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コント――小夜とともに(121)
限られた命
― ユウくんがね、セミをいっぱい、いっぱいとっていました。
― 元気な昆虫少年だからね、ユウくんは。夏休みはまさにユウくんの季節だ。
― そんなことを言っていていいのでしょうか。セミたちが可哀相じゃありませんか。万智子先生もおっしゃっていたし、おとうさんもよく言うでしょ、限りある命だ、命あるものはどんな小さいものでも大事にしなければならない、と。
― それはそうだね、どんな命も限りある命、かけがえのない命。ニニギノミコトが木の花サクヤヒメだけをお嫁にして、お姉さんのイワナガヒメをいっしょにお嫁にもらわなかったことから、永遠の生命はこの世界から失われた。
― ユウくんのとるセミはともかくとして、小夜も早百合ちゃんも、おとうさんおかあさんも、みんなみんな動物のお肉を食べているし、お野菜だって命ある生きものですよ。ユウくんのこと、悪い子なんて言えません。みんなみんな悪い子じゃないですか。
― さあて、困りましたね、他の生きものの命を奪わないと生きていけない人間。ほんと、罪深い生きものだ。肉をたべないベジタリアンもいるにはいるけれど。
― 動物の肉はだめだけれど、植物である野菜や山菜ならいい、というのも、理屈に合わないのではありませんか。
― 植物もおなじ生命体だからね。でも、そんなことを言っていたら、人間はどうやって生きていったらいいの? 小夜ちゃんの好きなカレーライスもハンバーグも「なし!」の毎日って、楽しいだろうか。
― 牛肉も豚肉も鶏肉も、小夜たちがふだん見るのは、お店でトレイに入ってきれいに包装され陳列されたもの。あれが畜舎にいた牛や豚と同じだという実感には遠いです。しかし、その欺瞞のおかげで、抵抗なく食べられるんでしょうか。このあいだも早百合ちゃんと「こどもの国」に行って、牧場でポニーやヤギやヒツジやウサギといっしょに遊びました。仲良しになったあのかわいいお友だちのお肉だ、と知ったら、とても食べられません。
食物連鎖とエコロジー
― 食べたり食べられたり、…可哀想だけれど、それが自然界の摂理だ、と考えるしかないよね。「食物連鎖」ということばを聞いたことはありませんか。
― お勉強しましたよ。木や草の葉や実を昆虫たちや野ウサギなどの草食動物が食べる。それを小型の肉食動物が食べる。その小さい動物を大型の肉食動物が食べる…。
― ほかにも森のなかでは、台風や落雷で倒れた大木が、何年かすると、バクテリアや菌類に食べられて腐食し、土のような有機堆積物に化して姿を消しています。その上に新しい命のヒコバエが生えていることもある。森のなかで死んだ動物たちも同じで、微生物のエサになって跡形なく消えてしまいますね。死んで他の生きものを養っている。
― よくできていますね、森のエコシステムって。
― 森だけではありませんよ。海でも、川でも、そのエコシステムははたらいています。アフリカのサバンナにすむ動物たちのこと、テレビで見ましたね。怖いような生存競争の現実がありました。うん、会社のなかだって同じさ、食うか食われるか…。動物でも植物でも、あらゆる生物種のあいだでこのシステムが働いて自然界のバランスがうまく保たれ、それによって地球上の生物の多様性が守られている。だから、小夜ちゃんは、罪の意識をもつ必要はなく、いっぱいおいしいものを食べて大きくなっていいのさ。
― でも、やっぱり、お肉を食べることには、どうしても心にひっかかるものが残ります。
肉食の迷論理
― 長野に諏訪大社という大きなお宮があります。ここに有名な「諏訪の勘文」というものが残っていて、肉食の理由をこんなふうに語っています。「日本一社鹿食箸」と題する意見書ですけど、テイのいい言い訳だね。おもしろいよ。おとうさんが現代語に直して言ってみるとね、「野獣鳥魚の類は、その業(ごう)が尽きたからこそ、人間に捕えられるのである。したがって、そうしたものたちに一時の情けをかけて放してやったところで、もはや長くは生きられない。それに、そうして野垂れ死んでしまっては、成仏も叶わない。だから、いっそのこと人間に食べられてその人間と同化し、その人間が成仏することでいっしょに自分も成仏できれば、そのほうが結果的には、野獣鳥魚のためである。だから、獲るものを恨むでないぞ」
― ま~、あきれた! 業が尽きた、ですって! 野垂れ死んだら成仏できないから、ですって! 手前よがりのひどいコジツケじゃないですか。わけても、神職にある人がそんなこと言うなんて、めちゃくちゃですよ、バチがあたりますよ。
― 小夜ちゃんみたいにカッカと怒ったかどうかは知りませんが、人が動物の肉を食べるのは同じ生きもの同士としてどうかな…? と考える人は、古来、たくさんいました。天武天皇といったら、「古事記」「日本書紀」の編纂を命令したことで、小夜ちゃんも知っているね。壬申の乱(672年)で大友皇子を破って天皇に即位した人。即位して4年後に、この天皇が肉食禁止令を全国に向けて発布しています。
― どんな内容の勅令なのですか。
― 今後、漁撈や狩猟に従事する者は、檻(おり)や落とし穴をつくったり、仕掛け槍などを設置してはならぬ。4月1日以降9月30日までのあいだは、隙間の狭い簗(やな)を設けて稚魚を獲ってはならぬ。また、牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食べてはならぬ。それ以外は禁制のかぎりではないが、もし禁制を犯した場合は、きびしく罰する…。そういうものでした。
― 4月1日から9月30日、というのは、どういうことですか。
― これは稲作の時期ですね。魚を獲ったり獣を獲ったりなんぞしていないで、ちゃんとお米づくりに励め、ひたすら励め、それさえしていればいい、ということでしょうか。
為政者と庶民の食い意地くらべ
― そんな命令が出て、庶民はみんなおとなしく従ったのでしょうか。
― どういたしまして! なにしろ、それで暮らしを立てていた人も少なくなかったでしょうから。禁を犯して獣を狩り、その皮を剥いで収入を得て暮らすような人を卑しい存在として差別する偏見、いまに残るその偏見も、ここから生まれたと思われます。
― で、庶民の上に立つ王朝貴族の人びともそろって、その勅令に従ってお肉は食べなかったのですか。
― はっは、どうして、どうして! 庶民には肉食をきびしく禁じておいて、自分たちはうまうまと食べていましたよ。
― まっ、ずるい!
