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詩の森文庫001
思潮社2005年1月1日発行980円
吉本隆明の詩人についての文章のアンソロジーです
p 88~ 98 宮沢賢治
p163~168 谷川 雁
雑誌や新聞に発表された小さな文章ですが
吉本隆明が詩人谷川雁をどのように見ていたのか
また 実践家谷川雁をどう見ていたのか
読みとることができます
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新年おめでとうございます
今日 井の頭公園で

みなさん いいお正月をお迎えですか
一昨年立ち上げたラボ・パーティのコミュニティサイト【ひろば@LABO】が順調に育ってきました。
インターネットによる発信は今後ますます大切になりますのでとてもうれしいです。
私はこの仕事を最後にラボ教育センターを退職することになりました。
ラボ教育活動の今後の発展を切に願っています。
今後も出来ることをお手伝いして行くつもりでいます。
最後の年、長野県黒姫でのウィンターキャンプ、スプリングキャンプ、
ファミリーキャンプと参加でき、とても楽しかったです。
夏にはカナダ・マニトバ、ウィニペグでの交流に参加、今回は農村地帯ではなく、
多民族が共生する都会生活を楽しみました。
11月末に入院しましたが、幸い経過は順調で回復しつつあります。
組織検査の結果もよかったのでひとまず安心しています。
みなさんの激励のおかげです。ありがとうございました。
ラボランドで
いつか有志による【ひろば@LABO】オフ会ができたらいいなと夢見ています・・・・
よい年をお迎えください
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思潮社より「詩の森文庫」という新書のシリーズが刊行された
002がこのタイトルです 2005/1/1刊行 980円
谷川雁さんの文章のアンソロジー
久しぶりに拾い読む
文章はどれも詩のようで、
そのことばの届いているところを読みとるのはとても難しい
しかしこれは確かに詩人であり、実践活動家であり、
ラボ・パーティ運動に関わった谷川雁さんの軌跡なのだ
ヘンゼルとグレーテルのように
谷川さんが落とした白い光る石のようなものを
月光の中に探しもとめ、たどってみたい
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学生時代に谷川雁さんの詩や評論など著作は読んでいた
生身の谷川さんとは
思いがけず、69年ラボ・パーティ事務局に参加したときにお会いし
薫陶を受ける機会があった
草創期のラボ・パーティにあって
谷川さんの考えや提案はそのことばの届く
その幅や深さにおいて抜きんでており、大きな影響を受けた
私の中にある何かを認めてくださったのも谷川さんである
79年に退職され、その後は『十代の会』の活動を始められた
退社前ラボ・ライブラリー政策の中心にあって
最後に『国生み』制作に全力を注がれた
『国生み』は英語はC,W.ニコルさん、音楽を間宮芳生さん、絵を高松次郎さんと
ラボ・ライブラリー制作第一期の集大成とも言うべき作品だ
残された『国生み』刊行が当時の経営の判断により、
中止になるかもしれないという問題がおこったが
刊行を求める声の結集によって、かろうじて出版される結果となり
本当によかった
「『段々降りてゆく』ほかないのだ。飛躍は主観的には生まれない。
下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちるところへ、
そこに万有の母がある。存在の原点がある。初発のエネルギーがある。」
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朝起きると、珍しく雪が降っている
今日は降り続きそうだ
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昨日いただいた花束です きれいでしょう
みなさん
激励のメッセージをありがとうございます
ラボ・パーティの現場はひとつひとつのパーティ
そこでのこどもたちの成長こそがラボ・パーティの全てだと思います
私にとっても【ひろば@LABO】があって本当によかったです
全国のパーティの様子がわかり
私からもささやかに発信できるので・・・
1966年に始まったラボ・パーティの歴史ももうすぐ39年
世界の変化、社会の変化の中で・・・
ラボ・パーティが大切にしてきたことを
これからも大事に育ててゆきたいです・・・
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思わぬ入院、手術があったのでしばらくぶりで事務所へゆく
久しぶりに見るみんなの顔がまぶしい
人事異動もあったので
みな忙しくしている
まずは病気のお見舞いのお礼・・・
総務で退職の手続き・・・
ひとりひとりに退職の挨拶・・・・
パソコンの整理なども終わって
記念の花束をいただいて、
ちょっとご挨拶、
ラボ・パーティの創世記から参加できて楽しかったです
35年10ヵ月
長い間お世話になりありがとうございました・・・
【ひろば@LABO】はすくすく育っていますが、これから
【ひろば@LABO】を里子に出すような気持ちです
みんなで大事に育ててくださいね・・・
みなさんがエレベーターホールまで送ってくださった
いろいろ思い出しながら歩いていると
歩道橋のところまで来て
手提げの紙袋だけで自分の鞄を忘れたことに気づいた
戻るわけにはいかないな~困った~財布は鞄の中だし・・・
ポケットを探ると10円玉があって、よかった・・・
電話をかけると隣の席のOさんが気軽に持ってきてくれた
あ~よかった
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昨夜は我が家もクリスマスディナー
ローストチキン、キッシュ、ワイン、
アンリシャルパンティエのケーキ
(芦屋で見つけた小さな店が今は全国展開
吉祥寺支店で買うことができる)と Feast for the eyes!
