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ハンス・ペーター・リヒター(1925-1993)1962刊行
日本では岩波少年文庫3135 1995年刊行
<第三帝国が事実いかなるものであったかの偽らざる記録>
と見返しに書かれている
1933年8歳から1943年18歳まで、少年の体験から見た第三帝国の記録であるの記録である
1933年アドルフ・ヒットラードイツ帝国首相となる
ナチ一色に染め上げられてゆく街
その中で、ナチ党員の息子であるハインツと
ナチに投獄された父親を持つギュンターと3人の友情
少年たちはドイツ少年団(10歳から14歳)に入団活動をともにする
ギュンターも結局所属することになった
続いてヒットラー・ユーゲント(14歳から18歳)に入団
反発を感じることも再三ありながらも
ドイツ敗色が濃い中で、当然のごとく軍隊に志願してゆく
戦場での再会・・・
必死で考え、必死に努力しながら、ドイツ帝国と運命をともにしてゆく少年たちが描かれている
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サルバトーレ・アダモの雪が降る(Tombe la neige)
この曲を聞くといまでも胸がうずく・・・
Tombe la neige
Tu ne viendras pas ce soir
Tombe la neige
Et mon coeur s'habille de noir
Ce soyeux cortege
Tout en larmes blanches
L'oiseau sur la branche
Pleure le sortilege
日本語詞:安井かずみ
雪は降る あなたは来ない
雪は降る 重い心に
むなしい夢 白い涙
鳥はあそぶ 夜は更ける
あなたは来ない いくら呼んでも
白い雪が ただ降るばかり
ララララ ラララ
ララララ ラララ
といっても私が待ち続けていたわけでも
私が待たせたままにゆかなかったたわけでもない
話してくれたことはないのだけれど
ずっと昔
今身近な人がその人を待ち・・・・
窓から雪が降り続けるのが見える・・・・
雪は降り続き・・・降り続き・・・・
後から後からとめどなく雪片が落ちてくる・・・・
夜は更けてゆく・・・
それでもその人は現れない・・・・
私はその人の顔も知らないのだが
雪を見ながら待っていた気持ちはよくわかる
いまでは自分自身の記憶のようになって胸がうずくのです
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みなさんご心配ほんとうに有難うございました
入院前にパーティへの招待状をいただいているのだけれど
さすがにしばらく自重することにしました
伺えなくて残念です・・・
まだ摂食に問題がありますが
集中力が戻ってきました
やっと本が読める状態になりました
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待ちに待った検査結果、心配していた検査結果を聞きに行きました
相変わらず混んでいて、予約してあっても1時間ほど待ち、
主治医のM先生に面談
幸いよい結果、最良の結果が出たので一安心
Vサインです
同室だったkさんをお見舞いして帰りました
みなさんお見舞いありがとうございます
まだ集中力がないのですが、ゆっくり復帰します
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私の手術の場合
手術を終わり、術後食をとり、順調に経過すると2週間で退院になる
これは全国ほぼ共通のようだ
術後の痛みもあるので、できればもう少しいたいのだが、
病院としてはベッドを開けたい
しかたないですね・・・
しかしまだ第1幕が終わったばかり
今週末にある外来でその後の第2幕、第3幕ことが決まる
そこまでは待機状態・・・というわけで落ち着かないが
今日は
ひさしぶりにゆっくり過ごす
今日夜NHKスペシャルの再放送
「検証水俣病」があります・・・・・15日午前0:15~1:10
日曜日に放送され病院のラウンジで見ました
最高裁の判決も出て、国や県の責任が認定されているのに
司法と行政とで判断の違いがある
環境庁は52年認定基準のままで水俣病を認定し続けている
認定された人だけが補償金をもらえる(3000人もいないんですよ)
患者は52年基準の適用によってほとんどの人が
水俣病として認定されない
有明海の潜在患者の数は膨大なのに
水俣病と認められているのはほんの一握り・・・
患者の方たちの苦しみや恨みはこれでは癒されない
水俣病の補償がまだ終わってないどころか
はじまってもいないことにびっくり・・・腹立たしいことです
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東京では今、銀杏の葉が陽光に輝いていて見事です
私自身の入院のため2週間ほどインターネットに接続できませんでした
病院によってはインターネットが可能なところもありますが
今回の病院は無理でした
★夏にパートナーの入った病院
ベッドごとの有料液晶テレビにキーボードがついていて
契約すればインターネットにつながる
携帯電話を面会室で使ってよい
★今回の病院
基本的に無理
公衆電話に接続端子の受け口がついているタイプのもの(グレー)
が一階の電話室に一台だけあったが、そこまでゆけない
携帯電話の使用は病院内全面禁止
今日無事退院できましたので【ひろば@LABO】に復帰できました
まだ一月ほど自宅療養が必要ですが
とりあえず【ひろば@LABO】に復帰できてうれしいです
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パソコンの画面を見続けてはいけませんよ
新しい画面がでるのを待つちょっとした時間に
目を休めるため
部屋の中の絵とか置物や鉢植えの植物に向けましょう
昼間だったら庭とか、雲へ目を遊ばせるのもいいですね
しばらく
多分2週間ほど、事情があってホームページの更新ができません
寒くなってきました
みなさん風邪を引かれませんように
10日の日記に写真追加
会津若松の街路で こどもたち用らしく低い掲示板でした
後半のことばは白虎隊の少年たちが学んだ藩校日新館のものです
会津ですね・・・・
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久ぶりに家族での旅行
今回はあまり行ったことのない水戸方面へ
茂木ツインリンクはホンダがつくった自動車レースのできる施設で
ホテルやカートレース場、
ホンダの車の博物館など付帯施設がたくさんあります
今日はレースはありませんが
愛好者が自分の車を走らせているところや
懐かしい車止めずらしい車ののコレクションを見てから
大洗へ
大洗海岸で太平洋を見る
大洗水族館、いるかのショーはダイナミックでした
マンボウ、ごまアザラシ
最後に名物のあんこう鍋(みそ味だった!)を寿多庵で食べて帰途へ
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茨城、栃木への旅に出る
途中 千葉習志野市の谷津干潟に寄る
サギ、カワウがいる
ヒドリガモ、コガモが多かった
ダイショウサギ、セイタカサギがせっせとえさを採っている
水戸偕楽園
水戸藩主の建てた好文亭は
再建されたものだが素晴らしい
たてものの周りの紅葉が美しかった
水戸芸術館
磯崎新の建築
まほちゃんち展
島尾伸三 (島尾敏雄が父、1948生まれ、小説家、写真家),
潮田登久子(写真家)、
しまおまほ(まんが家、エッセイスト) 一家の作品展
水戸芸術館現代美術ギャラリー
http://www.arttowermito.or.jp/maho/mahoj.html
関連するホームページ
http://event.japandesign.ne.jp/news.php/1816041007/
茂木ツインリンクホテル
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今日は都心での講習会
五人の方が参加されました
総論のあと2台のパソコンを使って実習・・・・
【ひろば@LABO】講習会は少人数なので、
いろいろ気心がわかって楽しい
終わった後もいろいろお話が聞けてよかったです
会場を提供してくださったなかなかさん
参加してくださったみなさんありがとう
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