームページ
http://www.tv-asahi.co.jp/owari/
テレビ朝日で23年前につくられた作品のリメイクだということだ
前回は細川俊之、
前回の上映はとてもインパクトがあったらしい
番組の掲示板に
「子供のときに家族と見て、ほんとに怖かったのを覚えています。夢で何度もうなされました。」
「朝、目覚めるのが怖くて、眠れなかった記憶があります。」
というような書き込みがたくさんありました
多くは30代前半の女性でした
小学校高学年で見た人たちには特に強烈だったようです
今回は中井貴一、柳沢慎吾
掲示板で見るととても好評である
その大きな理由は毎日の日常がある日、
戦争に巻き込まれた日常に変わってしまうという危険への不安、
恐怖を感じさせるドラマだからであろう
私は幽霊ものやタイムスリップものはどちらかというと
あまり好きではない
しかし見ているうちに、昭和19年戦時下の生活を生きなければならない主人公一家に
次第、次第に同情させられた
やっと戸籍を手に入れ戦時下を生き延びようとする
「あと一年たてば戦争は終わる」・・・
工場では毎日気合いを入れると殴られ
配給では足りない食料、空腹、
闇の食料を手に入れるのに苦労し
栄養失調に苦しみ、
ただでさえたいへんな毎日を生きるのだが
「私たちはこの戦争の結果を知っている
3月10日の東京大空襲で何万人も死んだことも知っている
私たちが何もしないのは、こんなに苦労してここにいる意味がない」
と3月10日の大空襲から市民を助けようと危険を冒す
流言飛語を飛ばすものとして追いかけられ、必死に家に逃げ帰る
だがそうした夫婦をこどもたちは批判しはじめる
「私たちは今を生きている 昔話はもういい
この戦争に死にものぐるいで勝たなくてはいけない
お父さんたちは負けていいと思っているのか」と・・・・
このドラマがどう終わるのか、きっと何かのきっかけで平成に戻るのだろうと見ているうちに
終戦を迎える前に一家は空襲に会い、逃げるなかでバラバラになる
最後のシーンで片腕を失い出血して死にかけている主人公が目を覚ます
倒れているところからは、都庁の残骸や、東京タワーの残骸が見え
昭和20年ではなく
いつの間にか戦争に巻き込まれた廃墟と化した現代の東京になっている・・・・
|
|
|
|
|
環境とデザイン講座 深澤直人「環境と行為によりそうデザイン」
パワーポイントを使って、たくさんの写真を見せながら
深澤直人さんの考えるデザインを話された
情報は環境に溶け込んでいる
同じものを見ていても受け取る情報は人によって違う
人間の行為が環境を決めている
よく傘立てがないときに
人は床のタイルの溝に傘の先端を置き、壁に立てかける
深澤さんはそこから
大理石の床に壁沿いの一本の溝を引き、傘立てのない玄関を考える
会話は比喩で成り立っている 抽象的なものである
すべての思考やことばは抽象である
デザインは抽象やことばを
ものとして具体化する、視覚化する仕事である
ジグソーパズルの一片の形をあれこれ考えるのではなく
ジグソーパズルとなっている環境の中に一つ空いている一片の形を
探り出したい
人間が環境の一分子に過ぎないと考えると楽になる
【±0】のホームページ
http://www.plusminuszero.jp/index.html
【±0】ショップのホームページ
http://www.pmz-store.jp/
深澤直人氏の手にかかるとブリックパックは“バナナ”になる
http://nd.nikkeibp.co.jp/nd/news/contents/402.html
|
|
|