おっかなびっくり
ちょっとずつゆっくり時間をかけて食べ、
(ワインはさすがに飲んでませんよ)
ゆっくり休み
何故か眠くなるので、しばらく眠り・・・
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少しは歩かないとと帽子、マフラー用意して完全装備で外に出る
青空がきれいだ
師走の道路をふらりふらりと歩いてゆく
おなかに力が入らないのでゆっくりとしか歩けない
『へそもち』お話が浮かんでくる
へそをとられたらこんな感じかなあ
これでは「へそを返せ~」と五重塔のてっぺんに声を届かせるのは無理だ
小さな公園の植え込みのところに三毛猫がぼんやりしている
ちょっとこっちを見たが「無害」と判断したらしく
気に留めていない
赤い葉、黄色の葉が散っている
ひさしぶりに駅まで歩き、行きつけの本屋に寄ってみた
次から次と新しい本が出版されているのを確かめて、・・・家に戻る
出てから2時間を過ぎていたので家族が心配していた
「途中で連絡してくださいね」って・・・
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平岩正樹さんは抗ガン剤治療に力を注いでいる医師です
「アメリカに3000人から4000人はいるという腫瘍内科医が
日本にはほとんど存在しない」
「たった50人しかいないので外科医が見よう見真似で抗癌剤治療を行っている」
「世界には充実した抗癌剤治療がある。」
「世界でふつうに使われている抗癌剤が日本では使われていない」
「告知しなければ患者と一緒に抗癌剤治療に立ち向かえない」
「患者一人ひとりの反応(効果と副作用)に応じて使い方を考えていかなければならない」
「私はいつも『たった一つの指標』に基づいて治療しているに過ぎない。その指標とは自分が進行癌の患者ならどんな治療を受けたいか、という単純なものである」
「日本の癌治療は手術は一流だが、抗癌剤治療は三流」
「薬の在庫を減らすために、大半の病院ではすべての薬を置いていない。
大学病院であってもその薬を置いていない病院はざらにある」
(例えば日本で年2万人が発生する膵臓癌の第一選択薬であるジェムザールを置いていない病院はたくさんある)
「未承認の抗癌剤を使う場合、混合診療となる」
著書は何冊かありますが
『がんで死ぬのはもったいない』講談社現代新書 720円
2002年6月刊行が
手に入りやすく、読みやすいです
もともとメールマガジンを編集したものなので
つながりが悪いところはありますが
個々のパラグラフでの主張はそれぞれ納得できます
「がんに総論はない。各論があるだけ」
がんにかかったとしてもどのように戦うか勇気が湧いてくる本です
同じ戦場にある身として
「傷付いた人に肩は貸すけれども同情はしない」という主張にも納得
読んでよかった本です
外科医平岩正樹さんのホームページ
最後まであきらめずに<日常生活を妨げない抗癌剤治療>はこちら
http://dot.eee.ne.jp/drhiraiwa/
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ハンス・ペーター・リヒター(1925-1993)1967
岩波少年文庫3136 1995年刊行
17歳で入隊してから20歳で敗戦を迎えるまで,
筆者がドイツの若い士官として実際に体験した,
第2次大戦の生々しいエピソードが書きつづられている
『あのころはフリードリヒがいた』『ぼくたちもそこにいた』
に続いて書かれた作品。
作者はこの作品を小説仕立てにすることができなかった。
*印で各章が区切られているだけでエピソードがドイツの敗戦まで綴られてゆく。
それだけ生々しい記憶の中で書かれたのであろう。
悲惨な現実や愚劣な軍隊組織の中で少年の信じたドイツの大義は崩れ去り、
自分自身も負傷し、片腕を失いながらも、将校として現実に飲み込まれ,敗戦の中で堕落してゆく。
本人の悩みには筆が向かわず、淡々と日常の悲惨な出来事が語られる。
こうしか生きられなかった。しかしこれは書き残さなければならない
という筆者の意志がこの書を書かせたのだと思う。
筆者はこの本を最後に筆を折ったと聞く。痛ましい書である。
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