― ずるい、ですか? 考えてみてください、いまの国会議員や政府の高官たちは、BSEにかかっているかも知れない輸入牛肉を、庶民には「食え、食え」「多少あぶないけれど、安いんだから、いいじゃないか」と押しつけながら、自分たちは口にしようとしないね。時代が変わった、というか、飛鳥時代とは逆転してしまいました。そうは言っても、あの人たち、国産の高級牛肉を高級料亭でバクバク食べているに違いありませんけれど。
― 庶民がお肉を食べられないのは、いつまで続いたのですか。
― 正式に肉食解禁になったのは明治5年(1872)です。明治天皇ご自身が肉食を奨励し、それを禁じるのはいわれなきことだ、としています。この天皇はフランス料理がお好きだったそうですから、それにはお肉が欠かせないですものね。
― ずいぶん長くつづいたのですねぇ、肉食禁止令は。
― でもね、いつだって人はいろいろ知恵を働かせるものです。実質、江戸時代には肉食は復活していたようです。肉はご法度だけれど魚ならいいじゃないか、と、イノシシのことを「ヤマクジラ」と呼んで食べていたといいます。魚類なら問題ないじゃないかという発想。獣類、すなわち哺乳類の捕獲とそれを食糧にすることが禁じられていたわけですが、その当時はまだ、クジラといえば魚の一種だという認識で、それも哺乳類だとは庶民は知りませんでしたので。小夜ちゃんは知っていましたか? 哺乳類ですよ、クジラは。
― したたかな江戸庶民の知恵。こう見てきますと、食べることが社会の文化を推し進める牽引車になっていたような…。食欲はどんな理不尽をも腐食させてしまうバクテリアみたいなものですね。
― はっは、バクテリアのような貪欲な食欲。生物発生以来、食べること、子孫を残すこと、…突き詰めれば、生きものの関心はそこに行き着きました。肉を食するようになった人間も、その例外ではありません。古代より狩猟がさかんにおこなわれていたことはよく知られています。4000年前にはもう、野生のイノシシを食用のブタとして家畜化していたようですよ。飛鳥時代のことが書かれた「播磨風土記」には「猪飼野(いかいの)」のことがくわしく記されています。天皇からこの地を賜ってイノシシを放ち飼いにし、育てあげたその肉を献上した、とあります。天皇に限らず、肉はだれにとっても重要な食糧源、主要な蛋白源だったのでしょうね。
日本人とイノシシ
― 古代の人が食べたお肉といえば、イノシシだったのですか。
― 縄文時代のことを文献で見ると、狩猟はイノシシとシカがほとんどでした。とくにイノシシは食肉の3分の2を占めていたとあります。
― 地方によっては、シカのことをシシということがありますね。宮澤賢治の「鹿踊りのはじまり」は、シカではなく「シシ」と読んでいます。
― イノシシを狩ることが多かったのは、それが田畑を荒らす害獣だったことにもよります。大事な作物を食い荒らしてしまう憎っくいヤツでもあった。
― 害獣ですか、イノシシは? 害獣、…イノシシ年生まれのおかあさんには、このこと秘密にしておいたほうがいいですね。去年、おとうさんと京都へ行ったとき、狛犬のかわりにイノシシのオスとメスが向かい合っている神社がありましたね。イノシシを悪い獣ではなく神聖視する人もいたのでは…。
― そうそう、小夜ちゃん、よく憶えているね。和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀る護王神社の拝殿前にあったもの。ほかの神社にはイノシシの狛犬は多分ないと思いますね。道鏡の策略で遠い大隈(鹿児島県)に流された和気清麻呂。途中で道鏡の放った刺客に命を狙われますが、そのとき300頭のイノシシが現われて清麿を守り、宇佐神宮まで導いたという故事にもとづいて、土地の人がイノシシを祀ったとされています。
― いろいろありがとう。明日から新学期。もうお休みしますね。今夜はイノシシの夢を見るかしら。
転記スミ ⇒ ページ一覧「小夜 & GANO トーク=6」/部分「イノシシ 豕 亥」⇒「イワシの眼」
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気に入った花を見るとき、あるすてきな女性のおもかげに重ねてその印象を愉しむのが好きだ。胸にあるひそやかなあこがれの思いを込めて…。
レンゲショウマ。この可憐な妖精がだれの印象か、それは言えませんね。わたしだけの秘密。(「白い恋人」と呼んでいた時期もあるのですが、どうやらその名には問題があるようで…)。昨年8月21日に撮った画像――「ページ一覧」のうち「今月の花神」でご紹介したこの花の画像の1枚を、この1年、わたしは自分のパソコンのデスクトップの背景にしてきました。とにかく、大好きな花なんです、世界でいちばん好きな花かもしれません。
で、どうにか時間をやりくりして、今年もまた奥多摩・御岳山へこの恋人に逢うために行ってきました。9月1日、あの猛暑がまったくウソのような、冷たいつめたい雨が降る山。しかし、時期が少し過ぎたためか、この夏の気温が高すぎたためか、天候わるく光量不足のせいか、それともわたしの撮影技術の衰えか、どうも相手は不機嫌でして、昨年ほどには気に入った画像を得ることはできませんでした。アップでこの愛らしくも気高い妖精をご覧になりたい方は、ぜひ「今月の花神」のほうへどうぞ。
レンゲショウマについてはそれくらいに止めおいて、ここでは別の花をご紹介することにしましょう。だれだろうかな、美しいけれどちょっと気性の強いこの花の印象になぞらえるべき女性は…?
トリカブト。どうでしょうか、トリカブトと聞いたら、かつて起きた保険金殺人事件を思い起こす方もおいででしょうね。以来、ゾッとする怖さをもったその名。そうです、毒草の代名詞のように言われる猛毒をもつ植物。でも、花はなかなか美しいでしょ!? 御岳神社の参道わきでふと見つけ、惹きつけられました。
「附子(ぶす)」とも呼ばれ、ご存知でしたか、西洋の魔女はこれを混ぜた軟膏を身に塗って空を飛ぶことになっていますよ。あるいは、狂言の名曲のひとつ「附子」。おもしろいですよ、これ。主人が出かけ、その留守に毒薬だとして附子の入った桶をあずかることになるふたりの冠者。じつはこれ、毒薬なんぞではなく味こたえられぬ黒砂糖でして、ふたりはそれを残らず食べてしまいます。さて、帰ってきた主人にどう言い訳をするか、その悪知恵を利かすところが絶妙なミソ。めっぽう楽しい狂言です。
ギリシア神話にも登場しますが、ご記憶にありませんか。地獄の番をしているケルベロスというおっそろしい猛犬がいます。英雄ヘラクレスの冒険譚のひとつで、彼ががそいつをおびき出したとき、牙のあいだからだらりと垂れ落ちたヨダレ、それがこの毒だ、ということになっています。また、四谷怪談のお岩さん、憐れなあの女性が飲まされたのも、この附子。また、アイヌの人びとは、むかし、これを矢に塗って大物の狩りをしたとも伝えられていますね。
アコニチンというアルカロイド系の毒素を塊根にたくわえている植物。とにかく、たいへんな毒性を持ち、これを口に入れたら、数十分のうちに間違いなくあの世ゆきになるという、即効性をもった毒薬。まず、初期の症状としては、舌にしびれが生じます(といっても、わたしに経験があるわけではありません)。つづいてすぐ、はげしい嘔吐、さらにふらふらの酩酊状態におちいり、脈は激しく乱れ、次には昏睡状態となって、ついに心臓停止に。
はいはい、そう言われて思いつくことがあります。歯の治療の際の、あの痛った~い麻酔注射。そのあとの3、4時間は口の周辺の感覚が失われ、口が口でない、自分の顔が自分のものでない痴呆状態にある、あの感覚。あれが附子によるものじゃないだろうかなあ。違うかなあ。チョウセンアサガオから抽出した麻酔薬と聞いたことがあるけど、…うん、今度歯医者に行ったら確かめてみよう。
毒性物質はこの植物の根から採ることが多いそうですが、花の蜜や花粉、葉にも毒が。うすバカなミツバチがいて、これで中毒を起こして死ぬのもいるとか。ところが、ふしぎ、ハチはハチでも、マルハナバチとは共生関係の仲良しにあるという。
「附子(ぶす)」「ブス」「ぶす」といっても、けっしてあなたのことを言っているのではありませんので、決して気になさせぬこと。ところが、同じ「附子」と書いて「ぶし」と読むこともあります。その場合は、漢方医学では欠かせない生薬のこと。もちろん、どんなふうにしてかは知りませんが、減毒加工をほどこして精巧につくったもので、全身の新陳代謝機能を回復させたり、強心、鎮痛、利尿、また女性に多い冷え性の治療にと、広い目的で用いられています。ちょっと気持ち悪いですけれど、冷え性で悩んでおいでのあなた、試してみます? 毒か薬か、それは紙一重、サジ加減ひとつ、ということなんですね。
さて、この花、深い緑のなかで青紫色の花を鮮やかに際立たせています。雑草に混じってキリリッと自己主張をしています。花の形が、かつての王朝貴族がかずいた烏帽子、またの名の鳥兜に似ていることから命名された名だそうですが、さあ、どうでしょうか、みなさんにはどう見えますか。わたしですか、わたしには、……う~ん、イメージダウンになるといけませんので、言わないでおきましょう。
★転記スミ〔部分:とりかぶと〕 ⇒ ページ一覧「今月の花神=2」
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中高年者を対象とする映画鑑賞会を年に2~3回、地域でおこなっています。今回提供したのは「山の郵便配達」。1999年、中国で製作され、2001年、岩波ホールでロングランを記録した名作映画。その魅力とは何だったろうか。ご覧になりましたか、この映画。
