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映画『真珠の耳飾りの少女』はトレイシー・シュヴァリエの小説が元になっています
そしてその小説は
17世紀オランダの画家フェルメールが残した作品の中でも
有名な作品「真珠の耳飾りの少女」別名「青いターバンの少女」を
題材にした物語です
私も大好きな作品です
「真珠の耳飾りの少女」の絵があまりにも素晴らしいので小説も映画もいらない
と思ってましたが
かなり評判にもなっていて、気になっていたので
とうとうDVDを借りてきて
我が家のホームシアターで見ました
(まだ音響装置との接続などは未完成ですがとりあえずテレビより大きく見ることぐらいは出来ます)
フェルメールの絵の人物たちがそのまま動き出したかのような
光の美しさ、映像の美しさを楽しむことが出来ました
2003年度アカデミー賞3部門
「美術賞」「衣装デザイン賞」「撮影賞」にノミネートされた作品だけのことがありました
絵の具を作るプロセス、カメラオビュスクラのこと
当時の市民の日常的な生活の様子、こどもの遊び、料理など
時代考証もしっかりしていて、映画作品としても優れたものだと思いました
絵「真珠の耳飾りの少女」の紹介
http://takannex.fc2web.com/vermeer21.html
小説「真珠の耳飾りの少女」amazonのページ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560071462/250-3970060-3957066
映画「真珠の耳飾りの少女」のホームページ
http://www.gaga.ne.jp/pearl/top.html
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ギリシャの映画監督テオ・アンゲロブロスの6年ぶりの新作
『エレニの旅』を見に行きました
1919年赤軍のなだれ込むオデッサで孤児になり、
難民としてギリシャに戻ったエレニ
ギリシャ内戦の中でふたりの息子を失う1949年までを描く
エレニという名前はギリシャによくある名前で
ギリシャそのものも意味する
エレニに重ねて
アテネオリンピックの映像を見たときはあまり感じられなかったが
人々が苦しんだギリシャ現代史の悲劇そのものが描かれる
テオ・アンゲロブロスの語り口は
詩情豊かに印象的な映像を長い固定したシーンの描写で重ねて行く
その映像は悲しみをたたえて美しい
その美しいシーンを見ていると、
そこにいる人々の悲しみや怒りが心の底から浮かび上がってくる
●テオ・アンゲロブロス簡単な紹介
1935年4月27日、アテネ生まれ アテネ大学法学部から兵役
1961年 パリ ソルボンヌ大学に籍をおいてアンリ・ラングロワのシネマテークに通う
1962年 イデック(映画高等学院学校、IDHEC)に入学
1964年11月 軍部台頭で政情不安定なギリシャに帰国
1974-75「旅芸人の記録」
1984 「シテール島への船出」
1988 「霧の中の風景」
1995 「ユリシーズの瞳」
1998 「永遠と一日」
●『エレニの旅』のホームページ
http://www.bowjapan.com/eleni/
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劇作家 鄭 義信による新作書き下ろし!
