幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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〔がの〕さんの閑粒子日記
〔がの〕さんの閑粒子日記 [全205件] 71件~80件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
◆ラボのハート英語の輝き 17 07月20日 ()
 それぞれの人のそれぞれの輝き。それがラボとともにあるものだったら、もっとうれしいじゃないですか。…うん、「ラボのハート英語」なんて書くと、どうもわたしなんぞにははなはだ似合わしくないテーマなんですけど。
 いささか恥を知るものとしては、遠い外野席から拾い球を投げ返すようにして、ひとつとびきりの話題を提供いたします。
 元ラボっ子が全国英語弁論大会のきびしい審査を経て12名のうちの一人に残って、この8月2日、いよいよ本選のステージに立って発表いたします。どうでしょうか、お近くの方、いやいや、遠くからの方もからころと足を運び、ぜひそのラボのハート英語を聞いてみませんか、若い世代の生き生きとした主張とその意識にふれるとともに、ぜひ元ラボっ子の彼女を応援してさしあげませんか。

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札幌の若夏をさわやかに飾るライラック。リラとも。
花ことばは、青春の思い出、友情。


 この「ひろば@」というラボのウェブサイトがスタートしたころ、新鮮な話題でページを賑わしてくれていた人、「ざわざわさん」を覚えておいででしょうか。北海道・札幌でたいそう活発なパーティ活動を展開なさっていました。それこそ、ピッカピカに輝いていました。地域活動にも意欲的で、市民の読書活動に指導的にかかわるなど、活動はダイナミックで、その息吹きを北の大地から注いでくれていましたね。地域の人たちから圧倒的な信頼を得ていたこともあり、月間ラボ入会者数のランキングではつねにトップクラス。それに、若いころはフィギュアスケートの有名選手だったことも鮮烈な印象でした。そう、身は小柄ながら、ひとつスケールを超えた、たのしい、すてきな人でした。
 そのざわざわさん(小澤由美子さん)が、突然テューター活動を中止。あれからもう2年以上になりますでしょうか。中止した事情については、ここでは書きません。
 で、今ももちろん、札幌でお元気にしておられまして、ときおり、こちらをドキドキさせるような、また、ホンワリ幸せな気分にさせてくれるようなニュースを寄せてくださいます。いずれも私的なことなのですが、あまりいいニュースを聞かぬこのごろ、うれしい刺激とさせてもらっていますので、その明るい切片のひとつをみなさんにも…。

 京都の大学に在学中の長女の方、国文学を専攻なさっておいでですが、さきに内閣府の青少年交流団の一員に選ばれて、この9月にラオス各地へ交流の旅に出ることになったという。また、これを機に(…かどうか、確かなところはわかりませんが)、そのあとには、政府奨学生としてサンクトペテルブルク大学に留学するそうです。いいなあ、すばらしいなあ。
 みなさんもこの大学の名をこのごろよく耳にしませんか。プーチン前大統領、メドヴェージェフ現大統領の出身大学ですね。また、レーニンやトカチョフなどの政治家・思想家、ガモフやパプロフといった物理学者、文学のほうでは、ツルゲーネフやエルショーフ、ゴーゴリの出身大学であり、プーシキン、レールモントフ、トルストイ、ドストエフスキーといった大文豪たちとのゆかりの深い大学。ピョートル大帝によって建てられた名門中の名門ですね。デカブリストの反乱という歴史の舞台となった広場もそこに。北のヴェニスとも呼ばれる旧ロシア帝国の首都、わたしの憧れてやまないエルミタージュ美術館のある古都の大学です。
 ラボで英語をやり、大学で国文学を学ぶ彼女が、なぜロシアか。
 それは、ご自身の意思もあるでしょうが、DNAということか、母親のざわざわさんの息がたぶんにかかっているから、といえないでしょうか。何かのときにこの「ひろば@」でご紹介したことがあるようなおぼろげな記憶が。ざわざわさんは、大学卒業ののち、早稲田大学の露文研究室との縁が深く、第三期ラボ・ライブラリーの “ロシアの民話とトルストイ”集の制作に際してお世話になった先生がたや、ロシア語吹込みにあたられたナジェージュダさんたちとの親交がありました。素養ゆたかなそういう母親の謦咳に日常的にふれていたことと無関係ではないのでは、と推測されます。
 それに、国文学を学び、日本のことばの精粋を知り、確かな日本文化の精粋を知る人が、遠いラオスやロシアで多くの若ものたちと出会い、ふれあう…、これって、いいなあ、すばらしいなあ、とわたしなんぞは期待してしまいますね。ただの薄っぺらな新しがりやの交流でないことがいい。

 さてさて、ラオスやロシアの地へ発つ長女の方とは別に、こちらは次女の小澤時乃さん。高校3年生です。「第8回高校生英語スピーチコンテスト」には、全国74の高校から選りすぐりの代表212名が参加、むずかしい審査を経て本選に出場する12名が選ばれました。時乃さんはその一人というわけ。
 じつは、時乃さん、昨年にも道内の英語弁論大会に出ていて、ラボの国際交流の経験などを踏まえ、国際理解にはそれぞれの信仰のことをもっと学ぶ必要があるのではないかという趣旨で、日本人の宗教観について語りました。しかし、英語のほうは申し分ないけれど「日本人にふさわしくない弁論」という、何ともわけのわからぬ評を得て、口惜しいながら涙を飲んだそうです。
 審査員の意識レベルと好みに合わなかったようで、入選には至らなかったわけですが、今年は全国大会に再挑戦。ご自身のこれまでをつぶさに振り返って、人と人とのつきあい方について、1か月まるまるかけて入念に日本語原稿を用意したそうです。そしてそれを、心のシンにふれるラボの英語を生かして、ニュアンスゆたかな英語に。一次審査に際して寄せられた今回の審査員諸氏のコメントもたいへん好意的。十分に高い評価が期待できそうですよ。

 8月2日(土)午前9時半から、東京・中央線「武蔵境」駅に近い亜細亜大学7号館1階7100教室を会場に最終審査がおこなわれます。やむなきご都合があってざわざわさんは、この日、どうしても上京できないのだそうです。そうなると、ここはわたしたちが応援するしかありませんね(甲子園の高校野球よりは、こちら!)。どんな評価がされるかは別として、以下のホームページの案内もご参照のうえ、ぜひぜひ、ラボで育てられた人の英語、ハートで伝える生きたことばを、晴れの大会の場であなたご自身の耳に捉えてみてくださいませんか。
 http://www2.asia-u.ac.jp/~speech/