原作=彭見明(ポン・ヂェンミン)、監督=霍建起(フォ・ジェンチイ)。わたしが地域で主宰している「ふれあい読書会≪どんぐり≫」で、2002年5月に採りあげ、多くの仲間と原作をじっくり読んで話し合った。その5年後に観た映画。原作を読んだあとに観る映画の常として、どうしてもその描き方にはもの足りないものを感じてしまうとしても、報われることの少ない地味な人間の努力と、強い使命感だけを心の支えに、淡々と、黙々とつとめ続ける男の、孤独だがすがすがしい生きざまは、しみじみたる感動がある。
崑崙花(パルウィフロラ)(本文とは関係ありません)
世代交代のときにある親と子のあいだの微妙な心理のアヤなどは、原作にふれたものには、描ききれていないな、というもどかしさが残る。しかし、それが映画というものなのだろう。映像表現には限界があり、そういう楽しみ方をすべきなのだろう。その代わり、というか、映像は美しい。あまりにも美しい。そうはいっても、観光名所になり人を集めるような美しさとはぜんぜん違う種類のもので、人間のこころの底にいつもあるふるさとの原風景を想わせる風光を映す映像である。「きれい!」ではないが、こころに美しく映る自然のすがたにつつまれた、素朴な人間の飾りない良心のかたち。
これまで誰も注目したことのない中国大陸の奥深い山岳地帯。少数民族が山のヒダにへばりつくようにして生きている地の風光である。湖南省のものという。重畳なす山々がそそりたち、道らしい道もない。渓流に踊る雪解け水に胸まで浸りながら、郵便物を頭のうえに載せて川を渡ることも。そういうところを1回2泊3日、120キロの行程を週に2回。体重を越すほどに重い郵便袋を背に、欠かすことなど許されず歩きつづける。
そうした苦労を引き継ぐことになる若い息子とともに、老いた父親は膝の痛みに耐えながら最後の仕事にのぞむ。「このくそ重たい荷物。遠く険しい道。いまなら車やバイクをつかって運んだらいいじゃないか」と20歳の息子は不平をこぼす。「道というのはな、歩くためにあるんだ」という父親。父と子がたどるこの長く困難な配達業務のなか、交わされることばはあまりない。ときには反目しあうこともあるが、山奥にひっそりと暮らす貧しい人びとと父親とのあいだに結ばれている信頼の絆にふれるうち、父親のやってきたことの尊さを一つずつ理解していく。
笑いがあるわけじゃない。涙があるわけじゃない。観るものをハラハラ、ドキドキさせる波乱万丈なドラマ展開などまったくない。これ見よがしの感動の押し売りもなければ刺激的なこけ脅しもない。映画にお決まりの恋も、山の空気の流れ程度のかそけさで示されるだけ。原寸大の人びとのつつましい生活があるだけだ。どんなときも控えめで、人には誠意をこめて尽くす。つまらぬ不平不満はこぼさない。人の悪口はぜったいいわない。そういう人間のたたずまい、そこで自然につくられていく人と人との絆が美しい。能率を競う現代が失ってしまったものに出会う映画で、奇を衒い、あくなき刺激と興行収入を追求するハリウッド映画の薄っぺらさとは異質の、すばらしい映画だといえようか。
☆…転記スミ ⇒ ページ一覧「つれづれ塾《3》映画」
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女の本能は国境を越え、あらゆる規範を超え、すべてを投げ捨てても…
ギリシア神話のお話ですが、以前にサマーキャンプで「ペルセウス」をしたとき、いろいろ読んだり調べたりしました。お話は面白いのですが、男性中心の世界であまりにも理不尽で、正直、生理的に好きではないなと思いました。〔おがちゃん/2007.07.02〕
⇒ たしかに! ギリシア神話は「女性蔑視の宝庫」といわれることがありますが、それは、ギリシア神話に限らず、北欧神話の場合もインド神話の場合も、古典神話においては概ねそういうことがいえるようですね。そもそも、ゼウスに逆らったプロメテウスに対する罰として最高神から与えられたのが“美しき悪”としての女性、パンドラ。最初の女であるパンドラは思慮もなく贈り物の函の蓋をあけ、この世にあらゆる種類の悪をひっぱりだしてしまったし、聖書神話でもアダムとイブの物語など、“女は禍い”であり、人間に対する懲らしめとして与えられたのが女というわけで、どちらも「美しいが、わざわいをもたらす禍々しき存在」として現われたことになっています。ま、いまのわたしたちを包んでいる社会構造とは大きくちがっていましたのでね。
でも、それはどうでしょうか。ギリシアの物語、いまに残っているすぐれた文学作品のどれをとっても、女性の存在なくしては少しも動いていかないことがよくわかります。第一、あの時代のエポックとなったトロイア戦争。ホメロスの「イリアス」ではアガメムノンやオデュッセウスやアキレス、トロイ側のヘクトル、アイアスらの英雄たちの活躍が主として描かれていますが、もとはといえば、アガメムノンの弟メネラオスの嫁さんの、ヘレネという絶世の美女の存在に始まりますね。高貴の生まれながら、天性の無邪気さと破天荒な行動で、順風満帆な自分中心にまわる生活に倦んじはて、すべてを捨てて異国の男、トロイア王子パリスの愛に走ってしまう女性。ですから、本来ならミケーネのアトレウス一族の身内だけの争いだったものが、全ギリシアをあげての報復戦争になっていきました。
この一大叙事詩でも、ヘレネという女性の人物像がきちんと描かれているとはいえませんが、すごい! と思うのは、女の本能には国境もない、自由でどんな規範も意味がなく、栄誉もかけひきもない、ということ。ホメロスは、男性中心の世界を描きながら、じつはなかなかのフェミニストで、女性を大事に、大事にしているんじゃないでしょうか。だって、これは10年にもおよぶ大戦争、敵味方をあわせて10万余の命が消え、数多の名誉が傷つけられた戦乱であり、ようやくトロイアが陥落し惨禍のおさまったあとも延々とつづくさまざまな災厄と不幸にもかかわらず、ひとりヘレネだけは、まあまあ、驚くなかれ、まったくの無傷! 夫を捨て、異国の男と歓楽のかぎりをつくし、災厄の元凶になりながらも、トロイア王国にあっても篤く庇護され、ついにそこが陥落するとまた無事に、養父のいるスパルタに帰還するという、人生の苦渋とは無縁の、天衣無縫の生涯をおくったメデタイ女性。現代の感覚ではぜったい許せない女ですが、ホメロスは一言もこの女に異を唱えていない。どうしてでしょうかねぇ。最高神ゼウス(白鳥に変身した)とレダのあいだの子だから、畏れ多いということでしょうか。
この物語にかぎらず、ギリシア悲劇の傑作「アンティゴネ」も「エレクトラ」も「メディア」も、オレステイア三部作(アガメムノン、供養する女たち、慈しみの女神たち)も、みんな女性の尊い意思を描くもの。まさに神品のかがよいゆたかなこころです。強いですよ、アンティゴネもエレクトラもメディアも。母でもない、女でもない、性差を超えて自分の信念で主体的に行動する気高さをもっています。いつの時代だって、実質的に社会を動かしているのは女性ですよ。いや、このごろはもううしろに身を隠してということはなく、オモテのいちばん前に立っていますけれど。ギリシア喜劇の「女の平和」(アリストパネス)なんて、お読みになったことありませんか。戦争にばかりうつつをぬかし、女や家庭を顧みない男どもに性のストライキをもって対抗する愉快な話。こうなってくると、男って悲しいもん、惨めなもんですね。
でも読んでしまうし、それに関連した絵画など興味が引かれるのですよね。ギュスターブ・モローの絵とか。それだけギリシア神話をテーマにしたものが多いのでしょうね。〔おがちゃん/2007.07.02〕
⇒ ええ、ヨーロッパ社会、その美術、文学、音楽、建築…、どこをとってもこのヘレニズムとヘブライズムに深くむすびついていますね。映画などの映像文化でも、そうです。ギリシアからは遠いこの日本にいても、その物語と文化にたえずさらされていて無縁ではありません。もちろん、古代ギリシアのこと、キリスト文化のことなど知らないでもこの日本で生きていけます。でも、ほんのちょっとばかりにすぎないのかもしれませんが、ラボを通じてギリシアの風にふれた人は、まったく知らずにいる人の何十倍もの楽しみをもって、正確さと深さをもって、その情報を受け止められるということですね。〔2007.07.03〕
※…この一文は、もと私信の一部を抜粋、「ページ一覧」のうちの「物語寸景」に書いたものですが、オモテの「日記」に出してもっと多くの人に読んでもらえ、とのサジェスチョンにより、少々加筆修正のうえ、改めてこちらで紹介させてもらいました。
※…写真はいずれも、鎌倉・長谷寺のあじさい
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きょう、6月8日、能楽師の観世栄夫さんが亡くなりました。ニュースでご覧になりましたか。わたしにとっては3月末に観た映画、新藤兼人監督の『午後の遺言状』であのお顔を見たのが最後になりました。認知症の老妻との最後の旅。かつての親友の女優(杉村春子)を別荘にたずねたあと、また旅に発ち、最高級ホテルの一室で心中する老夫婦の役をベテラン女優の朝霧鏡子さんとともに、味深くわびしげに演じていました。観世さんは「耳なし芳一」で絶妙な語りを聞かせてくれましたね。そのほかにも表現活動のうえでいろいろお世話になった方です。ご冥福を!
