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新潮社1998年発行 1100円
初出 「新潮」1994年10月号
初演 こまつ座第34回公演 1994年
台本を改めて読んだ
日本語が美しい
方言が美しい
井上ひさしの後書きに台詞を超えた力のことが書かれている
わずか5ページだがとてもわかりやすい演劇論だ
ほんの少し紹介
劇場の機知ーーあとがきに代えて より
「ほんとうの劇作家とは、それまでになかったような新しい演劇的時空間
をつくりだそうとして苦心する作家のことです」
演劇的時空間とは「舞台でしかつくることのできない空間や時間」のこと
「演劇的時空間は、台詞に直に表れることはありません。
台詞の底にあるもので、もっと言えば、台詞を作り出す土台になる機知、
劇場そのものがもとから備えている機知のこと
この劇場の機知こそが演劇的時空間の生みの母なのです。」
「これらの作品は、各国で翻訳され、世界のあちこちで上演されていますが、
その理由はただ一つ、
「日本語で書かれた台詞は言葉の壁に突き当たり、
翻訳という名の壁壊しの作業を通して大幅にその魅力を失いますが、
劇場の機知だけは、
全く無傷のまま言葉の壁をすんなり通り抜けることができる。」
このあと『父と暮らせば』のにおける劇場のの機知、構成を語っている・・・・
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映画と言うより芝居でした
井上ひさしが10年ほど前につくリ、再演を重ねている芝居の映画化だそうです
監督は黒木和雄
登場人物は4人いますが、ほとんどの画面は父と娘(原田芳雄と宮沢りえ)だけ
ふたりの会話でお話がすすみます
映画そのもののメッセージよりもこの会話に惹きつけられました
終戦後3年という設定なので、古い広島弁らしいのですが
父と娘の広島弁による会話がとても美しかったです
昔の日本人はこんな風にことばをやりとりしていたのかと感動しました
広島の方いかがでしたか?お聞きしたいです
主演の宮沢りえさんは芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されたそうです
『父と暮らせば』オフィシャルホームページ
http://www.pal-ep.com/chichitokuraseba/chichitokuraseba-top.htm
現在上映中の岩波ホールのホームページ
http://www.iwanami-hall.com/index.html
「父と暮せば」アンコールロードショー
好評上映中/4月8日(金)まで
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今日は家人が出かけていて誰もいない
とても静かだ
昼頃から雨が降り始めた
雨が屋根を打つ音が良く聞こえてくる
雨のせいか表を通る人もいないようだ
時々車が通りまた静かになる
この静かさは貴重だ
音楽もかけずゆっくり降り続く雨の音を聴いた
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今日の一冊 小池昌代『感光生活』筑摩書房 2004年6月刊行
1400円
2001と2003年にかけて雑誌に発表された短編小説から14本を選び、
書き下ろし1本を加えてまとめられたもの
私には『げんじつ荘』のお母さんと赤ちゃん、
『風のりぼん』の姉妹がよかった
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小池昌代『屋上への誘惑』 岩波書店 2001年3月 1500円
小池昌代さんは詩人、1959年深川生まれ
この本は新聞や雑誌に発表したエッセイに書き下ろしのエッセイを加えたもの
詩は思潮社 現代史文庫174 小池昌代詩集が手に入れやすい
『これから伸びようとするものたち、
小さな子供や花のつぼみや双葉のなかには、加速しようとする清冽な時間がある。
その勢いが、峻烈な音になって聞こえてきそうである。
しばらく会わないうちに、よその子供がずいぶん大ききなったり、
朝顔の双葉から、やがて蔓が伸びてゆくのを見ることの喜び。
それらは、自分にとっての、「時のものさし」のようなものだ。
そして、彼らの持つ加速する気配に、私の生も後押しされて、
もっと先へと、伸びようとする
大人の魂というものは、どれも妙な具合に欠けているような気がしてならない。
生まれたとき、完全な球体であった命は、その後の生きるという行為によって
少しずつ欠けてゆくのではないか。だからその欠損を補おうとして
私たちは他者を必要とするのではないか。』
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今日の一冊 星野博美『銭湯の女神』文藝春秋2001年12月
1524円 (文庫でも出ています)
少し若い世代の人の感性にふれたくて読んでみた本です
今の日本の日常にある身近なことから
おかしみや異常さに気がついてゆく
視点と思考の柔軟さ、飾らない素直さ、自分への正直さが面白かったです
星野博美さんは1966年生まれのカメラマン
橋口譲二氏のアシスタントを経て94年独立
97年香港の中国への返還をはさむ2年間を香港に暮らし、その体験を
『転がる香港に苔は生えない』として上梓(じょうし)
大宅壮一ノンフィクション賞を受けています
この本は受賞後の東京での生活で感じたことをまとめたもので
