幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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風の吹く日に・・・
風の吹く日に・・・ [全1125件] 21件~30件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
死刑の基準-『永山裁判」が遺したもの 堀川恵子 2012/01/14の日記 01月14日 ()
死刑の基準-『永山裁判」が遺したもの 堀川恵子 
日本評論社2009年発行
筆者は
1669年網走生まれ、元広島テレビ放送の報道記者、ディレクター
2004年退社現在フリーのドキュメンタリーディレクター


19490627網走生まれ 8人兄弟の4男
父は青森県板柳生まれ、腕の良いりんご剪定職人だったが博打に狂った
借金で家をとられ網走へ
母は北海道利尻島生まれ
1954母が板柳へ帰る、置き去りにされた4人のこどもたち、父もいなくなる

5歳ころ 網走から板柳へ移る
中2のとき ずっと家を出ていた父が岐阜で路上死
1965東京へ集団就職渋谷 西村フルーツパーラー

19690407永山則夫逮捕 19歳

19790710東京地裁死刑判決

19800607和美さんからのはじめての手紙が届いた
19801025和美さんアメリカから羽田空港へ
和美さん遺族への謝罪の旅、

19801212和美さんと面会室で結婚

198104行き倒れて入院していることがわかった永山の母に会いに行く

18810408ずっと恨んでいた母トヨに母の読めるカタカナで手紙を書く
ー以後1993年に母が無くなるまで手紙、季節の食べ物、お金など送り続けた
19810822東京高裁無期懲役判決
世論、マスコミは無期懲役判決を一斉に批判

19830708最高裁で差し戻し

19860403和美さんと離婚
19870318東京高裁死刑判決

19970801死刑執行 48歳

200903著者が和美さんと会う


永山則夫が処刑されて12年、裁判員裁判が始まろうというときに
著者は永山則夫が遺した膨大な手紙や資料を読み込み、
裁判官や弁護士を含めて、関係者に直接会ってゆく

著者の誠実な読み込み、調査や関係者と会ったときの言葉から

永山則夫やその母、その父、獄中結婚した和美さんの姿が浮かび上がってくる
また裁判官、弁護士など関係者のの経歴、人柄、考え方も見えてくる

特に和美さんとの出会いから無期判決までの奇跡的な経過
その後の差し戻し後の別れへといたる経過など

無罪判決
殺人という罪、贖罪、人が人を裁くことの重さ、死刑というものについて深く考えさせる本でした
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安住孝史 東京の夜を描く-鉛筆画の世界 2012/01/13の日記 01月13日 (金)
安住孝史 東京の夜を描く-鉛筆画の世界
古本屋で見つけました
すべて鉛筆だけで描かれた東京の夜景の画集です
平成2年3月に東京堂書店から発刊されています
定価2500円

昭和57年10月から『季刊江戸っ子』に連載されたもの

自分が生まれ育った街、働いている街への愛情が感じられる
丁寧に描き込まれた素晴らしい絵です
夜景ばかりなのでひと昔前の東京の懐かしい灯火を思い出すことが出来ました

あとがきによれば作者は「事情があって絵筆を断った」
タクシー運転手であったとのこと
その後タクシー運転手をやめ、今は画業に専念されている

平成2年3月に東京堂書店から発刊されています
定価2500円

作者のブログで作品を見ることが出来ます
http://enpitsu01.exblog.jp/
昭和30年代をそのままに、ゴールデン街          
http://enpitsu01.exblog.jp/10901255/
嗚呼、上野駅
http://enpitsu01.exblog.jp/9080731/
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「ぬぐ絵画 日本のヌード1880―1945」展 へ行ってきました2012/01/12の日記 01月12日 (木)
「ぬぐ絵画 日本のヌード1880―1945」展 へ行ってきました

ギリシャ、ローマ時代の人体の美の賞賛の後、
西洋で人体の美が受容されたのは15,16世紀ルネッサンス

それは裸ではあっても特別の裸である
永遠化された、理想化された人体の美であった
長い人体研究の歴史があった

明治時代にに日本の画家がヌードを描き始めたが
当時の日本社会では全く受け入れられなかった

そのヌードが受け入れられてゆくプロセスにあった画家たちの工夫、
画家たちの苦闘を見てゆくというユニークな企画でした

http://www.nikkei.com/life/review/article/g=96958A90889DE1E4E5E6E6E3E7E2E0E6E3E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E5E2EBE0E2E3E3E6E1E4E0
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井の頭公園バードウォチング 2012/01/09の日記 01月09日 (月)
井の頭公園バードウォチング
池の周りを半分回っただけですが、いろいろ見ました