 情報過多のこういうせわしない時代にあって、つまらぬ動きに流されず、一つひとつ誤魔化しなく、まっすぐ、愚直なほどていねいに、ゆっくり考えつつ進むことが大事なのではないかなあ、と、この姉妹を見て思ったりします。
 もし英語スピーチコンテストへの応援メッセージをいただけるようでしたら、左の「メール」の「メッセージを送る」からどうぞ。
■宮澤賢治。創作の源泉へ遡る 8 07月04日 (金)
 賢治のことなら、語り尽くせぬものがある。…あれれっ、「なめとこ山の熊」の調子になっちゃったかな?(「なめとこ山の熊のことならおもしろい。…」)
 宮澤家とたいへん親交のあった人、前日本女子大学講師の先生から、これまでに耳にしたことのない数かずの秘話を聞く機会を得ました。
(詳しくは、川崎市のテューター、みっちゃんが後日、報告してくれる…かな?)
 宮澤賢治については、40年余にわたってたくさんの本を読んだり、話を聞いたりして親しみ、かなりよく知っているつもりでしたが、こんな話は初めて、という驚きのなかで聞いた座談講演会。地域でおこなうわたしたちの読書会(わたし自身はこの市に住むものではありませんが)の企画を川崎市の市民館の自主企画としておこなったもの。そのなかから、ひとつだけ秘話を紹介いたしましょう。

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半夏生(ハンゲショウ)


 賢治の父親は政次郎さん。質屋や古着で財をなした人ですね。ハンガーに吊るされた古い派手な着物の下をくぐって移動しなければならなかった家の事情を、賢治も弟の清六さんも、子どものころから大変嫌っていたそうです。賢治が37歳で他界する最後の前日まで、この父親とは互いに理解しあうことなく確執はつづき、最後の最後に至って「おまえもなかなかだった」と初めて父親にほめられたことを、死の床で清六さんににっこりと語ったと「兄のトランク」にしるされています。はげしく反発しながらもついに父親の掌のうえから脱け出すことのできなかったその生涯。そこに賢治作品の生まれた源泉を求めるのは、ごく常識的でしょう。
 ほかにも、母親のイチさん。不和の関係にある夫と息子のあいだにあって苦労しながらも、「人というのは、ひとのためになるように生まれてきたのッす」とずっとずう~っと賢治の耳もとで言ってきたやさしい母親です。その考え方の影を落としている作品なら、いくらでも挙げられますね。ほかにも、祖父母、宗教家、小学校の先生…などなどの影響の色も。

 ここで紹介するのは、父政次郎さんの姉、賢治から見ると伯母にあたる平賀ヤギさんという人の影響です。賢治が誕生したとき、この人は離縁して出戻っていたようです。ちょっと不幸を感じさせる女性。2歳、3歳の賢治が夜寝るときには、いつもこの人に抱かれて寝ていたようです。背負われたり、抱かれたり、たいそう可愛いがられていたらしい。ところが、そんなときいつもこの人が口にする子守唄は、なんとまあ、お経だったという。30歳がらみのきれいな出戻りバツイチ女。その人がたえず口に唱えていたのは、蓮如の「白骨の文」。浄土真宗の再興の祖とされる蓮如。しかし、口に出して読んでごらんなさい、ゾッとしますよ、この経文は。浄土真宗の葬儀に出られたことのある人なら、一度は耳にしたはずですが。
〔このテの経文は苦手という方は、どうぞここは飛ばして読んでください〕

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、
この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。
…我やさき、人やさき、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、
もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
…されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も、
はやく後生の大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、
念仏もうすベきものなり。あなかしこ、あなかしこ」


 人が死ぬのは、自分が先か他人が先か、わかったものではない。今日死ぬか、明日死ぬか、だれもわからない。あした(朝)には赤いほっぺたをして健康そうにしていても、夜(夕べ)には死んで白骨となる身、それがとりもなおさず、人間さ。哀れなものよ、人間とは。まだものごころのつかぬ賢治は、抱かれても、おんぶされても、添い寝されても、四六時中ぶつぶつとこんな呪文の雨を浴びて育ったというんですね。
賢治が書き残した数かずの珠玉の作品の随所に、どこか、何とも云えぬ哀しいものがあるのは、ひょっとして、ここかも知れない。たしかに、一面、この伯母さんの影響を無視することはできないのではないか、と。
 ご存知でしたか、こんな逸話を。宮澤家の人たちと深い関係がなくては、こんな話を知る機会はありませんでしょうね。

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グロリオサ、またの名を狐百合、百合車とも


 賢治と宗教のことは来週に改めて話される予定。父親の政次郎は、すわって昼飯を食べたことがないというほどのたいへんな働きものでした。同時に、仏教の信仰にとりわけ篤い人で、生粋の浄土真宗の徒、周辺地域ではその方面のトップリーダーの立場にある人でした。幼いころから賢治は欠かさず仏教講話に連れていかれ、正座してまじろぎもせず熱心に聞いていたそうです。賢治の透明な時間が想われますね。それが、あるときふと、日蓮宗の系統の「国柱会」へのめりこんでいきます。そこがどうもよくわからないのですが…。

★…転記⇒「ページ一覧」のうち「物語寸景(6)」 関連⇒「物語寸景(7)「消えた妹トシを求めて…賢治の彷徨と挽歌」
■霊地でふれた大きなこころ、やさしいこころ 9 06月19日 (木)
 中部地方の方なら、6月15日(日)の中日新聞愛知県版で、モンゴルの馬頭琴を抱えたHさんの写真と記事をご覧になった方も少なくないでしょう。
 この日、わたしもHさんも霊地・山梨の身延山に来ていました。ラボ職員OBでつくるひとつの親睦グループ、Labo Evermate Clubがあり、年1回ずつ、十数人でこの季節に各地を旅行しています。昨年は美濃市や郡上八幡方面、その前は安曇野・上高地・奥穂高とか寸又峡とか木曾の宿場めぐり、…などなど。そして今年、(日ごろの不心得・不徳を懺悔し精進潔斎するため?!)身延山の宿坊でメンバーは1年ぶりに顔を合わせました。数えて12回目。すなわちこれは、わたしがラボを離れて12年になったことを意味します。

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 身延山は、この日、開闢会(かいびゃくえ)。大型バスを連ねて九州の大分や宮崎、東北の青森、秋田から来た善男善女の白装束すがたでたいへんな賑わいになっていました。
 わたしたちには、はじめて体験する宿坊での宿泊。この地の名産とされる湯葉づくめの精進料理で夕食をとっているとき、とつぜんHさんの携帯電話が鳴りました。彼の娘さんからのもので、今朝の新聞にHさんのことが大きく載っている、とのこと。

 さて、Hさん。中部総局で長らく組織活動にあたってきたあと東京総局に転勤。そして財団に付属する日本語教育の部門に配属されて数年して、母親の介護もあって42歳のとき惜しまれて退社、郷里に帰りました。そして、福祉関係の大学に入り直して社会福祉士の資格を取得、卒業後は授産施設や老人ホームに勤めたり、町の社会福祉協議会の事務局長の仕事に就き、高齢者福祉に全力を注ぐ日々を過ごしました。その間、母親を他界へ見送り、6年前には最愛の奥さんを病気で喪う不幸が。加えて、福祉事業は介護保険制度のスタート以来、ヤマほどの問題を抱えており、神経と体力を磨り減らす激務に耐えねばなりませんでした。そんなとき、表面はともなく、シンの真面目なHさんに「うつ病」がとりついたとしても、それは仕方ないことだったかも知れません。