アパート、ファミリーレストラン、銭湯という三角形の中でいろいろなことに出会う
香港で会った人々とは何かが違う、東京で生活する人々の言動から
筆者は人々の「鈍感さ」「人への想像力のなさ」を強く感じてはじめる。
「銭湯で体を洗う人々を眺めていると『自分らしく生きる』とか
『私らしさ』という言葉に笑ってしまいたくなる。
人間は生きているだけでどうしようもなく個性的だ。」
写真について、写真家でありながら次のように書く
「無意識のうちに記憶を選択することで、私たちはかろうじて正気を保っている。
しかし写真は、人間の記憶のように都合よくは行かない。
写真は、そこに確かに自分がそこにいたという証拠を突きつける。
それが二度と存在しない一瞬であることを、写真を通していちいち宣告されるのだ。
もう会えない人、すでに存在しない場所、二度と戻らない瞬間ーーー
自分で撮った写真を見るとき、その画面を切り取ったという喜びよりも、
また忘れられない一瞬を自分の手で切り取ってしまったという悲しみを感じることの方が、私には多い。」
「写真を撮るという行為には、いつも悲しみがつきまとう。」
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唐招提寺展 国宝 鑑真和上像と盧舎那仏
のために上野まで行ってきました
唐招提寺金堂が平成大修理(解体、組み直し)実施中
であるために実現できた展覧会とのこと
国宝 鑑真和上像は唐招提寺でも年に3日しか公開されないとか・・・
9時半からなので、早めにでたのですが10時10分前に着きました
思ったほどの混み方でもなくゆっくり見ることができました
時間がたつとだんだん混むのでこれから出かける方は早めに行った方がいいです
東京国立博物館のホームページはこちら
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=1024
唐招提寺展のホームページはこちら
http://www.tbs.co.jp/p-guide/daiji/index-j.html
盧舎那仏像も鑑真和上像も国宝
粘土で造り、布を重ね、漆を塗って乾かして固めることを重ねてた
「脱活乾漆造り」で造られている
鑑真とともにやってきた弟子の手で造られたといわれている
とても柔らかな表現で仏への畏敬の念、
鑑真への尊敬、敬愛の念があふれている
鑑真は日本人の留学僧から
日本へ渡ることを懇請され、55歳のときに日本に行くことを決意した
742年 和上一言『これ仏法の為なり、なんぞ命惜しからむ』
しかし彼の徳望を惜しむ皇帝の反対、密告や嵐にあってはたせず
6回目の渡航にしてやっと日本にたどり着いた
このとき66歳
その時には弟子を失い、航海の途中で視力を失った話はよく知られている
第6回目は密かに遣唐使の船に便乗し(密航である),
753年(天平勝宝5)12月,
発意してより12年目にして沖縄を経由して九州に到着した
754年2月 瀬戸内海を抜け、難波津(大阪港)着。
754年4月 和上、東大寺大仏殿前にて聖武上皇、孝謙天皇に授戒。
東大寺に戒壇を設ける。
759年 平城宮右京五条二坊に、唐招提寺建立。戒壇を設ける。
763年5月6日 結跏趺坐のまま西面して76歳の生涯を閉じた
というような歴史が
盧舎那仏と鑑真和上像に重なってくる
鑑真和上と鑑真和上を慕ってついてきた弟子たち
中国の人々の
仏教を伝えたいという思いを強く感じ
その人びととその文化を迎えた
当時の日本の人びとの素直な喜びを感じた
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おひなさまも春を待っている
あちらこちらに梅が咲いてきたが、桃の花はまだ見ていない
毎年飾っているパートナーに改めて聞いてみると
「出すのを忘れた年もある」とのことでした・・・・・
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これは2月7日に散歩の途中
武蔵野市体育館の敷地で撮影しました
枝が伸びている様子がとても美しいと思って・・・
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この1年間、ドストエフスキーの読書会に参加してきた
武田秀夫さんが講師、参加者は10名ほど
今日は最終回、最後の作品である『カラマーゾフ兄弟』を終わった
ドストエフスキーの長編をこの一年でほとんど読み通した
どれも半端でなく長いので大変ではあった
読書会にでも参加しなければとても読めなかったと思う
短編や「作家の日記」がまだ残っているのでこれから読むつもりでいる
いろいろな人の訳があるが、
訳者を選ばないと読みにくいものがさらに読みにくくなる
今絶版になっているものも多いので、
図書館のドストエフスキー全集をかなり利用した
ドストエフスキーは18世紀の人であるが、
文学の中で
宗教、政治、革命の問題に正面から向かい合った人であった
『カラマーゾフ兄弟』はその作品の集大成とも言うべき作品で
それらの問題がそれまでの作品よりさらに深いレベルで取り上げられている
今世界が直面している問題にいち早く気づいていた人だ
登場人物たちの悩みは人間の悩みとして根源的であって
深く、深く考えさせられる
饒舌なことばを我慢して読んでいるうちに
いつしか彼らが同時代人に思えてくる
彼らの声がこちらの内面に問いかけてくるのだ・・・・
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