そのことで言うわけではありませんが、ラボのみなさんもこの機会に、狂言・能楽で美しい日本語の原型と洗練された伝統芸の世界にふれてみませんか。
東京・水道橋の宝生能楽堂で来たる6月17日(日) 。渡雲会の70周年記念大会、東京支部のFテューターが出演いたします。午前9時からの開始。能は、はかない恋に消えた夕顔の面影を描く「半蔀(はじとみ)」や天照大神の岩戸がくれの故事と神々の神楽のありさまを再現する「三輪(みわ)」が演じられます。Fさんの出演は、午後1時ごろの素謡「雲雀山」シテと、午後5時ごろ、仕舞のトリの組で「芭蕉」クセ を舞うほか、いくつかの地謡にも出ることになっているとのことです。入場無料。
「雲雀山」は中将姫と乳母の狂女もの。世阿弥の作。父に捨てられ殺される運命を負った幼い中将姫を雲雀山にかくまってひそかに育てる乳母。彼女は物狂いを装って花を売って生計を立てる。のちに、前非を悔いた父親と娘との対面が見どころ。
「芭蕉」は植物の精を寂しげな女のすがたに仕立てて、無常観を舞台に造形するもの。金春禅竹の作。みごとに昇華した幽玄能を味わうことになる。高度な曲で、芭蕉の精の静かな、ひたすら静かな舞いがこころに沁みる。
「老名人ならただ立っているだけで世阿弥のいう“せぬならでは手立(てだて)あるまじ”との心境で存在感が出せる舞いですが、何分、長年の稽古でも一介の素人には“残んの花”は出せないと存じますが、ご笑覧いただければ幸いです」とはFさんのことば。
この「芭蕉」のあとが野村万作師シテ、野村万之介師アドの狂言『柑子』、そして能「三輪」とつづきます。
遺憾ながらわたし自身は予定が重なり行けないのですが、なかなか充実した番組になっています。ぜひご都合をつけてこの機に言語表現の粋をご覧くださいますようご案内申し上げます。
なお、Fさんのお能については、「ページ一覧」のうち、「古典芸能・その1」〔1〕能「蝉丸」をご覧ください。一昨年9月に発表したものを画像とともに紹介しております。
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「午後の遺言状」について3月30日の日記の末尾で、
「ものごとには、水に流せることと流せないことがある。きのう観た映画「午後の遺言状」(新藤兼人監督)でときどき登場する丸い石…音羽信子の演じる別荘管理人であり老農婦が最後にポーンと川に投げすてていくダチョウの卵ほどの石の意味と関連して書きたいこともありますが、長くなりましたので、きょうはこのへんにて」
と思わせぶりに書いてそのままになりました。作品は、「老い」に捧げるさわやかな人間讃歌でして、ほかで書く機会はないと思いますので、今回の日記とは直接関係はないのですが、ごくかいつまんで私見の一端を示しておきたいと思います。
それは、新藤兼人監督に特有の意地の悪い(!?)ユーモアと、いまともに生きているものへのメッセージなんだろうと…。「一重積んでは父のため、二重積んでは母のため…」、あの地蔵和讃、賽の河原をめぐる民俗信仰の考え方が日本にはいまも根づよくありますよね。人の一生はひとくれの石塊に化して終わる、それこそが唯一の真実である、…とする古くからある考え方。そういう砂を噛むような暗い信仰をポーンとひっくり返して見せてくれたのがあのシーン、というのがわたしの解釈。
新藤監督の日本古来の習俗に対する関心にはかなり高いものがあり、この「午後の遺言状」のなかでも“足入れ婚”という、地方でおこなわれていた、正式な結婚の前の試験的な結婚の儀式について、かなりエロティックに突っ込んで描いていましたよね。そういう趣味がこの監督にはありますので、この見方、たぶんあまり大きく間違ってはいないと思うんですが。
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唐突な質問ですみませんが、夏目漱石の「二百十日」と宮沢賢治の「注文の多い料理店」は、何だか似ているように感じるのですが、どちらかが、影響を受けているとか、その時代の特徴的な作風とか、なのでしょうか? ご存じだったら教えてください。〔みかんさん 06.01〕
☆ ☆
ははあ~、「草枕」とともに、みかんさんのお住まいの熊本を舞台にする漱石の作品ですね。細かなことはすっかり忘れてしまいましたが、「二百十日」は7~8年前に川崎市のほうでやっていた読書会で読み合った作品です。「草枕」とはだいぶ趣きが違い、ふたりの男のヤジキタ漫才といったタッチで書かれた、軽妙洒脱な会話体の短篇作品でしたね。温泉宿に来たふたり、浴衣すがたのまま阿蘇山に登りますが、噴煙に巻き込まれ、二百十日の雨と風にあって道に迷い、胸まである草のなかをさまよううち穽におちてさんざんな目にあうというはなし。そちら熊本では愛されてよく読まれている作品ですか。
「注文の多い料理店」との影響関係ということでは、わたしはこれまで考えたこともないのですが、もしあったとすれば、先ほど年表を見たところによりますと、「二百十日」のほうは1906年の発表、「注文の多い料理店」は1924年に1,000部を自費出版したとありましたから、あとの宮澤賢治が影響を受けたことになりますね。たしかに、漱石はすでに人気作家、新聞小説としてどんどん作品を出していた時期ですから、賢治もそれを読んでいた可能性は十分に考えられます。しかし、どうでしょうかね~、「二百十日」には江戸の草双紙のような軽さがあり、金持ちや華族たちが跋扈する世の中に対する庶民的な悲憤慷慨はありますが、それは酔っ払いの愚痴というに近く、温泉につかりながらの無責任なヨタばなしのような味があって、社会批評というには浅いように思いますけど。
一方の「注文の多い料理店」には、自然を軽視する人間の傲慢不遜さをふたりの青年紳士、イギリス風に洗練されていることをハナにかける都会人種に対する明確な批判があるように思いますね。かなり意識的な社会批判を感じます。どちらが優れた作品か、そこには違った評価の軸があるでしょうけれど。
宮澤賢治と夏目漱石との影響関係については、後日、改めてもうちょっと丁寧に探ってみるとして、じつは、きょう、神奈川県立近代文学館の「中原中也と富永太郎展――ふたつのいのちの火花」を見てきました。きのうの狂ったような荒天とはうってかわって、気温21℃、横浜の海からの心地よい風を浴び、バラ園の香りに包まれて、遠い青春の日の甘酸っぱい記憶に浸ってすごした半日。
この展示を見て、アッそうか、とひざをたたいたのは、中原中也の詩のいくつかに宮澤賢治のイメージが乗っている、ということ。あまり知られていないのですが、「修羅街挽歌」という中也の詩を見て、あ、「春と修羅」を読んでいるな、とピーンとくるものがありました。
暁は、紫の色/明け初めて/わが友等みな/我を去るや
否よ否よ、/暁は、紫の色に/明け初めて
我が友等みな/一堂に会するべしな。
弱き身の/強がりや怯え、おぞまし/
弱き身の、弱き心の強がりは、/猶おぞましけれど
恕(ゆる)せかし/弱き身の/さるにても
心なよらか/弱き身の、心なよらか
拆(さ)るることなし。
この早熟な天才は、“ダダイスト”をみずからに認じ、火のように烈しい偏執で自己主張するものですから、周囲には、ちょっとつきあいきれないハナモチならぬやつ、というものがあって敬遠され、一人去り二人去り、友人に見放されて孤独をかこつ時期がありました。人の話には耳を傾けない傍若無人ぶり、自己撞着ぶりだったようようですね。自業自得か、孤独の痛みにさいなまれていたときに書かれた詩篇がこれです。“修羅”という印象あざやかな語の発想は賢治か萩原朔太郎のもの。書かれている内容においてはあまり通じるものがあるとは思えないのですが、まず「春と修羅」と無関係とは考えにくい。
このほかにも、影響といえそうなものに、「星とピエロ」という詩稿があるし、中也にはめずらしい童話作品「夜汽車の食堂」という草稿、これなどはどうみても「銀河鉄道の夜」を知らずに書いたとは思えませんね。
「雪の野原の中で、一條のレールがあって、そのレールの
ずっと地平線に見えなくなるあたりの空に、大きなお月様が
ポッカリ出てゐました」
中原中也はどこで宮澤賢治を知ったか? もちろん直接会ってはいません。会ったとしても、賢治と親しい関係がつくられるとは考えにくい個性同士。つまり、「春と修羅」を中原中也に紹介したのは、富永太郎のほかにはいないでしょう。24歳の若さで惜しまれて夭逝した、中也より6歳年上の詩人であり画家、新鮮で硬質な象徴詩を書いた天才でした。ヴェルレーヌ、ボードレール、ランボーらのフランス近代詩を紹介して、中原中也をダダイズムの狂信のわだちから抜け出させたほか、世界の新しい詩の世界を切り開いて見せ、中也を独自の抒情詩の世界へ引き出した人物。その「新しい詩」のひとつに「春と修羅」があったことはほぼ間違いない。
中也は17歳、すでに長谷川泰子と同棲しているときのふたりの天才詩人の出会い。それは、はげしく嫌悪し、反発しあいつつも、互いの才能を認めあわずにいない、不思議な友情でつながっていました。
あ、ここは似ている、ここはこちらをまねている、盗用しているなどと詮索するのは好きではないですが、知性と知性、感性と感性が本質的なところでふれあえば、熱い火花がほとばしり、どうしたって影響関係は生じずにはいないでしょうね。それでなくてさえ、たとえば日本神話とギリシア神話に共通するものがいくらでもあることにみるように、時間や空間をはるか隔てても人間存在の本源には太くつながっているものがあり、絵画も音楽も文学もあらゆる芸術が古来よりそこをひたすら表現してきたのだ、とはいえないでしょうか。時代を超え世紀を超えて残っていく傑作、人類の宝には、いつの場合も共通して、人間とは何か、存在の意味は何か、の問いと追求がありますね。
☆…転記スミ 宮澤賢治・夏目漱石・中原中也 ⇒ページ一覧「物語寸景(2-4)
萩原朔太郎、詩人の魂に憑かれた少年 ⇒ページ一覧「つれづれ塾その《6》詩歌」
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◆『竹取物語』と『源氏物語』にみる求婚の条件
突然ですが、あなたは何人めの求婚者と結婚なさいましたか?