トム・プロジェクト プロデュース
「カラフト伯父さん」
作・演出:鄭 義信(チョン ウイシン)
出演:岡田義徳、冨樫 真、ベンガル
日程:平成17年6月10日(金)~6月19日(日)13回公演(予定)
主催:トム・プロジェクト株式会社 + 財団法人 武蔵野文化事業団
吉祥寺シアターが完成したのでその見学を兼ねて
こけら落としの公演『カラフト伯父さん』を見に行きました
吉祥寺シアターは小さな劇場です
いろいろな劇が楽しめそうないい空間が出来ていました
吉祥寺駅近くですが、家から自転車でゆけるし、
いい感じの自転車置き場もつくってあるので
これから楽しみです
作・演出の鄭 義信(チョン ウイシン)は
「月はどっちに出ている」「血と骨」などの映画の脚本を担当している劇作家
震災後10年の神戸で、なおも心の傷を抱え、寂しく孤独に生きているわかものの姿を描いています
幼いときに父母が離婚
時々訪ねてくる父を母は「カラフト伯父さん」と呼ばせていた
母の死、阪神大震災、父の死、今はひとりで閉じた鉄工所に住んでいる
その父が東京から出版社の事業で倒産,サラ金で出会ったストリッパーの女と
借金の取り立てから逃げて、転げ込んでくる
ふたりを帰そうとするが、「行くところがないから」と転げ込まれてしまう
離れていた父、何もしてくれなかった父を許せない若者は、ずっと不機嫌で
心を開いて、語ろうとしない
父が訪ねる「俺が何をしたというんだ?」・・・・・
若者の悲しみ、父の悲しみ、父の恋人の悲しみ・・・・
3人の登場人物、舞台装置、演出、
丁寧に作られた舞台を楽しむことができた
阪神大震災とその後の10年の経過が重要な設定になっている
その後を生きている人々を書きたかったと言うことはわかるが
阪神大震災の被害者の悲しみが全面に出てくることで
その分劇構成としては弱さを含んでしまったと言えるのではないか・・・
登場人物がいささか類型的
それまでの生い立ちや生活の積み重ねが浮かび上がってこないのが惜しい
吉祥寺シアター
http://www.musashino-culture.or.jp/theatre/index.html
鄭義信が脚本・演出「カラフト伯父さん」
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20050525et05.htm
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吉祥寺の新しい画廊 A-things
吉祥寺に行くときに通るいつもの道,大正通りに
小さな新しい画廊が出来ている
名前は A-things
ずっと気になっていたが最近やっと入ってみた
ちょうど写真展をやっていた
その写真、風景やライトの建物もよかったが
他にデザインのいい、少し古い食器やポット、椅子も
美しい美術図書が少しずつ並べられているのが楽しい
スペースも少しなので、本当にいいものしか並べていない
ギャラリーの方とお話が出来た
何とニューヨークに長くいらした現代美術の専門家の方で
展示品についてもいろいろ詳しい説明をお聞きすることが出来た
いいギャラリーが出来て良かった
この通りには
木のオモチャのニキティキ、絵本のおばあちゃんの玉手箱
パンのダンデゾンがあり
すぐ近くに mono というギャラリーもある
A-things関連のホームページ
http://athings.exblog.jp/
mono gallery というギャラリー
http://www.monogallery.com/
木のオモチャのニキティキのホームページ
http://www.nikitiki.co.jp/top/
おばあちゃんの玉手箱
http://www.tokyosanpo.com/tama/
ダンディゾン吉祥寺にOPEN
http://allabout.co.jp/gourmet/bread/closeup/CU20030528/
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6月7日(火)19時開演 紀尾井ホール
前回 5月19日(木)に追加公演の空席を購入したので
天満敦子 無伴奏ヴァイオリンコンサートにもう一度行ってきました
幸運にも、今回は最前列一番左の席なので、
前回にも増して、ストラディバリウスの音の響きが伝わってきました
今日は『ねむの木の子守歌』の演奏もプログラムにあり、
作詞者であられる美智子妃殿下がお見えになりました