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 しかし、これが彼本然の資質か、ラボで培われた霊力によるものか、「うつ」を契機にしてさらにたくましい脱皮を遂げるには、そんなに多くの時間を必要としませんでした。富士山清掃登山のボランティアを皮切りに、彼のアクティヴィティはぐんぐん広がりを見せ、たびたび海外へも。マレーシアの障害者施設、モンゴルの孤児院のお手伝いを数週間ずつしてきたかと思えば、青森の白神山地のブナの植林と保全の活動に取り組んだり、外国人ボランティアとともに里山の保護活動の指導にも。ボランティアをともにする仲間のほとんどは20代の若ものたち。どこにいても、だいたいいつも彼が最年長格という。
 わたしたちの年1回のツアーには欠かさず参加してきたが、この日は南米ペルーから帰国して間もない再会。黒く日焼けした顔に白い歯を輝かせ、「なま身でぶつけあう異文化体験がおもしろくて仕方ない」と語る。「いくら流暢な英語を話せても、けんかしている同士のあいだでわかりあうことは決してない。反面、互いに理解しようとする気持ちがあれば、そこにほんとうのことば、ほんとうの英語が生まれる」と。

 「うつ」のかけらもない元気さ、明るさ。生き生きとした血液が彼のなかをツッツと走っているかに見えた。さわやかな血液。わが身の利得と遊楽のために右往左往するものにはない尊いもの、気高いものを、仏教の聖地で見せてもらった、感動の旅でした。
■「あなた、あなた! 長生き、したいですか?」 14 04月27日 ()
〔がの話休題〕
 …えっ、ほどほどでいい? 子どもの迷惑にならない程度に…?
 まあ、そんなとこでしょうかね。
 わたしですか? ほら、一度、おっかない閻魔庁の浄玻璃の鏡の前までいって戻ってきた身としては、どうせこの命は拾い物、あまり役にも立たないし、どうぞ神さまのお好きなように、といったところ。

 さて、きのう(4月25日)の新聞朝刊を見て、びっくりしゃっくり! ご覧になりませんでしたか、市区町村別に見た平均寿命のこと。
 男の場合、もっとも平均寿命の高いところは、なんとまあ、ここ、わたしの住んでいる横浜市青葉区というわけ。さらに念の入ったことには、二番目が、道ひとつ隔てたむこうさん、川崎市麻生区、ときたもんだ! ともに81.7歳。女のほうで見てみると、トップはさすがに沖縄でした。沖縄の北中城(なかぐすく)村が89.3歳、そしてこの横浜市青葉区は7位にランクされ、88.0歳。
 それぞれさほどの差異はなく、コンマ以下の微妙な違いですけれど、たいしたもンですねぇ。わたしとしては、ケチな年金生活を、世にはばかりながら、この先まだまだずっとつづけなければならないわけ。「地域支えあいネットワーク」という、区と地域をむすんで組織されたものがあり、ここ5、6年、地域を代表してかかわってきたのですが、この日、朝から区役所でボランティア講座をめぐるミーティング。さっそくこの話題をめぐって湧きあがりました。

 平均寿命でトップは、めでたい、すばらしいことですが、ちょっと待った、ですよね。考えてみれば、行政にとっても地域住民にとっても、それはたいへんな負担を背負っていることを意味します。若い市長は、どこまで実感としてわかっているのか知りませんが、そういえば、このあいだ会ったときも、福祉行政の重石にアタマを抱えていたなあ、彼はふだんあまり弱音を吐くことはないんだけど。高齢者福祉を担う地域のボランティアの育成という課題には、背負いきれないほどの重いものがあります。日曜日(20日)の自治会総会でも、そのことを訴えたばかり。
 数年前、サクラの花見を楽しんでいた老人が心臓麻痺でその場で倒れました。たまたまそこに居あわせたわたしは、救急救命の心肺蘇生マッサージとニトロの服用で、ひとりの老人の命を救った経験があり、もしかするとそれが数字を押し上げたかな、なんて密かにいい気になったりもするのですが、それは冗談として、そもそも、ここに住む人たちがなぜそんなに命を永らえていられるのか。

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 このたびの報道では、そういう分析はしていないですが、わたしなりにいくつかの思いあたるフシがあります。第一には、車で15分圏内に三つの大学病院があり、総合病院もいくつか。医療、そして介護、福祉方面を含めた施設がたいへん充実していることがあります。医師不足、介護スタッフ不足で、その役割が果たせないで悩んでいるところが多いというのに、これは、申し訳ないくらいにありがたいこと。民生委員さん、保健活動推進員さん、そしてわたしたち社会福祉協議会常任理事たちや自治会役員のがんばりもあります。
 それに、何といっても自然環境に恵まれていることでしょうか。いえいえ、ド田舎じゃない、レッキとした横浜の街なんですよ。それでも、道路ごとにきれいな街路樹があり、家々には競うようにして植木や花、そのほか、里山や農業地帯も保護されていて、緑がゆたかで空気がきれい。呼吸器系に問題のあるわたしなんぞは、日常、ほんとうに助けられているのかも知れません。
 もうひとつ。それは、このあたりの地形ではないか、と思うのです。坂のある街です。ちょっとお買物に出るにも、坂を昇ったり降りたり。ええ、そんなにきつい傾斜ではなく、適度な坂です。老いは足の衰えから来る、とよくいわれるじゃないですか。ふだんから知らずのうち足を鍛えていて、加えて、坂の昇り降りでフーフーいって汗を流しながらも呼吸器を鍛え、動悸を早くしたり遅くしたりして心臓を刺激、これがいいのではないかな、と、何の科学的な根拠もないですが、わたしは思うんですよね。

 わが家などは、エレベーターなしの5階の築30年余のボロ屋。ヘバっているとき、酔っているときの帰宅にはつらいものがあり、途中でしゃがみ込みたい誘惑に駆られることも。でも、わざわざ運動を意識してやらないでも、日常のなかで否応なく鍛えていることになっています。
 午前、何かの用事で外に出る。公園のわきを通ると、そこではいつも、老人会の人たちがグランドゴルフやゲートボールをしています。声をかけられ、ときにはいっしょに遊ばせてもらうこともあります。ですが、これ、遊ぶだけじゃないんです。その都度、公園内をすみずみまで掃除をしてくれます。午後から子どもたちが来て、安全に遊べるように。公衆トイレの清掃も、執念を感じるほどていねいにやっておられます。川の両岸の遊歩道の草とりも、そのご老人たちがやってくれています。それは、ボランティアとかマナーとかではなく、体を動かし適当に汗を流しながら、健康を保っている姿でもあるんですね。

 だめですよ、あなた! 整備された平坦なところに住んで、すぐそこに行くにも車で移動するような横着をしていては! 歩け、歩け! ですよ(わたし自身への戒めですか)。
■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと 14 03月24日 (月)
スミティさんの記録「もしも魔法が使えたら…」に添えて

もしも魔法が使えたら――
  ◎人を生き返らせたいな。
  ◎すべての武器を楽器に変えて、世界を平和にしたいな。
もしも魔法が使えたら――
  ◎心がとっても優しい人になりたいな。