えっ、「18人目」、…すっご~い! 理想が高かったんですね。
「ラッキー・セブン」、なるほど。ゲンをかついで幸せをゲットなさったというわけ。
ええ~っ!?、最初の人とあわてていっしょになってしまい、損した、って。
損したか、得したか…、それについてはどう言えばいいんでしょうかねぇ。
それに、あなたの結婚願望はいつのころからでしたか?
どんな心的動因からだったですか?
ま、ま、そんなにプライバシーをずけずけと覗き込んではいけませんね、失礼しました。
◆『なよたけのかぐや姫』
がぐや姫については、みなさんにはあまり説明を必要としないはずですが、一応、整理してみますと、求婚者には、5人の身分の高い人物と、もうひとり、帝がいました。しかし、かぐや姫はもともと月の世界の人で、何やら罪を犯して月から地上に追放されている身。罪の償いが済めばもう地上に留まることはできません。美しいかぐ姫を求めて5人の求婚者が竹取の翁の家に入りびたります。それぞれ有力者ですから、親役の竹取の翁、讃岐の造(みやつこ)としては無碍には断われません。その饗応のためには多くの散財と失礼のない配慮を要したことでしょう。そこで、直接に求婚を拒否することなく体裁よく彼らを撃退するため、かぐや姫からそれぞれに難題が課されます。石作皇子には仏の石の鉢、庫持皇子には蓬莱の珠の枝、右大臣阿部御主人には火ねずみの皮衣、大納言大伴御行には龍の頸の珠、中納言石上麻呂足には燕のもてる子安貝、というわけ。求婚者はその難題物の入手のために艱難辛苦の奔走をし命がけの挑戦をします。しかし、ひどいもんです、それは相手を欺く手段であり、ぜったいに入手不能のもの、もともとそんなものなどはありません。かぐや姫の提出した課題が偽りなら、婚約者たちの挑戦もいずれもうそっぱちで、口先だけで偽りの話をつくりあげて姫を欺こうとする芝居でした。偽りはバレて、求婚者は赤っ恥をかいたり、命を落としたりして、挑戦に失敗します。被害の度は話の展開ごとに増大していきます。ま、婚約者たちのやっていることがまっ赤なデタラメなら、かぐや姫の投げかけた難題はその上を行く偽りもの、姫はタチの悪いしたたかものです。偽りと知りつつも女の美しさに惑わされ振り回される男たちこそオタンチンパレオロガス、悲しい男の業なのでしょうけれど、たまったもんじゃないね、これ。。
『竹取物語』の劇的展開の心柱には、男たちの難題物獲得をめぐるウソっぱちの挑戦のほか、月の使者の出現と帝の兵との対決があります。対決とは言え、帝の兵の力は月からの使者の力の前ではまったく意味をなさず、戦いにもいたりませんけれど。
で、なぜ物語の最後に帝が登場し姫に求婚するのか。それこそが『源氏物語』の作者がいう「物語のい出来はじめの親」ということなのでしょう、わたしにはうまく言えませんが、物語としてのバランスであり、コントラストなのではないでしょうか。だって、前半のすさまじい謀りごとで終わってしまったら、これはひどいじゃないですか。美しい姫が悪鬼か地獄からの使いか、ということになりませんか。天の羽衣をまとうと同時に、ものを思うこころを喪い、だれとも気持ちの通じない「モノ」となり、月の世界に属するわけのわからぬ存在として素っ気なくスーッと去っていってしまう。育ててくれた翁たちへの恩義はどうなのだ。多くの人たちから受けた愛情に報いるにそんな冷淡なことでいいのか。ところが、帝とのエピソードが入ることにより、姫は地上での人たちとのお別れを悲しみつつ月の世界へ去っていくという、余情ゆたかな悲劇のうちにエピローグを迎え、読むものをホッとさせてくれます。
でも、わたしは、ほんとうをいうと、そこのところがよくわかりません。かぐや姫との関係で、帝はかなり暴力的です。帝からの使者に対して求婚をしりぞける意思を伝えるとき、かぐや姫は「帝に背くのだから、どうぞわたしを殺してください」とまでいいます。そもそもが、狩りを口実にして翁の家におもむき、みずからかぐや姫に迫っています。その袖をつかんで宮仕えを強制します。こりゃあ、親方ヒノマルで、権力にものをいわせた暴力の行使ですよね。それでも、姫のはげしい抵抗を受けて、残念無念、帝は求婚を断念します。すっぱりと求婚を断念した帝は、その後、姫と文をとりかわしこころをかよわせ合います。富士山の噴煙、かぐや姫が残していった不死の薬を焼く煙は、遠い遠い月に消えていったかぐや姫への、帝の憧れの表現でもあったでしょうか。わたしたち読むものとしては、ロマンに満ちた輝きある憧れの存在は遠くにそのままあって、欲まみれ権勢まみれのつまらぬヤツと結婚し所帯をもつようなことがなくて、ああよかった、とスッとさせてもらえるというわけ。
◆『源氏物語』
たくさんの個性ゆたかな、魅力あふれる女性のオン・パレードを見せてくれる『源氏物語』。求婚者の多さという点から見ると、玉鬘(たまかつら)ということになるでしょうか。玉鬘は光源氏がこよなく愛した女性の一人の、夕顔の遺児です。ほんとうは光源氏の子どもではなく、恋において政治においてライバルの関係にある頭中将(とうのちゅうじょう)と夕顔とのあいだに生まれた子。母親に似てたいそうな美貌だったようです。
母親の夕顔ですが、物語全体のなかではそれほど存在感があるわけではありませんね。男のいいなりになってしまう自然体の女というか、どうも頼りげない存在ですが、男の欲望をそそらずにはいない魅力的な容姿に加え、性愛じょうずとされ、源氏も頭中将もゾッコンでした。そうなると、周囲の女たちの嫉妬には恐ろしいものがあり、源氏の愛人とされながらあまり相手にしてもらっていない六条御息所(ろくじょうみやすんどころ)の怨霊に呪い殺されてしまいます。夕顔の19歳のときでした。とびきりの美貌で、優柔不断。まあ、好色男たちにはいちばんご都合よろしい女というわけで、身から出たのは、高雅な香りのたちのぼりではなく、サビというわけで、こんな命の閉じ方も仕方ないでしょうかね。さらにイイタマなことには、死にのぞんで娘の玉鬘の養育を源氏に託すというちゃっかりぶり。
さて、玉鬘。なんとも可愛らしいこの子、たいそうな物語好きなんですね。紫式部がこの可愛い幼女に対する源氏のことばを借りて物語観を述べる部分です。『竹取物語』がなぜ「ものがたり」の原型なのか、そこはわたしたちにもおおいに勉強になりますね。その玉鬘、日ごとに成長して美しさを加えていきます。そうなると、さあさあ、たいへん、どっと求婚者が現われ、彼女の思いは千々に乱れます。なかには、乱暴者として聞こえた大夫監(たゆうのげん)という肥後の豪族がいます。ヘタに断ろうものなら何をされるかわかりません。それだけではありません。のちに女三の宮との密通でたいへんな事態を引き起こす柏木も。この柏木、じつは玉鬘が自分の姉であることも知らないオタンチン。源氏の弟の蛍兵部卿宮も、有力な政治家ながら無骨者の鬚黒大将も。さらにやっかいなことには、源氏自身も。自分が養父であることも忘れて玉鬘に執拗に言い寄り、親子関係が危機に瀕します。
しかし、騒がしい男たちをよそに、玉鬘はなかなか慎重な女です。打算の人です。あれこれと己れの行く末にじっくりと思いをめぐらせます。なみいる貴公子たちから次つぎに届く恋文。彼女がそれに返信するのは、養父の弟の蛍兵部卿宮ただ一人。立場上からして欠かせぬ礼儀だったのでしょう。さあ、それで決まり! と思いきや、玉鬘がくだした最後の結論は、……なんとまあ、もっとも気が進まなかったはずの相手、鬚黒大将というわけ。う~ん、そんなもんでしょうかねぇ、賢い女の打算とは。
長くなってしまいました。ギリシア神話、ギリシア英雄伝説のなかの求婚ばなしは、またそのうちにご紹介することにいたします。英雄オデュッセウスの妻、孤閨を20年間も守るペネロペイア。その美貌の王妃に言い寄る求婚者の数は129人といいますから、これはもう、とんでもありませんね。
★転記スミ 『なよたけのかぐや姫』⇒ページ一覧「物語寸景(6)」 「源氏物語」⇒ページ一覧「つれづれ塾(その5)古典」
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〔ギリシア神話―トロイア戦争のなかの女〕
過去を水に流す。このことにおいて、日本人はとてもあっさりしているのでしょうか。制度がかわったら(トップの首がすげかわったら)、それまでのことは全部なしにしてしまう国民性なのでしょうか。それは、トップが間違いを犯さないときにはとても安心で簡単なことでしょうが、間違いを犯さないように監視する、ということがなく暴走したのが先の大戦だったのではないか、とも思えてくるのです。 (BBS関連、Dorothyさんによる)