第2部かお見えになりました
私はご成婚パレードで拝顔したことがあり、今回が2度目ですが
テレビでの映像よりお元気そうで、何よりでした
第1部からこれないほどお忙しいのか
それとも皇室の方はが参加される場合、
こうした形でしか参加できない習慣なのかわかりませんが
いずれにせよご不自由ですね
警備の都合からか席も2階の一番前でした
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栗田玲子『画廊の扉を開けて』2000年6月 講談社1800円
1970年銀座にガレリオ・グラフィカを開廊し
2000年30周年を迎えられた栗田玲子さんの著作
意欲的に仕事をされてきた画廊の仕事の実際の様子、
オーナーの気持ちがわかって面白かったです
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『落花は枝に還らずともー会津藩士・秋月悌次郎』 (上下)
中村彰彦 著 中央公論新社 第24回新田次郎文学賞 受賞
会津藩を考える上でとても読みやすい良い本でした
小説ですが、秋月悌次郎が見聞きした範囲で書き綴っていることで
かえって当時の状況がよくわかりました
秋月悌次郎は
京都守護職にあった松平容保(かたもり)の側にあって
身分がそう高くはないが、学問によって抜擢された公用方という文官であった
公用方は朝廷や幕府、各藩との折衝や情報収集を行う
彼は学問が好きであり、選ばれて、江戸の昌平坂学問所に学ぶ機会を得る
彼にとっての学問とは
「学問とは人としての道を知るためのものであり、
およそ人たるものは道義に生きるべきなのだ。」
その後は藩命により西国を遊歴するなど、諸藩の事情に詳しく、
交際範囲も広いという特異な会津藩士であった
「八月十八日の政変」の前には会薩同盟成立に動くなどの仕事をしている
その後、落ち度があったわけでもないのに、
不運にも蝦夷の斜里の代官所(15人)に左遷されてしまう
(1859年に幕府は国防のことを考え東北6藩に少しずつ蝦夷領地を与えた
会津藩は標津、斜里、紋別に代官所を置いた 税収は年4500両にすぎない
会津に海産物が入るようになったという恩恵はあったようだ)
その間に時代は大きく変化、二年九ヶ月後再び京都に呼ばれ
冬の斜里を出発、ようやく京都にたどり着くが、時すでに遅く
薩長同盟による倒幕を防ぐことは出来なかった
鳥羽伏見の戦いでの敗北、奥羽戦争での敗北、降伏・・・・
秋月悌次郎が戊辰戦争前、戊辰戦争、戊辰戦争後をどのように生きたか
松平容保の人となり、京都においてどのような言動をしたのか
当時の幕府中枢の動き、慶喜の動き
攘夷激派の動き
長州藩の動き、薩摩藩の動き,諸藩の動き
松平容保が、会津藩がいかに勤王であり、孝明天皇に信頼されていたか
松平容保が、会津藩がいかに誠実であったか
勤王であり、幕府に忠実であらねばならないという信念を持って京都守護職を勤めた
しかしその会津は、攘夷激派によるクーデター成功という
政治的変化の中で朝敵とされ、追討令が出される
松平容保は若く、誠実であればよいという信念を持って事に当たっている
藩の気風はいわば性善説である
政治的に見れば未熟であり、政治の動きを読みとれなかった
藩の政治判断からみれば不幸なことであった
だがそれを貫いたのが松平容保であり、会津藩であった
1868年1月鳥羽伏見の戦い
9月会津城落城
1864年禁門の変以来の会津藩死者は3014人
1868年 開城後
猪苗代謹慎 城内組 3254人
塩川謹慎 城外出撃組1744人
秋月悌次郎は降伏の使者として命がけの交渉、開城降伏式の準備にあたる
降伏後も永久謹慎、他藩へのお預けの身でありながら、後進のために命をかけて尽力する
(猪苗代に監禁される
会津藩処分寛大陳情のために猪苗代を抜け出して北越まで行き、
長州奥平謙輔・前原一誠に陳情 12月-東京伝馬町に移獄
1869年 会津戦争責任者として終身禁固、永代お預けに処せられる)
明治5年1月、やっと許されて、会津に戻ることができた
一時政府につかえ、法案起草などに従事
その後東京大学予備門教諭として奉職 66歳で引退
次の年さらに熊本の第五高等中学校の教壇に立つ
筋のとおった生き方と誰にでも優しい人柄によって、
生徒からも同僚からも慕われたという
熊本五高において同僚であったラフカディオ・ハーンが
秋月悌次郎のことを書いた文章が残っている
ラフカディオ・ハーンにとって