 取り組み初めの頃は自分の欲求が多かったのですが、一番最後のラボでもう一度同じことを投げかけると、「困っている人を助けたい」とか、戦争のことなどが出てきて、エメリヤンに取り組むことで、そういった大きな視点、視野を持てるようになってきたんだと、うれしくなり、これを紹介した〔スミティさんの日記、3月24日より〕

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 スミティさんらしい気の利いた着眼であり、これこそが“テーマ”活動ですよね。おもしろいです。
 上記で見るように、山口の“西の魔女”たちはしっかりテーマをとらえてくれました。「武器を楽器に替え」る魔法など、大トルストイが伝えたかったメッセージをドンピシャに受けとめてくれていて、うれしくなります。できることなら、この魔女さんに会って話がしたい…。

 第三期のラボ・ライブラリー制作活動の第一歩としてロシアの民話の森に子どもたちを連れていこう、と発想したとき、ちょっとむずかしいかも知れないがどうしても一つ入れたかったのがトルストイの作品。ご承知のように、レフ・ニコラエヴィッチ・トルストイは、数かずの名作を書いた大文豪であるとともに、ガンジーと並んで、史上最大の思想家と呼ばれることもあり、「人生の教師」として四海に認められている偉大な人物。どこが「偉大」かについては、ラボのこの作品を訳出した水野忠夫先生や金本源之助先生、タチアーナさんらの謦咳にたっぷりと触れて学んだ千葉のKさんがいつか書いてくれると期待していますが。そうそう、3年後の2011年はこの作家の没後100年になりますね。

 トルストイの代表作「戦争と平和」や「復活」「アンナ・カレーニナ」をラボのおはなしCDに入れるのはもちろん無理で、でも、それらで語られているトルストイの思想(の一部)を集約的にあらわしている作として、水野先生たちといっしょに頭をかかえ、一所懸命考えて選んだのが「エメリヤンと太鼓」(原題は「作男エメリヤンと空太鼓」)でした。

 「復活」を読んだ人なら、主人公のネフリュードフにトルストイのおもかげを重ねたことでしょう。あるいは「戦争と平和」のアンドレイ公爵にその人を見た人もいるかも知れません。「アンナ・カレーニナ」ではリョーヴィンがトルストイかな。永遠の生命の道を探るこの登場人物たちのこころの葛藤、魂の彷徨、知性のはるかな旅で行き着いた先で見つけたのは、現代生活のうすっぺらな虚偽であり、はかなさ・むなしさであり、そこを突き抜けたところで見えた「全人類との抱愛」「真理と実生活との調和」でした。

 「エメリヤンと太鼓」に戻して言うなら、つまらないことでいちいち怒るな、ということであり、悪に抗するに悪をもってするな、暴力に抗するに暴力をもってするな、という教え。
 きょうのこのときでさえ、世界のいろいろなところで戦争、紛争がおこなわれています。チベットの騒乱など、このところ毎日、テレビやラジオで繰り返し報じられていますね。気になってもわたしたちには何もできませんが、いくら大量に中国軍が動員されようと、軍隊の武器による暴力をもって抑えつけようとしたら、互いの憎しみが増すばかりで、けっして解決しないであろうと思われます。あるいは、ここ2~3日、人を無差別に殺傷する事件が西で東で、わたしたちのすぐ身辺で頻発しています。命がそこまで軽くなっていることに愕然とさせられます。
 こんなとき、トルストイ(ガンジーも)は言います。憎しみを去って、愛をもって向かい合い、相手を助け、奉仕せよ、と。暴力、強制、流血、争闘、階級制度……、そういうもののない新しい世界の創造の理想のため、1世紀も前から苦闘していた人、トルストイ。

 生むことのほんとうの苦しみをつうじてもうけた子どもにしてはじめて「わが子よ!」と呼べる。ひたいに汗してかち得たパンにしてはじめて「わがパンだ!」と喜んで受けとめることができる……。そうした思想に立って、名門の大富豪でもあった大作家は、水汲みもした、薪割りも靴づくりもした、泥まみれになって大工仕事も農耕の作業もし、何でもやりました。農奴の子どもたちのために学校をつくり、教育を施しました。下層の農民の生活のあいだでようやく探りあてた世界観が、愛と無抵抗と自己犠牲の思想であり、その観念と実生活を調和させるのがトルストイの生涯をかけた戦いでした。

 その晩年、伯爵とか名門の大地主という階級を捨てます。富を捨て、ヤースナヤ・パリャーナの広大な家を捨て、私有する一切を捨て、愛する家族さえ捨てて、家出します(このへんは、わたしにとってのもう一人の師、良寛さんの生きかたが思い出されます)。自分の生涯の最後の幾日かを、完全に自由に、孤独に、誰にも煩わされないで静かに生きたいとして出奔。1911年11月、ロシアの片田舎のある寒駅スターポヴォ(現在は「レフ・トルストイ駅」と改名されているとか)で高熱を発し、駅長官舎での1週間の病臥ののち、7日払暁、肺炎のために他界します。

 さて、すべてを捨てて孤りになって、「全人類との全き抱愛」の理想は、この大作家のなかで完結したのでしょうか。

 とんでもありません。それこそが、わたしたち、そう、あなたたちラボっ子に投げかけられた課題なんだと思います。むずかしいことだよ、これ。だから、だからね、しっかり「エメリヤン…」の“テーマ”活動をやっていただきたいのです。
 ついでにいわせてもらうなら、読んでもらいたいなあ、これらの大作の一つでもいいから。プーシキンの娘のマリアを外見上のモデルにしたというアンナ・カレーニナ、ソフィア夫人の妹のタチヤーナ・クズミンスカヤがモデルとされる「復活」のカチューシャ、「戦争と平和」のナターシャ…。彼女たちの魅惑とその生きかたにもふれてもらいたい。

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80歳のトルストイと、右は晩年のトルストイの秘書役だった三女のアレクサンドラ
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農場にたつトルストイ、77歳

  
★転記(部分)済み「エメリヤンと太鼓」の秘密 ⇒「ページ一覧」のうち「「物語寸景(6)」 
■農民作家になった元ラボ・テューター 12 01月08日 (火)
 古書店に入るたび、だいたい10冊前後の本を買ってくることになる。
 久しく本をつくってきて、編集出版の苦労をよく知る身には、立派な本が105円で出ていたりすると、ややっ、申し訳ない、もったいない、と頭を下げつつも、反面、お財布の軽い身には、うれしくもあり、ついポイポイと買ってしまい、あとで始末に困ったりする。

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 昨年末のこと、背表紙の作者名に、どこかで見た覚えがあるような、ないような、「ぢなし隧道」というタイトルの単行本が目にとまって、つい買うことになった。
 だれだったかなあ、どこの人だったかなあ、内田聖子という人。日本農民文学賞を受賞した作家、と帯にある。中短編4作をおさめた1冊。農民文学という分野の小説に特に興味があるわけではないが、ちょっと作者の名前だけが気になっていた。病院で順番を待たされるあいだにそれとなく読みはじめた。最初に読んだのは、書名になっている中篇の「ぢなし隧道」。蕗子という5歳から小学3年生になる少女の目を通して、寒村に貧しく慎ましく生きまた死んでいくさまざまな人と自然の動き、村の習俗が、美しさも醜さも含めて原寸大で描かれている好篇である。作品の舞台は、福島県の阿武隈高地の南端、八溝山のふもとの村。父親は農業のかたわら、屋根葺き職人として村々をまわっている。