キンクロハジロ・・・渡り鳥冬鳥
しっぽのピンと出たオナガガモ・・・冬鳥
カルガモ
黒くて頭が白いオオバン・・・鶴の仲間
ハシビロガモ・・・緑と茶の羽が見える、平らなくちばし
 水面のプランクトンや藻を食べている
カイツブリ(モグリッチョ)
ハゼの仲間ヌマチチブをとらえて飲み込んでいた
かなり大きいので、頭からすっぽり飲み込むのに時間がかかった

シジュウカラ 黒いネクタイ ちょっとグリーンにみえる
エナガ ちょっと小さい ちゃっとピンクに見える
メジロ
トビ 上空を悠々と旋回 狩りはしないとのこと
ヒヨドリ・・・鳴き声がうるさいくらい
波打ちながら飛ぶ、
前は山と都会を往復していたが80年代から山に戻らなくなった
ハシブトガラス・・・東京に多い
(ハシボソガラス・・・農村、多摩)
キジバト
ドバト・・・外来種

ゴイサギ・・・日中はあまり動かない
といっても一羽がちょっと飛んだ
夜動く、目が赤い、頭に白い羽が飾りのようについている
元いた木が倒れたので弁天様の方の木ノ下に移った
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何が終わり、何が始まっているのか 山田太一、福田和也 読了2012/01/08の日記 01月08日 ()
何が終わり、何が始まっているのか 山田太一、福田和也 
PHP研究所 1998

対談の内容は紹介しにくいので
本の紹介文を引用しておきます

家族、断念、善悪、自我、不機嫌などをキーワードに、今日の日本人にとっていずれも身近でありながら一朝一夕には決着のつかない問題ばかりを、卓越した感性と知性の持ち主二人が語り尽くす。生き方探しのヒントが満載。


対談のやりとりをよく理解できなかったところもかなりあった
しかし
駅の出入りが自動改札になって
それまで切符を買い、改札で見せ、切符を切ってもらうという行為
のなかにあった感情とか感覚が
奪われた量は大変なものだという山田太一の指摘など
改めてすごいと思う箇所がいくつかあった。
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阿久悠の未発表小説『無冠の父』を読み終わった2012/01/06の日記 01月06日 (金)
2007年8月に亡くなった阿久悠の未発表小説

1993年9月から11月に執筆されたが改稿を求めた編集者に対し、
原稿を戻させ、以後この作品について一切語ることはなかったという。

遺品のなかから発見された原稿を、遺族の了解を得て、
2011年10月岩波書店から刊行された。

巡査として半生を終え、昭和30年退職した父を語っている。

戦中から昭和30年までの淡路島での生活
サーベルを下げた父
男が先という風呂の順番、男にはおかずが一品多い
という暮らしを守る母
軍隊に志願して出征していった兄
神戸の軍需工場で働く姉
国民学校に入学する私


戦後姉は、神戸から疲れ果てて帰ってきて、すぐに風呂を焚く。
母が止める間もなく風呂に入ってしまう。
母は慌てるが帰ってきた父は何も言わない。

兄が戦死していたことがわかる。

敗戦を境に大きく変わる価値観のなか
闇の食材を絶対に手にしないという暮らしを守るが
サーベルを返上し、竹刀を焼き、私から見る父は小さくなってゆく。

姉や私の行動に口を挟むことも無くなってゆく。

父はほとんど何も話さない人であった。
この小説は、亡くなった父を思い、父の諦観と威厳について考えた作品。
小説のかたちを借りた無名の父を描く、父の生涯の評伝であり、しみじみとしたよい作品であった。
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野見山暁治画文集目に見えるもの を読み終わった 2012/01/05の日記 01月05日 (木)
野見山暁治画文集目に見えるもの
野見山暁治さんの絵と文で構成された一冊 求龍堂2011.12

文は今まで書かれたものからの引用なので、絵と直接関係がある訳ではないが、微妙に響き合っていて絵を見る助けになる

先日ブリジストン美術館であった個展の図録は完売になり、増刷もされないということだったが、この本にかなりの作品が収録されていて代わりになる
印刷の絵の色は、実際に展覧会を見たときの記憶とくらべて、とてもよい

引用
「常に嬰児のごとくあれ」この言葉ほどぼくに強く訴えてくるものはない。嬰児の心でものを見ることが出来ればこんなすばらしいことはないだろう。何度噛みしめても尽きない言葉だ。