彼はその日、会っただけで、会った後に温かいものが残るような人として
ハーンの想像する日本の神さまのような人として大切な人であった
秋月悌次郎の戦後の生き方もまた学問に対する彼の信念を貫くものであった
明治28年 熊本五高引退
明治33年1月3日没 77歳であった
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ベルリンの至宝展 上野国立博物館 へ行きました
http://www.asahi.com/berlin/intro/
今回特に印象に残ったのは木彫りでした
使徒マタイ
ドイツ初期ルネサンスの代表的彫刻家リーメンシュナイダー
リンデン
(1505年ごろ)
聖クリスピアヌスの座像
ローマの貴族、キリスト教徒迫害を逃れて、ガリアに滞在していたとき、
貧しい人々に靴を与えるために、靴づくりを学んだという。
のち殉教
座って靴を作っている座像である
クルミ
(フランス 1420年頃)
磔刑
磔刑ではあるがロマネスク様式でキリストが苦しむ姿としては描かれない
死の克服として静かな穏やかな死がある
ポプラ
ザクセン地方1150年頃
他に
マネの『温室にて』1878-79年
温室の中の男女
フリードリッヒ『窓根の女』1822年
妻カローラが窓の外の河を眺めている後ろ姿
河をゆく大きな帆船
シンケル『岩場にたつゴシックの大聖堂』など
上野博物館の中にあるレストランの中では
法隆寺宝物殿一階にあるレストランにいつも寄ります
たいてい野外の席なら早く座れます
(ホテルオークラがやっています 味はまあまあですが
野外の席なら、噴水が見えて気持ちがいい
展覧会を見た後は一休みしないと・・・・・・)
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前にいただいた
ミルトンの失楽園にイギリス人ジョン・マーチンが作った版画の挿絵
『イブ』(額装)
にシミが見つかったので、心配になり
専門の方に見てもらうために版画を扱う画廊へ持っていった
オーナーの意見では
修復できるがもとの絵の値段と修復費用のバランスから言うと
おすすめしないとのことでシミを隠す枠を入れることにした
現在、裏に置いてある紙が中性紙ではないとのことなので
中性紙に変えることも依頼してきた
せっかく来たので今、画廊にある版画をすこし見せていただいた
ピカソ、マチス、ゴーギャンなどもある
版画なのでそれほど高くはない(といってもかなりの金額ですが)
私が好きな長谷川潔の版画もある
彫ったビュランの線が美しい
長谷川 潔
「フローラ」
ドライポイント、1928年
278 x 186 mm、 限定50部
鉛筆で署名と番号
http://www2.big.or.jp/~adel/grafica/gg-03/hsgw.shtml
拡大
http://www2.big.or.jp/~adel/grafica/gg-03/gg-03-b/hsgw-b.html
(こちらは別の画廊加藤版画にある長谷川潔)
..長谷川潔
「ダリアと野の花」
..ポアントセッシュ 1932年 ed.35
..24.4 x 19.2 cm (イメージサイズ)
..鉛筆でサインと限定番号 額装
http://www2.big.or.jp/~adel/kato-hanga/kh-0412/0412-b/hsg-b.html
これらは長谷川潔の初期の作品です
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講座「ヘミングウェイ 人と文学」第7回
宿題であったスタインの文章の訳を提出
スライド
ピカソ『アビィニオンの娘たち』
参考
http://www.bndlg.de/~jlang/graffiti/demoisellesbild.htm
ヘミングウェイが買って、ずっと手放さなかった ミロの絵『農場』
参考
http://www.abcgallery.com/M/miro/miro35.html
5000フラン,給料の一月分ぐらいだった
ヘミングウェイは「この絵にはスペインのすべてがある」と言ったという
この絵は今、スミソニアン博物館にある
今日は短編『兵士の帰還』を読み、作品を分析する
sab plot サブプロット
人が登場したり、退場したところで区切る
場が変わったところで区切る
作品を読み込む
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