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 つぎに読んだのが「おいてけの祭り」という短編。合歓の花の咲く季節がすぎ、師走の声もそろそろ聞こえてくる霜月。晩秋の祭りの季節である。海に近い小さな村の大百姓の家に嫁いできたいとよ。きつい姑の目にたえず射すくめられ、身を縮めてじっと耐えるばかりで、ほとんど村から外へ出たこともない。ある日、親戚に初孫ができたお祝いで姑が家をあける。いとよは、この日、首に重たそうな風呂敷包みをぶらさげ、幼いきち子とその弟をともなって、汽車に乗ってトンネルをくぐり“まち”へ出る。はじめて“まち”を見るきち子の目で、町の光景が驚きをもって語られる。サーカスを楽しみ、和菓子屋に寄ってわた菓子を食べ、呉服や衣類を売る店でスカーフをもらう。そしてつぎには、以前いとよのもとで奉公していた女、みっちゃんに会う。この人は今は結婚して6人の子持ち、旦那とうどん屋を営んでいる。ここで母と子はうどんを食べる。主人のおごりのエビのてんぷらもついて。さて、お勘定は、いとよが首にぶらさげてきた風呂敷包みのなかの米。下りの汽車が来るまで2時間あるということで、最後に映画館に入る。弟はすっかり眠っている。途中で母だけ抜け出して花を買おうとし、店の人にいわれるまま、輿入れ以来はじめてのお化粧を気持ちよくする。ふと気づいてもどり、映画館を出て駅に駆けつけたときには、汽車は目の前を出ていってしまった。村までは歩いて1時間半。母は背に男の子を負い、きち子の手を引いて歩きながら、その土地に伝わるいくつかの昔ばなしをする。

 その民話的な雰囲気に、わたしは、ハッ! とした。それ、知ってる、知ってる!
 読みさしながら、本の奥付を見た。やっぱり~…。かつては神奈川支部のテューターとしてたいへん活躍しておられた人である。1970年にラボ・パーティを開設(「語学教育団体において子どもの言語教育に取り組む」)し、70年代後半に組織混乱の嵐がラボを引き裂いた時期があったが、それよりひと足先にテューター活動を中止して作家活動に入ったようだ。活動歴の長い方にはなつかしいお名前のはず。いまも神奈川県綾瀬市にお住まいの様子。

 わたしがある出版社からラボへ移ったのが1973年の6月。ラボの何かがまったくわからないまま、広報部にあってあちこちを取材で飛びまわっていた時代である。内田聖子さんの名は眩しいばかりの輝きのなかにあった。ほとんど直接的なかかわりはなかったが、「テューター通信」だったか「資料集」だったか、彼女の何本かの原稿を編集整理した記憶があり、うわー、無駄のないいい文章を書く人だなあ、キリッとして賢そうな人だなあ、と、近づきがたいほどに匂い立つオーラがあり、何よりも、知的に澄みわたる表情が印象深かった。その魂の奥底に何が眠っていたか、そのときのわたしには知るよしもなかった。

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 作者の略歴を見ると、福島県の出身で、大学は、学部(教育学部)こそ違うがわたしと同じところ、しかもほとんど同時期に学窓をともにしていることがわかった。しかし、わたしにとっては前記のような印象のある内田さん、むしろ都会的な洗練された挙措の印象のほうが強く、彼女と「農民文学」とがどうしても結びつかない。「羽交い」の節子にも、「サトザクラ」のユキ、その母みつにも、内田さんのイメージに重なるところが見出せない。小説という虚構世界とはいえ、人はいろいろな顔を持っている、思いがけないいろいろな生活感覚、いろいろな生活体験をもっている、ということを、改めて知ったというわけ。

 4作を通じての感想ということになると、どうまとめたらいいのか…。農村からさまざまな事情を抱えて飛び出していった女が、女であるという宿業のために出会う不条理、理不尽さに翻弄されつつ、それでもそんなに肩肘張ることなく、男を騙したり騙されたりを繰り返し、流れに沿って根太く生きていくエネルギッシュな姿を描くもの。その限りで、わたしがこれまでに読んできた農民文学の風土性とはかなりの距離があり、どうしてこれが「日本農民文学賞」なのかな(受賞作はこれではなく、わたしがまだ読んでいない「駆けろ、鉄兵・田鶴記」)、と思うところがある。
 それに、こんな譬えが適当かどうかわからないが、「源氏物語」における「空蝉」を思わせる、あっけないほどの潔さがあること。不条理な社会が押し付ける呪縛からどうにか解放され、幸運がめぐってきた、これでうまくいくかな、というときに、サラリと自分のものを脱ぎ捨てて立ち去ってく女の強さ、…いや、弱さ。
 組織混乱前夜の騒音を避け、泥をかぶるなどはつまらぬこととしてサッと身を翻して去っていった感度のよさ、そこが節子やユキの生き方に通じるのかな、と思ったりも…。

 英語だ、物語だ、絵本だ、国際交流だ、キャンプだ、ハロウィーンだ、クリスマスだ…、というところでキリキリ舞いしている現役テューターのみなさんには縁の遠い作品世界かもしれないので、特にお勧めするわけではありませんが、一応ご紹介しておきますと、
 ★ぢなし隧道 オリジン出版センター Tel: 03-3387-0424
      1995年6月25日刊
■カラン、カラーン…。歳末の街をパンプくんでグルグル。 8 12月31日 (月)
 地域のことをやっていると、思いがけない、しかし、考えてみればごく当たり前な体験にぶつかることになる。
 年の瀬もいよいよ押し詰まった28日、そして昨30日、歳末特別警戒にあたる自警消防団とともに、消防車で街筋をぐるぐるまわった。ひと気の絶えた深夜の街。カラン、カランと鐘を鳴らし、火災や犯罪の予防を拡声器で繰り返し呼びかける。風もやんだ凍てつく街の空気のなか、それの音はよくひびきわたった。11自治会でつくる連合自治会の今年最後の活動である。

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 ひとまわり約45分。まわってきて団小屋について休憩。そこには、お燗されたお酒と豚汁、それにさまざまな人から差し入れされたつまみ料理が並んでいる。大型ストーブの熱はダウンジャケットを焦がすほどに熱く、体じゅうが火照る。体もお腹のほうもあたたまったところで、もう一度、街をひとまわり。大型消防車の乗り心地は、うん、なかなかである、「ジプタ」の話のように、ちょっと自慢したくもなる気分。
 帰って来て、またストーブのまわりに。部厚く着込んだ自治会役員さんたちのあいだを、スーツ姿で頭を下げ下げ、くるくるまわる人たちがいる。胸に金色の丸いバッジ。誰だと思いますか? 衆議院議員、参議院議員、県会議員、市会議員たちである。先の参院選で落選したのもいる。夫婦で顔をそろえて来ている人も。なるほど、議員とは、こんなとき、こんなことをしなければならないのかと、恐れ入りました。こちらは酔った勢いがあるもので、日ごろのうっぷんをぶつけ、言いたい放題をまくしたてる。彼らは、それにひたすら調子を合わせてうなずいたり相槌を打ったり。「まあ、そこの椅子にかけないかね」とすえつけられ、あわれ、完全に聞き役。この寒気のなか、ご苦労なことである。冗談半分、冷やかし半分に、わたしに選挙に立てという人も周囲にいてやかましいのですが、わたしにはとてもこんな努力はできないし、お金もないし、ふざけんじゃないよ、とんでもない、とんでもない!