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忘れる…、これは人間に天賦されたありがたい能力だとされています。ひとが心配ごとなく安寧に、自由に磊落に世を生きていこうとするときの、なかなか便利な武器かもしれませんね。
しかし、歴史には、忘れていいことと、決して忘れてはならない歴史とがあると思います。都合の悪いことはケロリと忘れる。ところが、ひとたび屈辱を浴びせられたほうは、あっさり水に流してくれるなんてことはありません。ひとが受けた苦痛や辱めは、20年経っても30年経っても忘れられるものではありません。学校で問題の「いじめ」や、日本軍が満州につくった七三一部隊、そこでおこなわれた正視に余る生体実験の数々を挙げるまでもなく、わたしにもいくつかその覚えがあります。執念深い、いやらしいよ、といわれようと、おそらく死ぬときまでその口惜しさを忘れることはないでしょうね。加齢のなかで呆けて記憶を喪うようなことがあっても、それだけは忘れずに残っているだろう口惜しさ。
少し遠まわしにして、ギリシア神話のほうから、そのことを語っていいでしょうか。
トロイア王国の王子ヘクトールに嫁したアンドロマケという女性。古代トロイア戦争の神話に登場する女性で、まず、父親と七人の兄弟をギリシア軍に殺され、母親もアルテミス女神の矢に射抜かれて死にます。さらに夫のヘクトールは宿敵のアキレウスとの一騎打ちで槍で仆されます。そのあとが眼も当てられぬ酷さ! 自分の死骸は父王プリアモスの手に渡し火葬させてほしい、と武士の情けでアキレウスに求めるが、復讐の鬼と化した敵はそれを一笑に伏し、その遺骸を軍馬にくくりつけて狂ったように疾走、土ぼこりのなか戦場をひきまわします。神をも恐れぬアキレウスの所業はのちに神罰を受けることになりますが。スカイア門の上からその惨劇を目撃していたアンドロマケは色を失い号涙し卒倒する。眼前にした夫の最悪の死に方。トロイアの命運は、オデュッセウスの奸計による「木馬」を待つまでもなく、事実上このときに尽きたといえるかもしれません。この戦争のなかで根絶やしにされて天涯孤独になった美しい王妃。望んだ自らの死は許されず、不幸はまだまだつづきます。王妃の座から女奴隷へと転落する運命へ。勝者のギリシアの戦利品として異国へ、東洋から西洋へ連れていかれ、苛酷な労役と、戦勝国の男たちに自由にもてあそばれ、宿敵の子を次つぎに産むハメに。屈辱と忍従の日々を「耐える女」に徹して蘇生の時期を待つ。迫害と辱めを受け、極限の生に耐えつつ、身を滅して屈し、従うことによってのちに生命の蘇りを果たすわけですが、これこそが「東洋の女の忍従」、西欧世界で生まれ育った人間にはない生き方と言えないでしょうか。
戦争に勝ったギリシア軍はトロイアにある限りの財宝と女たちを奪って分け合い、帰国します。王妃アンドロマケが分配されたのは、なんとまあ、ネオプトレモス。父と七人の兄弟、そして夫を殺した宿敵アキレウスの、その息子である男。この男がまたどうしようもなく惨いヤツ。トロイア落城のとき、ゼウスの祭壇に逃れた父王プリアモスを引きづり出し、情け容赦なく首を刎ねる。ギリシアに連れ帰ることになったアンドロマケ王妃につかつかと近づくと、王妃が胸に抱いていたヘクトールとのあいだの一粒だねのアステュアナクス、恐ろしさに震えるその幼子を母親の腕からもぎ取り、王城の矢狭間から投げ落とす。その可哀そうな死骸に衣をかけてやるいともも与えず、アンドロマケを船に追いたてギリシアへ連れ帰る。さらにネオプトレモスは、アンドロマケの義妹ポリュクセネー、美貌で清純なその乙女を、先に死んだ父アキレウスの鎮魂のための人身御供として、衣をはぎとり、ブスリッと刃の下で喉首を斬る。世に並びない可憐さをもつ乙女は血しぶきに濡れて死ぬ。戦争とはもともとそうした非情なものなのでしょうか、…この古代トロイア戦争の残虐ぶりも日本軍七三一部隊の非人道的な人体実験の数々も。
暗転しつづける彼女の生。明日の希望のすべてを踏みにじられたあと、なお苦界に生きるために、この誇り高い貞淑な王妃はどうしたか。奴隷にされ、妾にされ、屈辱の極みを味わされるが、逃れようもない生と知って、憎むべき男ネオプトレモスの子を三人も産む。男を憎むがゆえにその子を生む。なかなかわたしなどには理解できない心情だが。また、のち、ネオプトレモスがデルフィで客死したあとには、王国を継いだヘレノスの妾とされ、その男とのあいだにも一子をもうける。三人の異なる男とのあいだに五人の男子を産み、そしてついには王座を取り返す強靭な生命力を見せます。
つまり、この子どもたちによって新王国建設という運命の逆転を果たすんですね、アンドロマケは。ネオプトレモスとのあいだの長子モロッソスがエペイロス王国を、その末子のペルガモスは「東洋」の地、トロイアにほど近いところにペルガモンという新王国を。ペルガモンは標高300メートルの景勝の地にある美しい町です。アンドロマケは最晩年の身をここで落ち着け、一日として忘れたことのない「東洋の地」で心の昇華と新しい人間として蘇生します。
運命に逆らわないこの生き方は母性の原型といえないでしょうか。ある意味で、恐いですね。男はすぐに武器をもって相手に復讐しようとカッカといきり立つ。それにひきかえ、見せ掛けとは異なる女の内奥にひそむ深き思い。絶望することなく、ひたすら忍従することによって主権を奪い返したこの東洋の女がつくりだすドラマは、こぜわしく自己主張する女のそれよりも、はるかに濃密なものがあるように思えて、わたしは感動を覚えるのですが。
ものごとには、水に流せることと流せないことがある。きのう観た映画「午後の遺言状」(新藤兼人監督)でときどき登場する丸い石…音羽信子の演じる別荘管理人であり老農婦が最後にポーンと川に投げすてていくダチョウの卵ほどの石の意味と関連して書きたいこともありますが、長くなりましたので、きょうはこのへんにて。
☆…転記スミ ⇒ ページ一覧「物語寸景=5」ギリシア神話―トロイア戦争のなかの女
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バルザック『ゴリオ爺さん』
「結局、わしにわかったのは、自分がこの世で余計な人間だということでしたよ」
「娘たちをかわいがりすぎた罪」がこの報いで、「あの子たちはわしの愛情にこっぴどい仕返しをしてくれた」
「わしのことを恥ずかしいと思うようになっていたのじゃな。子どもを大事に育てたところで、結果はこれでしてな」
自分が老いて死の病にとりつかれたとき、周囲の世界はどんな表情で自分を見るのだろうか―。
すでにいまは亡いが、両親の恩に、自分はどれほど報いることができたろうか―。
みなさんも、ときにはそんなことを思うときはないだろうか。そんな思いをもってこれを読むものには、総毛たつほどに恐ろしい作品である。親不孝のほか、日ごろ、地域の高齢者福祉に幾分か携わっているわたしにとって、不思議なほどのリアリティをもって伝わり、腹の底のあたりからゾッと冷たいものが立ち上ってきた作品。みなさんのなかにも、老親介護の日々にあり、加齢とともに日ごとに衰えていく肉親のすがたを目にしている方も少なくないだろう。老いなんて考えたこともないかつての学生時代には、こんなふうには読めなかったバルザックの代表的な傑作。愛とは何か…、わたしたちにそれが問われている。
粗末な貧乏下宿に一人息をひそめるようにして暮らす老人。かつては西洋素麺業者として巨万の富を築いたことのある、69歳の人物。1789年、バスティーユ牢獄襲撃事件に端を発するフランス革命の混乱に乗じて、穀物取引きで財をなしたという。加えて、地方の豪農のひとり娘を妻に迎え、事業も生活も順風満帆だった。が、幸福の日々はそう長くは続かない。妻は7年目に病死、ゴリオはふたりの娘とともにあとに残された。愛らしい美しい娘だった。
父親の豊かな財力をバックに、上の娘(ナジー)は伯爵夫人に、下の娘(フィフィーヌ)は男爵夫人におさまる。その上流貴族社会は、うわべの優雅さ、華やかさとはうらはらに、カネの力だけがモノをいうところ。そこに生きるものの生殺与奪の権利を握るのは、カネ。娘たちがその社交界の虚栄の渦に巻き込まれながら、その世界で、体面を保ちつつ、円満に、気随気ままに生きていくために、父親は、次つぎに残された財産を注ぎ込む。