ということばから、うなずける絵をいくつも確かめることが出来た。


野見山暁治さんは、
ラボ・ライブラリーでは『おおかみと7匹の子やぎ』の4タイトルの作品が印象に残っている。
よい文章を書かれるので本もたくさん出されている。
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妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録2012/01/04の日記 01月04日 (水)
妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録
著者: 垣添 忠生

国立がんセンター名誉総長という要職にあった垣添忠生さんが退任し、
名誉総長になって間もなく、奥様昭子さんのがんが再発
短期入院も含む化学療法による治療をするが効無く、
9月に一緒にカヌー旅行にいった後入院、
一時帰宅した2007年年末に亡くなられている

昭子さんとの出会い、親の反対を押し切っての結婚
医師として忙しかった家庭を支えた昭子さん
こどもは授からなかったが、
ずっと「波長があった」という二人の関係
闘病の経過、喪失感の日々、そこからの再生が語られる

私にとっては少し年上だが同世代を生きた方のひとつの家庭の歴史でもあった
文章からは率直、真面目、謙虚な人柄が忍ばれる
また昭子さんとの穏やかな関係、お互いの信頼関係がうかがわれ、素晴らしい

この本は新潮社から2009年12月に出されている
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話題の映画「エンディングノート」  2012/01/02の日記 01月02日 (月)
話題の映画「エンディングノート」

話題の映画「エンディングノート」

68歳でがん発見、健康診断で発見されたとき既に第Ⅳ期進行性で転移しており手術は不可能。

半年後、入院5日目。69歳で亡くなられた。その半年間を監督である娘が追っている。

会社でも段取りを大切にしていた父は死後の手配などを書き留めたエンディングノートをパソコンでつくり始める。



40年勤めた会社では営業畑を歩き、接待ゴルフや接待も含め忙しかった「会社命」という会社人間。

役員で終えられている。

妻とはそのため距離が出来、渡米した長男の留守番として自分がその家に住むという別居生活もしている。

だがこの別居生活で妻との関係もよくなり、次の生活へ入ろうという矢先のがん宣告だった。

長男、長女は結婚。長男に3人の幼いこどもたちがいるので、孫にも恵まれている。

未婚の次女がこの映画の監督。編集、撮影もしている。

本人や家族の歴史を見せる写真や動画がたくさんあり、娘から見た父の一生、父の人生がまとめられている

会社の仕事に満足し、家族に愛され、とても幸せな人だと思う。

突然のがん宣告は残念だが、幸いがんによる痛みもほとんど受けていないかのよう。
死へ至る過程で、家族がますます結束してゆくというかけがえのない幸せにも恵まれている。


長く家族の記録係をしていたということと監督を目指しているということから

家族がカメラをあまり気にしないでくれるという幸運があって成立した画面

娘としての気持ちと記録に留めたいという映像作家としての気持ちとが重なり合っている

対象である父との距離。

ドキュメンタリーとして、各方面から高く評価されている映画。

こうあったらいい、こうあってほしいというエンディングであると思うが
恵まれた人生、恵まれた家族のつくりあげた物語でもある

エンディングをめぐる家族の物語であって
どのようにあったのか解らないが、本人や家族の人生における苦悩や葛藤に踏み込むことはなかった。
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1960年代の映画を計3本見た 2011/12/23の日記 12月23日 (金)
高峰秀子二本立て
『女が階段を上る時』
(1960年/111分/白黒/東宝)
監督:成瀬巳喜男 脚本:菊島隆三
出演:高峰秀子、森雅之、団令子、仲代達矢、加東大介、中村鴈治郎、小沢栄太郎
『放浪記』
(1962年/124分/白黒/東宝)
監督:成瀬巳喜男 脚本:井手俊郎、田中澄江 原作:林芙美子
出演:高峰秀子、田中絹代、宝田明、小林桂樹、草笛光子、仲谷昇

『女が階段を上る時』は2回目、放浪記は3回目の鑑賞だが
複数回見ても面白かった
全く違った役の2作品だが
どちらも高峰秀子そのもの
地を出した演技であるという不思議さ

http://mitaka.jpn.org/voice/star/907.php
三鷹市芸術文化振興財団|日本の女優  


神保町シアター、女優 岡田茉莉子特集
『女のみづうみ』1966年 昭和41年 白黒 
監督:吉田喜重 共演:早川保、露口茂、芦田伸介
モノクローム画面の美しいこと
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/okada.html
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