 この自警団による特別警戒活動は大晦日までつづけられるが、わたし自身のお役目は昨日をもって終わり。ついでにご紹介しますと、これより先、12月25、26日には、小学4、5、6年生たちといっしょに団地のなかをくるくると夜回り。例年だと子どもの参加者はさびしいほど少ないのだが、今回はいつもの3倍、30人あまり。自治会で用意する景品をあわてて追加しなければならないひと幕も。女の子が3分の2、というのはどんな意味か? 920戸をかかえるマンモス団地。ふたつのコースに分かれて、「火の用心」カチカチ、「火の元、用心、火の用心」カチカチ、「マッチ一本、火事の元」カチカチ、「タバコの吸い殻、気をつけて」カチカチ…。拍子木の硬い音が立ち並ぶ団地の棟と棟のあいだに反響して、よくひびく。子どもたちの声は、寒気のなかをよく透る。

 ここに住んで早や20年余。これまでこんなことはまったく他人事のひと任せ、ぜんぜん関心もなかったけれど、地域とは人びとのこんな小さな努力でつながっているのだな、コミュニティの源泉はこんなところにあるのだな、とはじめて思い知らされた次第。
 ええ、そりゃあ、もちろんたいへんです。ほかの人はぬくぬくと部屋の暖房につつまれているときですしね。でも、いつでも、どこでも、ひとが動くところには、こころあたたまる出会いとふれあいがあるものですね。じっとしていては得られない物語が動いて。

 このWebサイトに名を連ねているからには、月に1回くらいの書き込みをしないとまずいかな、というわけで、みなさんには何の役にもたたない話ながら、一年のどんずまり、ちょっとだけカッコつけさせてもらって…。
 どうぞ、よいお年を。
★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり 9 11月26日 (月)
 ――「『小学英語』模索の現場」。きょう11月26日の朝日新聞朝刊、第3面の社説わきで紹介されていた特集記事。皆さんも興味をもって読まれたことでしょう。
 横浜市の事例のいくつかが、ごく表面的ながら挙がっていました。この報道に先立ち、過日、市教委が来年から始めようとしている小学1年生からの英語教育をめぐっての公聴会・討論会に招かれて出席、そのことを雑駁ながら「BBS」のほうで、みかんさんの書き込みに応える形で書かせてもらい、それを「ページ一覧/つれづれ塾」でもう少し加筆して転記いたしました。
 走り書きでもあり、ひっそりとウラのほうで書き残しておいた形ですが、オモテに出して、もっと多くの皆さんに読んでもらい、テューターとして考え合うべきじゃないか、との二、三のお声をいただきました。ここずうーっとこの日記にはご無沙汰でもありましたので、以下に改めてコピーしてご紹介させていただきます。(いまは、ほかに追われるものがあり、また、あまり皆さんにお伝えしたい情報も持ちませんし…。)

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上信県境、碓氷峠に近い高岩の紅葉/撮影・提供・足ヨレ氏


小学校低学年への英語導入       

 昨日(11月15日)、横浜市教育委員会主催のスクールミーティング。すごいメンバーが雁首そろえて来たんですよ。教育長以下、教育改革推進部長、授業改善課長、教育対策課指導主事といった市の教育関係の主だった人が4人。それに地域を代表してわたしともう二人の自治会会長、三つの小学校の校長と副校長、それに教職員40数名、PTA役員と一般の父母60名前後、その他。テーマは小学校に英語を導入することをめぐる意見交換、討論(実質は、すでに計画はできていて、それを現場に下ろす地ならし、では?)。
 横浜市はすでに20年前から、5年生、6年生には国際理解教育として一定程度の英語を入れてきましたが、平成20年度より1年生から週1コマ程度を入れる計画とか。意見交換はたいへん活発なものでした。小学校教育の現場にある先生がたにしてみれば、英語教育の免許はもっていない、無免許運転をさせるつもりか、英語力に自信がない、母語による表現力を身につけるのが先決だ、とか、今でも手いっぱいなのに、さらにこの上負担をふやすことになり、授業が薄められ責任ある十分な教育活動ができない、とか、これまでおこなってきた国際理解教育をすこし充実させるということでいいのではないか、とか…。予想はされましたが、現場の不安と混乱には大きなものがあり、とりわけ、使いやすい、すぐれた教科書や副教材がぜひ必要だ、との強い声が聞かれました。
 いや~、先生がたもたいへんなら、子どもたちもたいへんですねぇ。塾があり、ラボがあり、学校の宿題があり、地域活動もあり…。

 横浜市教育委員会の考える小1からの英語は、そもそもどこに目標がおかれているのか。言語習得か、コミュニケーション能力をつけようというものか。薄っぺらな新しがりやが、ただのうわべのファッションとして行政サイドからこんなものを押し付けようということなら、教育現場はたまったものではない。プランにどうもしっかりした軸が見えてこない、長期を見据えた準備活動もされていない。
 そういえば、ラボにおいても、いつからか知らないが、外国語の導入は何歳ごろが適当か、パーティ活動は何人のグループ構成が適当か、といったもっともプリミティヴなことを、みんなで考え合うこと、議論することを、どうしてなのか、このごろはやめてしまったようですね。昔のある時期にはずいぶん熱心に議論されたのですが。あなた任せで、考えることをやめ、議論がなくなった組織は、だいたい衰退していく場合が多いですのでね。

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自治会主催の講習会でフラワーアレンジに初挑戦。いかがでしょうか。


 歴史的にも、安政5年(1858)、井伊直弼大老により(勅許なく)調印された日米修好通商条約にもとづく開港以来、横浜は日本の自由貿易の原点であり、世界の窓口であり、生糸輸出により世界経済への道の力づよい先導役を果たしてきた、その横浜こそ一歩先んじてこれを制度化し、きっちり実施したい、と。しかし、今の子どもたちには、そんな歴史は実感から遠い。そして、付けたりかもしれませんが、この計画を実効的に進めるためには市民力が欠かせず、地域人材に目を向けなければならない、とわたしのほうを向いてニヤリ! の一幕も。
 市民ボランティアへの期待。テューターのもつ能力には地域活動として期待されるものがあり、ここで十分に生かされると思われますが、ホイ来た、ラボの風がきた! と飛びつくのは早計で、いささかなりとも収入が目当てなら、ま、手を出さないほうが無難でしょう。「英語が多少できることをひけらかそうとして…」という周囲の冷たい目もあることも覚悟しなければなりません(このごろ、親の教育レベルは高いですからね)。本気に地域の子どものことを考える方なら、ぜひ!