「父親なんてのは、幸せになるためにはいつまでも与えつづけねばならんのじゃ。いつまでも与えつづけることが、父親を父親たらしめるんでな」
低級な安下宿にある父親とは対照的に、娘たちが住んでいるのは、奢侈と虚栄、情欲とエゴイスティックなかけひきが支配する社会。幾重にもなる虚偽と欺瞞によって生ずる歪みは、次第しだいに人間を堕落させ、破滅の道へと導く。爛れた性愛の狂宴、持参金目当ての謀りでなされる形式的な夫婦生活、空虚な愛のかけひきで織り成す社会に、本当の愛などあるはずはない。華美な装いの裏には底深い闇の沼が渺々と広がっている。そんな闇にあたたかい灯火を見せるのが、ゴリオ爺さんの一途な愛、娘たちに注ぐ愚かしいまでの愛、真率で盲目的なその愛は、かえって輝かしく美しい。間違っているかもしれない、過ぎた愛かもしれない。しかし、そこに父性のキリストともいうべき崇高な愛を見ることができる。
男たちはおカネ目当てに女に近づき、出自の誇りを楯に、享楽への誘惑で女の心を蕩かすことにうつつを抜かす。ところが、いったん女を支えるべき親の財力に翳りが生じてきたと知ると、あとは、ただの疎ましい存在、邪魔なゴミのようにして棄てて他に走るか、さっさと外国などに逃げ出してしまう。そういういかがわしい社会に娘たちがいることを承知しながら、ゴリオ爺さんは、娘の夫には隠れるようにして、持つ限りのものを与えつづける。娘たちの奢侈をわが身の幸福、わが身の使命であり生き甲斐とする悲しい老人。その親バカぶりの愚かしさを超越して、ひたすら娘を思う純粋な感情には偉大な輝きがあり、胸をうつ。親ならではの無限の愛、無償の愛の尊さ。
一方、そんな腐った社交界にあこがれ、それを利用して出世願望を果たそうとする貧乏学生がいる。ウージェーヌという南国生まれの法科学生。ゴリオ爺さんと同じ下宿屋に住んでいる。22歳の彼が美しい貴族夫人に恋を求めて、貧民の集まる不潔な下宿と、奢侈と傲慢不遜の牙城である上流貴族社会とのあいだを往き来しつつ、その眼で大河小説を紡ぎだしていく構成。ゾッとするほど冷たい物語だと先述したのは、老人の見せる無垢な愛と、虚栄心と功名心のからくりの社会とのあいだに埋めがたく横たわる距離の大きさのことである。
死の床に臥しながら老人がウージェーヌ青年に告白する。
娘たちは「一度だって、わしの悲しみや、苦しみや、窮乏を察してくれたりしなかった。わしが死ぬことだって察してくれるものか。わしがどんなに愛しているかという秘密ですら、知りはしないのじゃ」
与える愛、一途な愛を引き裂くもの
父親と娘たちを隔てる懸崖の恐ろしい深さ。ああ、これこそが現実というものか。美しい魂を持っていると、この世に長くとどまっていることは許されないのだろうか。娘が手紙でおカネを無心してくるたび、身を削りつつどうにか工面をつけてきた。しかし、上の娘が舞踏会に着ていくラメ入りのドレスのために、今度こそ最後の最後、残るものは一切ないところまで、老人は底をはたいて投げ出す。一文なしになった老人。びた一文もなく痴呆状態で死の床にある老人。それでも老人の頭のなかには、シャンデリアの光かがやく舞踏会の中心で男たちに囲まれ、華麗にダンスを舞う娘のすがたしかない。
「ああ! わしは病気なんかしておれん。娘たちはまだまだわしの助けが必要なんじゃ。あの子たちの財産は危殆(きたい)に瀕しておる。そして、何という亭主どもの餌食になっていることか!」
死装束の経帷子(きょうかたびら)を買うおカネさえなく、爺さんを知る下宿の仲間からは「死んだほうが幸せだ」という早すぎる追悼のことばを受けて、なおわずかな命の灯をともしつづける老人。すべてが遠くへ遠くへと離れていく感覚のなかで、それでも娘たちの最後の接吻を心待ちにしている。そら、そら、靴音だ、やっぱり駆けつけてきてくれたじゃないか、と、虚しい幻聴を何度も楽しむ。その娘たちは、それぞれに破局と沈倫の淵に溺れていて、父親の危急の知らせを受けながらも、一歩すら動こうとしない。一文なしの父親はもはや父親でも何でもないのだ。
何という懸崖の深さか。娘の幸せを信じ、娘に尽くすことに生涯を捧げてきた、愚かしくも崇高な魂。「姉妹のダイヤの向こうに横たわっているゴリオ爺さんの粗末なベッド」が、ふたりの貧しい青年、ウージェーヌと医学生ビアンションにはやけに目に映る。「舞踏会へ行くためなら、父親の死体でも踏みにじりかねない女」たちの生きざまに、ふたりの青年は上流社会に通う冷やかな風を今こそ感じる。出世を願って上流社会の浮ついた女たちを漁ってきたさすがのウージェーヌ青年も、目前の絶え絶えに衰弱した老人の顔を見つつ、
「愛情とは、あるいは、快楽に対する感謝の念なのかもしれない。恥を知らない女であれ、崇高な女であれ、彼はこの女を、自分が持参金のように彼女に提供した官能の悦びのゆえに熱愛していたのである」
と知る。一方、老人は、娘たちが駆けつけて最後の接吻をしてくれるだろうとの期待をはかなく裏切られて絶望し、余命いくばくもないことを意識しつつ、自分が娘に傾けてきた愛のいかに虚妄であったかを、ようやくにして気づく。なんとも悲しい、遅すぎる認識である。
「こっちが子どもに命を与えてやっても、子どもたちはこっちに死をくれてよこす。子どもたちを世間に出してやると、お返しに、こっちを世間から追い出す。たしかに、あの子たちは来るもんか! 十年前からそのことはわかっていたんじゃ。ときどき、そうじゃないかと疑ってみたのじゃが、本気でそう思う勇気がなかったのでな」
そうこぼしつつも、ひょっとしたら娘たちは来てくれるのではないか、との期待を完全に棄てたわけではない。来ない。まだ来ない。命の灯はあと数呼吸を残して消えようとしている。いよいよ絶望して、老人は喘ぎあえぎ青年に語る。
「だが、何もない。金で何でも買えるんだ。自分の娘でも! ああ! わしの金はどこへ行ったのじゃ? わしが財宝を残してゆくのなら、娘たちはわしを手当てし、看病してくれたろうに」
「わしは娘たちの前にひざまずいていた。見下げはてた子どもたちじゃ! 十年前からのわしに対する親不孝に、最後の上塗りをしおったのじゃ」
老人の絶望は深い。引き裂かれた思いのなかで、生きる気力も失せていく。わずかな望みも断たれたあとは、悲しい自虐のトゲだけが襲いかかる。
「何もかもわしの罪でしてな。わしは、あの子たちがわしを踏みつけるようにする癖をつけてしまったのでしてな」
「いまになって、わしの一生が見えてきた。わしはだまされているんだ! 娘たちはわしなんか愛してはいない、一度だって愛したことなんかないんだ」
「わしは野良犬みたいに死んでいく」
老人の亡骸は、医学生が病院から格安に手に入れてきた貧民用の棺に納められた。もっともつつましい三等の葬儀の費用は、貧しいふたりの青年が走りまわってどうにか工面したもの。上流社会で浮かれる娘とその夫たちは、文なしの野良犬の死には一顧だに払わない。わずかばかりの埋葬の費用負担にも耳を貸さず、使いの青年を面会謝絶でぴしゃりと追い払う。老人は、文字通りの野良犬同様の死を死に、人びとの記憶からすぐに消え去る。《エッセイ集「読書、このごろ」より》2007.03.11
★バルザック『ゴリオ爺さん』平岡篤頼=訳、新潮文庫
★転記スミ ⇒ ページ一覧「物語寸景(2-4)」
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オルセー美術館展へ。上野・東京都美術館
― もう、おとうさんとは絵を観に行くの、いやですからね。
― やっと時間をやりくりして行くことができたオルセー美術館展なのに、ヤルセ~ないことですね。どうしましたか。
― そんな低級なダジャレではだまされません。まず第一に、入場制限で、列に並んで待たされること1時間25分。小さな小夜は押し潰されそうで、息もできないくらい。おシッコをがまんするのだって、トイレも長い列で、たいへんだったのですから。
― うん、ちょっとまずかったかな。悪いことに、きょうはシルバー・デイになっていて、お年寄りはタダで入館できる日だったんだ。いっぱい来ていましたね、おじいちゃん・おばあちゃんたちが。
― おとうさんがちゃんとインターネットで調べておかないからいけないんじゃありませんか。
― ユルセ~ないですか。でも、こんなに混雑するとは思わなかった。これではこのあいだの東京マラソンのスタート前、都庁前の人ごみみたいで、ウルセ~美術館でしたね。おとうさんも、入場するまでに疲れちゃいました。
― 疲れた、どころではありませんよ。小夜は迷子になったかと思って、胸はドキドキ、あっちへ、こっちへと夢中で探しまわったのですからね。
― 泣いたみたいだね。ひげのおじいちゃんに連れられて、おとうさんを探しに戻ってきてくれました。どこの人ですか、あの人は。お礼もあまり言えなかったけれど。
― 知りませんよ。もう、おとうさんは会場を出てしまったのかと、そして、小夜はひとりでどうやっておうちに帰ればいいのだろうかと、そればっかりでした。おじいちゃんが、「いやいや、きっとまだ会場にいると思うから、戻ってみよう、いっしょに探してあげよう」と言ってくれたの。そうしたら、おとうさん、まだマネの「モリゾ」の前にいるじゃありませんか! まるで魂の抜けたおバカさんみたいな顔をして。
― ひどいなあ、魂の抜けたおバカさん、だなんて。
― ひどくなんかありませんよ。どれくらいの時間、おとうさんはあそこにいたと思っているのですか。20分、30分、いや、もっといたかもしれません。ほかの人は、押すな押すなの波のままに動いているのに、おとうさんだけ、ボーッとうしろのほうに立っているのですから。
― うそでしょう。そんなに長くはないと思うよ。
― あきれてしまいます。みなさんにはご迷惑ですし。
― でもね、お別れしようとすると、モリゾさん、おとうさんにボソッとつぶやくのよね、「行ってしまうのですか。もう少し、もう少しだけいっしょにいてくださいませんか」と。あの、涼しげな、いかにも賢そうな瞳にいっぱい涙を浮かべて。「いやいや、むこうで小夜が待っているので」と、おとうさんが言うと、「悲しいわ。ふたりの恋はこれで終わってしまっていいのですか。もう二度と逢うことなく、ここでこのままお別れしてしまって、ほんとにいいのですか」と。
― そんなこと、モリゾさんが言うわけ、ないじゃありませんか。おとうさん、おかしい。そのくせ、せっかく来たのに、ほかの絵の前はほとんど素通り。写真や陶器のコーナーなどは、ぜんぜん見もしませんでした。
― いやいや、そんなことはありません。ほら、先週木曜日にあった市民アカデミーでバルザックの「知られざる傑作」をめぐって、このフランスの文豪の美術論を口演したばかり。その影響をバッチリ受けていたので、おとうさんの絵の見方も違ってきたのよ。違う、というより、ずっとずっと深いものになったのよ。
― バルザックの美術論とマネの「すみれのブーケをつけたモリゾ」と、どんな関係があるのですか。
― 小夜ちゃんがそんなにツンツンすると、おはなししにくいなあ。
― はい。それでは、静かに拝聴いたします。
― 「知られざる傑作」は、岩波文庫でわずか50ページほどの短篇。メディチ家のおかかえ画家、肖像画家として売れっ子だったポルビュスや、古典主義絵画の巨匠プッサンが登場し、そこに謎の老画家フレンホーフェルという想像上の人物がからんで、芸術創造の窮極を探る、深いテーマの奥行きをもつおはなし。短篇ながら、じつは、これってヨーロッパの近代絵画に絶大な影響力を与えたものだったのです。たとえば、ピカソ。
― はい、ピカソ。今回は一点も出ていませんでしたけれど。
― 「知られざる傑作」の書き出しはこうなっています、
「一六一二年も暮近く、十二月のある寒い日の午前、見たところひどくみすぼらしい身なりの若い男が、パリのグラン・ゾーギュスタン街の、ある家の門口の前を行きつ戻りつしていた」
と。駆け出しの画家、青年のプッサンが初めてポルビュス画伯のアトリエを訪ねる場面です。この、パリのセーヌ河に近いグラン・ゾーギュスタン街、といったら、何か思いあたりませんか。
― いいえ、知りません。パリには行ったことありませんし。
― ピカソが18年間ここに住み、アトリエを構えたところです。有名な「ゲルニカ」もここで描かれたそうです。ピカソのあの画期的なキュービズムも、このアトリエ、いえ、バルザックの「知られざる傑作」から生まれたといえるかもしれません。
― 「ゲルニカ」の絵は知っています。
― 画家はよく風景画を描きます。フレンホーフェルという謎の老画家、すなわちバルザックは、自然を模写しただけの絵は画家のものではない、そんなものには何の値打ちもなく、そんな自然を糊づけしたようなものではなく、「自然を表現したもの」、芸術の神の魂に映じた自然を詩人の心をもって描いたものでなければならない、と。とかく理解を超える絵、狂気の絵とされますが、ピカソは忠実に自分の詩心を動かすものを表現した画家です。
― わかりません。…ちょっとわかったような気もしますが、でも、わかりません。
― わかりませんか。では、モリゾさんのほうに両手を差し伸べてごらん。ね、手がモリゾさんの後ろまでまわるように思いませんか。そこです、いい絵か、つまらない絵か、それを分けるのは。
― はい、抱きしめられているような…、モリゾさんの心臓がドックン、ドックンと鳴っているのが伝わるわ。
― 小夜ちゃんはギュスターヴ・モローの「ガラテア」の前でクギづけでしたね。きれいな幻想を見せてくれる、神秘をたたえたすぐれた作品です。繊細ですね、女神の裸体の輝かしい美しさのほか、草花の一本一本までものすごく細かに描き込んでいますね。よく見ると、いろいろなところに隠し絵が埋め込まれていたりして。ところが、マネのモリゾ像はどうでしょう。
― 筆をサッと走らせただけのような。筆のあとが残っています。ずいぶん対照的ですね。
― たしかにラフな筆づかいです。にも拘わらず、そこには、空気や空や風の動きまで表現されています。人物が生きていて、呼吸をしています、心臓が動悸をきざんでいます、鈴のように清らかな声でおとうさんにささやきます、「よく逢いにきてくださいました」と。
― それはどうでしょうか。
― 髪がそよ風に波うち、そのもの静かな落ち着きと、秘められた情熱を、表情に呼び起こす血のぬくみが走っています。
― 色数も少なく、衣服も帽子も黒、首に巻いているネッカチーフも黒。胸元を飾るすみれのブーケも、それほど目立ちません。しかも、黒は深いですね。憂鬱なほど地味なはずなのに、印象はぜんぜん別で、逆光のなかで、その存在が生き生きと輝いているように思います。キリリとしていて、媚びのかけらも見られない表情のなかに、ふしぎな輝きがあります。
― マネ独特の深い黒です。ラフな筆運びで描かれています。輪郭もあいまいで、しっかりスケッチし、下絵をたくさんつくってから描き上げたという感じはありません。どうでしょうか、この絵には何かが欠けていると思いませんか。
― 何でしょう。もちろん、非現実、神秘の世界を描くモローのあの細密な作品と対比したら、欠けたところばかりですけれど。
― この作品には何かが欠けている。いや、何でもないものが欠けているのです。ところが、絵においては、この“何でもないもの”がすべてと言ってもいいんです。“何でもないもの”…、外観ではぜったいに捉えることのできないもの、ことばにもしにくい、形をもたないもの。そうですね、生彩のない幽霊ではない、小夜ちゃんもさっき感じとった、ほのあたたかい息吹き、雲のように漂う小さな“生命の花”とでもいうような…。描いてはいないけれど、対象を生き生きとさせるいちばん肝心なところは、魂のかぎりを尽くして描いた絵、といえるように思うのです。
― おとうさんは、すっかりバルザックの魔術の罠にはまったようですね。小夜も今度はそんな眼で絵を観るようにしようかと思います。おとうさん、また行こうね、美術展に。
― おっ! やっと、泣いたカラスが笑ってくれました。
― でも、今度行くときは、小夜の手を離してはいけませんよ。
― 今回見たオルセー美術館展。おとうさんが聞くかぎりでは、オルセーには、印象派絵画を中心に、もっともっとたくさんのすぐれた絵が所蔵されているはずなのよね。その点でちょっと物足りなかったな。でもまあ、恋してやまぬモリゾさんに逢えたことでよしとしますか。それに、こういう絵は、やはり、パリの風を感じながら見ないことには、本当じゃないな、ということかな。
― おとうさん探しでひどいめにあいましたけれど、おのひげのおじいちゃんがいっしょにいて、小夜を前に押し出してくれましたので、人混みでも絵はよく見られましたし、小夜に似ているといわれる女の子、ルノワールの「ジュリー・マネ」(ネコを抱く少女)もしっかり見られましたから、ま、いっか。小夜はあんなに丸顔で可愛くはありませんけどね。(2007.02.21)
〔「コント―小夜とともに46」より〕
★転記スミ ⇒ ページ一覧「小夜& GANOトーク=5」、「アート回廊=3」(部分)
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