 ラボ・パーティの活動を知るわたしの目からは、この公聴会の雰囲気は、ある意味で異様なものでした。小学校低学年の英語は「領域」とされ(意味不明)、まったく教育評価の対象にはならないとのことでもあり(先生にとっては、そんないい加減さは許されない)、行政の指定する教科書どおりの、マニュアルに依存したところでおこなわれるコミュニケーション・スキルの向上なんて、ウソっぱち、先生がたの英語力に対する不安、発音がどうのこうのというより以前に(発音などどうでもよい、という意味ではない。ネイティヴの指導助手AETも付くわけだし)、先生一人ひとりがその人格の総体をかけて、子どもの素養を厚く幅ひろくつけること、ひとつでも多く社会的ないい体験をさせるという大人の努力を傾ければいい、あいさつことばをマニュアルどおりに教えても、そんなことではちっともコミュニケーション能力の向上にはつながらない、…というような、考えてみれば、ラボ教育の理念をそのまま語っている自分に気づいたひとときでもありました。ええ、一定の賛同を得ましたけれど、市教委のほうにはどこまで伝わったか…。

 ご丁寧な手引きや事例集も用意されるとのことですし(そんなものはなくてもいいのに)、先生がたにとって、それはそんなに負担なのかなあ、そんな懸念材料なのかなあ、そんなに自信がないのかなあ、…ひるがえって、ラボの教育はそんなに現実ばなれしたものなのかなあ、と、わたしの脳髄はどろんこ遊びのように掻きまわされました。(T0: みかんさん/2007.11.16)
★狂言を個性的に賑わす“すっぱ”と、表現の祖形、日本中世文学の原質 5 10月22日 (月)
 先日、狂言三曲を楽しんだ。狂言を観るのもこのところすっかり減ってしまって、年に2~3回程度か。いつものことながら、観てよくわかった、感動した、とはいいにくいけれど、無条件におもしろく、なぜかある時期になるとむしょうに観たくなるのが狂言。今回、狂言という日本中世文学に日本固有の特質の一面を見出したように思ったので、そのことを少し書いて見たい。

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 狂言を演じるのはシテとアド。クマさんでも八っつぁんでもなく、固有名詞を持つことのない無名の人物たちで、「シテ」(仕手、為手)と呼ばれる主役者と、「アド」と呼ばれる太郎冠者や次郎冠者。こちらは、最古参の使用人であったり奉公人であったりする下賎のもの、あるいは若者。多少ながら軽蔑の意味も含まれているように思う。
 さて、「アド」とは何かがよくわからないままだった。で、最近、偶然にも「アドをうつ」ということばに出会った。古い辞書にあたってみたところ、相手の言うことに応じて調子を合わせて適当な返事をすること、とあった。適当に返事をする、というと、その場かぎりのいい加減な返事をする、と思いがちだが、必ずしもそうではなく、TPOで、その場その場にふさわしい受け答えをする、と解釈するほうが近いかもしれない。
 この解釈に添って狂言における「アド」を考えると、笑劇を演じる人にうまく調子を合わせて、ほめそやしたりして返事をし、はなしのスジを展開する役割の人、とでもいいましょうか。きっと専門家のあいだでは諸説があるのでしょうが、「相人」(あひうど)から来た、などという人もいて、わたしにはこれも安直なこじつけにしか思えない。
 (「がのさんと小夜ちゃんの関係がそうじゃないか」と言う人もいるが、さて、その場合、どちらがシテでどちらがアド?)

 で、ここで採り上げてご紹介しようというのが、太郎冠者・次郎冠者のアドとはいささか趣きのちがう「すっぱ」という存在。ときどき登場して痛烈な笑いのウズをつくりだす。「水破」「素破」などの漢字をあてることもあるようだ。どうでしょうか、「すっぱ」ということばのひびきからピーンと前頭部をかすめるのは「はすっぱ女」ということばではないでしょうか。薄っぺらで、やることなすこと気品がなく、むきだしの「女の色気」を売りものにするいやらしい女。ある向きにはおもしろい魅力的な存在かもしれませんが、わたしのような純情無垢で謹厳実直、清廉潔白(!)なものには、いちばん苦手な存在。あるいは「すっぱ抜く」という語も日常的に聞かれ、明けても暮れても女優やタレントのだれそれの不倫や政治家の不正をすっぱ抜くのが三流週刊誌の得意わざ。
 しかし、狂言でいう「すっぱ」は、どうもこれらの語ともあまり関係はないようで、もともとは悪党、それも小悪党一般をいうようだ。戦国時代に活躍した間者(スパイ)、忍びのものから来ていて、かたり、盗賊、こそどろ、ぬすっと、スリ、詐欺師たちのことらしい。

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 今回観た曲のうち、「末広」(すえひろがり)に登場するアド〔売り手〕が「すっぱ」である。主人のシテ〔果報者〕からめでたい末ひろがりを買ってこいといいつけられた太郎冠者。どうやらふだんからだいぶ信任の篤い使用人と思われる。いいつけられてすぐ「心得ました」とは言ってしまったものの、さて、末ひろがりとはどんなものか、ほんとうはわかっていない。かといって、もののわかった男と主人に思われていると信じているものには、「それはどんなものですか」とはいまさら訊けない。どうでしょうか、みなさんはご存知ですか、末ひろがり。これは、中啓というものを指し、扇の一種ですね。まあ、都に行けば無いものはない、金さえあれば何とかなるだろう、と、男ははるばる都へ。だが、都に来てみてその考えの浅かったことに気づく。こうなったら仕方ない、大通りの人波を分け分け歩きながら「末ひろがりを買おう、のうのう、そこもとに末ひろがりはおりないか」(もっておいでではありませんか)と声をかぎりに呼ばわる。さては田舎者、と見た詐欺師の登場。このすっぱ、どこの家にでもある「から傘」を末ひろがりと称して、もったいをつけつけ売りつける。巧妙なだましで、冷静に考えれば途方もないインチキであり、滑稽せんばんなのだが、太郎冠者はすっかりこれが末ひろがりと信じこんて、得意になって帰ってくる。
 当然ながら主人から無知と知ったかぶりをなじられ、こっぴどく叱られ、すっかり信頼を失墜、家からはげしくたたき出される。たたき出されてうずくまったところで、太郎冠者は、あのから傘を売りつけたすっぱが最後に教えてくれた囃しことばを思い出す。これを囃したてればどんなに怒っている人でも機嫌をなおすというもの。腰をさすりさすり太郎冠者がそれを繰り返し囃しているうち、主人の体もぴくりぴくりと揺れだし、やがてはいっしょに囃しつつにぎやかな歌舞になっていく。最悪の関係にあった主人と使用人の関係はいつの間にか何事もなかったように修復され、主人はご機嫌をなおす、というわけ。

 この日に観た別の曲「茶壷」にも、へんなすっぱ(詐欺師)が登場する。たいそう貴重なものとされる京都・栂尾産のお茶を仕入れて帰るシテ(中国の男)。茶壷を背負って帰ろうとするが、したたかに酒を飲んでいて、正体もなく道のまん中に寝込んでしまう。片方の肩に茶壷の紐をかけて。さて、酔いから覚めて起きて見ると、見知らぬ男が反対側から肩に茶壷の紐をかけて寝ている。これがすっぱ。茶壷はおれのもの、いやいや、わしのもの、と押し合いへし合いの争いになり、おさまりがつかないまま、代官の目代が仲裁に入る。狡知にたけたすっぱのみごとなかたりもあって、どうにも裁きはつかず、結局は、どちらにも品物は渡さず、目代がそっくり持ち帰るというはなし。それはなかろうじゃないか、とストンと終わる。それに、登場してきてすぐに言う口上に「このあたりに住まいするすっぱでござる」と自ら名乗るのもおかしい。健康な「悪」というところか。

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 このように、狂言に登場する悪党にはほんとうの悪党はいない。いまわたしたちが新聞やテレビで見聞きする、気に入らなければ誰でも殺傷する、自分の欲望を満たすためなら誰でも殺す、親でも子でも殺す、といった冷酷で情け容赦のない残忍さはない。暴力シーンは完璧に抑えられている。怒った主人が愚かな使用人を足蹴にして突き転がし追い出す、ということになっていても、そこは狂言のたしなみとでもいうのか、扇子の動きひとつでそれを見せるだけで、着ているものの乱れひとつない。つまり、暴力的な醜さは微塵もない。どんな悪事も犯罪にしてしまわないという節度。
 ミートホープ、白い恋人、赤福、比内地鶏…。年金のこと、薬害肝炎のこともある。建築偽装もあった。ひどいごまかし、うそつき、隠蔽ごとに晒されてわたしたちの生活はある。海上自衛隊の給油量の隠蔽、防衛省の元高官の私欲のままのやりたい放題。こうした自分の利得にしか関心のない彼らの醜い欲望とは、だいぶちがい、「末広」の場合でいえば、すっぱは、だました相手がその主人の機嫌をそこね、叱られることまで見抜いていて、割れた関係を取り戻す術もいっしょにおこたりなく伝授している。それがおかしくもあり、やさしくもある。すなわち、この世界での「悪」とは、人間だれのこころにもあるちょっとした「悪」、ちょっとしたイタズラ心であり、それと裏腹には「つぐないの思い」が満ち溢れている。狂言に登場する人たちの滑稽さ、愚かさ、間抜けぶりは、だれにもある滑稽さ、思い違い、わたしにもあなたにもある愚かさ、間抜けぶりであり、それを象徴的、演劇的に昇華したものにほかならない。この中世芸能の真髄はそれを表現することにある、という今回の発見。発見といえばはなはだ大げさですが、ようやくそんな理解ができた、というわけです。

 長くなりましたので、もうやめますが、もうひとつの発見は、ことばへのこだわりで、あるときには演劇的なものを犠牲にしてでも、狂言はことばをはっきりとあらわす、ということも知った。表現の祖形って、そこにあるのかもしれませんね。

★…写真は本文とは関係ありません。横浜・三渓園でひろった、ゆたかな自然と共生しつつ生きる生き物たち。
★★…転記スミ ⇒ページ一覧のうち「古典芸能(2)」―狂言「末広」「茶壷」にみる“すっぱ”
★フェルメールと小野かおるさんのゲーテ「ライネケ狐」 12 09月26日 (水)
 やわらかな光に包まれた永遠の静謐
 行くなら今日しかない! 思いついて急遽行くことにした「第71回新制作展」。昨年までは上野の東京都美術館を会場に開かれていましたが、今年からは、この春、六本木にオープンした国立新美術館に移されての大展覧会。
 「はるかぜとぷう」や「かぶ」「一寸法師」などでラボの方がたにはよく親しまれている小野かおるさんのご招待にあずかるもの。……なのですが、何も知らずに地下鉄乃木坂駅につづく会場についたところ、ジャスト今日から「フェルメール展」が始まったことを知りました。「牛乳を注ぐ女」のポスターの前に来て、うっ、うっ、うっ、脚が、脚が、動かない! オランダの国立美術館の至宝で門外不出とされているあの作品が来ている! 皆さんもご存知と思いますが、「真珠の耳飾りをした少女Girl with a Pearl Earring」とともに、だれもがよく知るフェルメールの傑作。世界じゅうの人びとに愛されている作品で、あの、やわらかい光に包まれた永遠の静謐を、わたしもたいへん愛してきました。

 しかし、そうはいきません、今日はまず、その会場を通り越して新制作展のほうへ。小野さんの「ライネケ狐 Reineke Fuths」12編のうちの次の4編(前4編は「ページ一覧」のうち「アート回廊=1」の〔7〕で紹介。ぜひご参照ください)を見ないで過ごすわけにはいきません。ドイツに古くより伝わる動物寓話で、ゲーテがそれを美しい韻文叙事詩にしています。はなしは、タチの悪い狡智にたけたライネケ狐が、次つぎに悪知恵をはたらかせ、いろいろな動物仲間を混乱させ困らせ、数かずの悪事をはたらきながら立身出世をしていく物語。
 まずは、「スペースデザイン部門」へ。若々しい感性を躍らせた意匠表現の不思議の森の奥のほう、佐藤忠良氏のすばらしい彫刻群と斜に向かいあう形で、その労作は展示されていました。つづいて「彫刻部門」「絵画部門」へ。たくさんの、じつにたくさんの作品を見、脚はこわばって棒のよう。その間にもフェルメールのあの女の人が気にかかって仕方がありません。
 疲れた~! フェルメールのほうはまた出直して来ようか、とも思ったけれど、そんなことをいっていたら、いつ来られるかわからない。わが国で初公開される作品、これを見逃すテはない。台所の片隅に立ち家事労働をする女性、美しい女性とはいえないながら、どっしりとした存在感とホッとする自然感、真実性、永遠性を描きだすフェルメールJohannes Vermeer(1632-75) の魅力の甘い誘惑に身を任せて…。

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 わたしの気持ちとしてはフェルメールの作品のことを書きたいのですが、でも、まあ、このサイトでいい気になってそれを書いても、誰も読んではくれないだろうとわかっていますので、ここは小野さんのユニークな労作「ライネケ狐Ⅴ~Ⅷ」を画像で見ていただきましょう。残りの4編はまた来年ということのようです。

 なお、第71回新制作展は10月1日(月)まで、また、
「フェルメール≪牛乳を注ぐ女≫とオランダ風俗画展」は9月26日~12月17日、国立新美術館にて開催です。

※〔追加情報〕――先刻、電話で小野さんとおはなししました。「ライネケ狐」は上田真而子さんの訳で、この夏、岩波少年文庫から出版されたそうです。ただし、表紙だけはこの技法の作品ですが、中の挿絵はペン画にしているとか。新書版の小さい判型のため、力強さを表現できなかった、と残念がっておいででしたが。それに、ここにきて銅が異常に高騰、昨年の2倍以上になっていて、たいへんでした、とも。

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★転記スミ 小野かおる「ライネケ狐」⇒〔アート回廊=1-7〕/フェルメールの描く女⇒〔アート回廊=2-4〕
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